(“ユナ”という楔)
もうお熱は下がった? おてんばさん。……ふふっ。よかった。今日はね、あなたにひとつ報せがあるの。よく聞いて。(封じの魔法にまもられた扉の向こう、王城の秘められし小部屋のひとつ。あくる日にはけろりとした顔で起き上がることができるようになった寝台の上の寝間着姿に、妹はおどけた声かけをする。そうして、起き抜けに顔を洗うための水や盥、さらに午前の着替えの支度、それぞれ忙しく動きまわる侍女たちのあいだを縫いながら、片割れのほうへと歩み寄せては、ほほ笑んだ。)おめでとう。――“レイ”。わたしのねえさん。あなたの婚約が決まったわ。(国としての決定はすでに下されたあとではあるものの、さすがに内密に告げられただけあって、まだ正式に公とはされていない。案の定、瓜ふたつのおもてが絶句して固まり、側仕えの使用人たちの反応も、ほとんど悲鳴のような上を下への大騒ぎだ。「でも、……では、“姫さま”は……」。幸せなことに、そう、こちらの身を案じてくれる懸念も聞かれた。半身がはっと気色ばむ。)……まあ、聞いてちょうだい。そんなに、こわ~~い顔をしないのよ。まずは、お相手のかたなのだけれど、これが、隣国の王家筋で……、(齢もさして離れておらず、なにより、女人の身で剣をとることに好意的で、たいそうご興味を示されているそうな。そっくり伝え聞くまま披露するうち、周囲の反応はだんだんと落ち着いて、いつしか感嘆のため息もこぼれ落ちた。「まあ……またとないご縁ですこと……」。ああ、ほんとうに、そう思う。交わす剣戟に導かれるえにしを知るからこそ、こたびの婚姻がつつがなく結ばれ、国の礎となればよいと、心の底から願っている。けれど。)あら、まあ、……あらららら、(憤懣やるかたないといった表情の姉が、召し替えを済ませるなり人払いを命じてみなを追い出し、ご丁寧に扉へ防音のまじないまでかけてしまった。これで、たとい外から聞き耳を立てていたとしても、室内の話し声が漏れることはありえない。――ふたり、幼き日のように、寝台の上にて鏡合わせに膝を突き合わせる。「話が違うわ」。ぽつり、ふてくされた呟きが目の前の同じ顔から飛び出せば、)……ふたりで、大地を祀る神殿に移って、そこで余生を過ごすというはなし? そりゃあ、もちろん、ぜんぶ、わたしたちの想像だもの。お父さまのみこころとは違ったのだわ。(あらためて考えれば当然のことだ。「“シェリー”はどうなるの?」――ああ、その不安にうまくこたえるすべを、いまのおのれもまた、持ちえぬから。)……わからない。でもね、まずは、あなたの気持ち。(目の前で、頑是ない聞かんぼうじみてかぶりが振られる。宥めるように指先を握った。ことさら年上ぶった声音をつくろう。しかし口にするのはまことの本心だ。つい先ほど、たしかに姉のまなざしへと過ぎった、その感情。)どうか、怒らないで。悲しまないで。わかるわ。双子だもの。この目を誤魔化そうとしたって、だめよ。さっき、わたしの説明で、お相手のかたに興味をもったでしょう。会ってみたいと、ほんの少しでも考えた。それでいいの。……それで、いいのよ。だって……だってね、わたしには――……無理、なんだもの。(およそ消え入りそうな告解になにか察するものがあったのか、片割れの顔つきがふと、変わる。)――約束、したのよ。わが身をもって、心に勝利のあかしを打ち立てる……そんな日をいつか迎えられたなら、そのときには必ず、あのひとを呼ぶと。(今度こそ、伸ばされる手をとり、離れない。それがたとえば、この生涯の終わりにみる幸せな夢でも。半身とかたく抱きしめ合い、いまぞ誓おう。)だから、わたしとも約束をして。信じていて。いずこへと分かたれようと、血は、呪いに打ち勝つと。わたしたちの、剣をとるこの“手”は……たしかにそれをあかすことができるのだと。(忘れないで。想っていて。離れても。そんな希求が、たしかに透けた。涙に濡れた雨空の瞳が、たがいにたがいを映し込む。呪文で刻むまでもない。わたしたちは、こうして生きてゆく。)

