(one and only.)
(これほどに誰かを、ころしてやりたい、と思ったことはない。目の前におわすのは、かつて忠誠を誓った国主で、偉大なるキュクロス王。そして――娘を殺せと命じる父親だ。)……十七年前、(絞り出した声が自分のものではないように掠れる。膝をついた姿勢のまま、瞬きもせずに見つめ続ける)呪われた双ツ子を生かすと決めたのは、国王陛下、あなたではなかったのか。(王の顔はひとつも揺るがない。)そして今度は、やはり要らないから処分せよ、と仰る。私が忠誠を誓ったあるじは、なんと傲慢なお方か(それは国の忠臣たるヴェリテ家一門の者としても、王国騎士団の騎士としても、決して許されない発言だった。この場で首が飛んでも可笑しくない。けれどすぐには殺さないだろうと確信していた。このために数か月も前から傍仕えにして、末姫の信頼を勝ち得るように仕向けたのだろうから。そう、最初から、俺に殺させるためだった。――腰に履いた剣の柄を握ったのは無意識だった。切りかかる瞬間も記憶がない。冷静な頭ならわかる筈だった。国王陛下が身一つで、未だ信頼しえない騎士と相対するわけがないということ。案の定、切っ先は彼の人を掠めることもなく目に見えぬ障壁に跳ね返される。何度か切りかかるも、王家お抱えの魔術師が紡いだ魔法障壁にはひとつの綻びもない。ようやく、少しだけ頭が冷えてきた。沈黙が痛い。国王は何も言わなかった。)……なぜ、(かちゃん。剣を取り落とす音が尖塔の一室に空しくこだまする)……なぜ、俺だったのです…(“返り血の騎士”ならば、心を許した姫を弑することも容易いと思われたか。そう尋ねると、初めて王が動いた。くずおれる騎士のほうへゆっくりと歩み寄ると、落とした剣を拾う。「……そなたが、ヒューバートの息子だからだ」(剣とともに差し出された、予想もしない答えに目を見開く。陛下の忠実なる腹心の、父の子だから。)……それは、どういう…(さらなる質問への答えは返らなかった。ただ「この信頼に応えておくれ」と、一言。受け取らなかった剣を目の前に置いて去っていく背中を追いかけて、騎士は暫くその場を動けなかった。皮膚がぴりぴりと痺れる。さいごの夜が更けてゆく。)
(騎士は慣れ親しんだ自宅へ帰った。身を清めた後、ひっそりと自室の整理を始める。二十四年間、この家族と使用人たちと過ごした。王国大貴族のわりに仲睦まじい家族であったと思う。賑やかな弟妹を産み育ててくれた両親には感謝しかない。最後まで婚約話のひとつも受けなかった不出来な長男がいなくなっても、母の悲しみは少し救われるだろう。あらかた身辺の整理を終えた深夜、「アルバート、」と父の呼ぶ声に驚きはしなかった。母は寝ているだろうが、父は自分を待っているだろうとわかっていた。「酒を飲まないか」と誘われるのを承諾し、父の私室でふたりきり、杯を傾ける。口下手なところがそっくりな父と子に、言葉は多くない。家族の最近の出来事。幼い頃の思い出。両親の馴れ初め話。他愛ない話をぽつりぽつりと交わしながら、こうして父と酒を酌み交わすのはこれが最後だろうと思うと、自然、ごめんね、と謝ってしまう。「謝ることなど何もない」と父は寂しそうに笑う。「アルバート、お前はお前の信ずる道を行けばいい。」父はそれ以上、何も言わなかった。おやすみ、と交わして部屋を後にすると、アルバートは自室で筆を執った。母、弟妹、昔から馴染みの使用人、騎士団の仲間。ひとりひとりに手