(長い歳月を経る土地や、建物には、どうしたっていわくがついてまわる。この王城もそのひとつ。誰ぞにまつわるひそひそ話。新しいものでいえば、そう――末の姫付きの乳母や侍女たちは、そのいっとうそばへと侍るようになるとき、ひとつ、まじないによって誓約を立てるのだという。その内容は定かではない。しかし、約定を軽んじ、万が一にもこれを破る者があれば、心ノ臓に刻まれた呪文が目覚め、罪びとはたちまち身体じゅうから血という血を噴き出しては死に至るとか。もっとも、みずからの目であらためた者は居ないというのに、それでもまことしやかに噂の広まるおそろしさ。ただ、それは翻せば、王室の権威がいまだ厳粛に保たれ、人びとから畏敬を集めているということのなによりのあかしだ。――であるから、その真円を乱し、災いをまねく成りそこないの“半分”は、すみやかに大地へと還されなければならない。いにしえの伝承が謳う双ツ首の竜を思わせる、双子の王女。王は難産の果てに王妃が落命すると、大いに嘆き、悲しんだのだという。最愛の忘れ形見、いまなお産声を上げて泣き続ける子のいずれかの、小さな小さな鼻と口を塞ぎ、かぼそい首にわが手をかけ、くびり殺さねばならぬのかと。そこで、側近はささやいた。王家の血筋に表れ、いましがたお妃のお命をも奪いしは、すなわち母なる大地の怒り。しかしながら、いまただちに御子を還したところで、あがなう血、そのものがそもそも呪われ、穢れていては、到底、その業火というのも鎮まりますまい。かえって国を揺るがしては目も当てられませぬ。――なれば王よ、われらは“時”が来るのを待ちましょう。罪をあがなう羊の、血が呪われ、穢れているというのなら、ゆえにこそ――そそいだのちに還さねば。折しも、物心がついた末姫たちは、誰に説かれるでもなく剣をとる。なんのめぐりあわせか。さてもキュクロスは騎士の国。王城の中枢は、妙なるこの因果にいたく感じ入ったようであった。これで、まことの円環に生まれたひずみは正される。双子の罪は清められ、ふたりはひとり、完全体に戻るのだと。これが、末の姫君“レイチェル”に、剣をとることがゆるされていた、もうひとつの理由。――国王はその晩、十七年前の回顧に寄せて語っただろうか。語らなかったかもしれない。いずれにせよ、遠い追憶も、もはやここまで。冬の玉座はよりいっそう、しんと冷え込む。ひとつ、またひとつ、その手を離していかないといけないのは、王族として生まれついた者であれば、みな同じだ。貴人のつとめ。民びとが生涯抱えるより多くのものを与えられ、同時にうしない、そしてまた受け入れねばならない。たしかに“めぐらせて”ゆけるのが、われらひとであるのだとしても。またひとつ、閉じてゆく。掌からなにかをとりこぼし、繰り返しながら。)

(さて。キュクロスの古語に、こんな数詞がある。いち、を表すウーヌス。そこから、のちに続く言葉に合わせて末尾が変わり、そのうちのひとつが、ウーナ。そこから転じて“ユナ”。ゆいいつの、を示す品詞であった。そう。王家の末娘はひとりだけ。そして、罪をあがなう羊もまた、ひとりだけだ。――さやけき月のひかりが、窓辺より差し込んで、室内をぼうっとほの青く照らしている。そこからいささか奥へと逃れるかたちで直接床に座り込み、羊皮紙に走る父王の筆跡を眺めていた。きわめて簡潔に記された“本題”とは別に、はらりと落ちたそれを拾い上げる。)…………この、しるしは……、(開かずの尖塔。いつだったか、うんと幼いころ、兄君たちが噂をしていた姿をぼんやりと憶えている。やんちゃな王子たちが度胸だめしに乗り込んでみようだとか、そういうたぐいの代物であると、いまのいままで解釈をしていたのだが、)……ふふ。城の“外”にも出られない。わたしたちは、ぜんぶ読み違えをしてばかりね……。(いっそ愛おしむような手つきで、贈られた魔法陣をなぞろう。深窓の姫君には似つかわしくない、張り詰めた皮膚に、ふしくれだつ関節のかたち。剣を持ち込むことは、ゆるされるだろうか――すでに王命の「身辺整理」を終えたいま、それがもっとも気がかりである。夜半に吹きすさぶ風はつめたく、生ける命の熱を奪い、凍えさせようとするかのよう。じきに、すべての息づかいはしじまに絶えるのだ、と思った。)
* 2022/11/17 (Thu) 15:38 * No.1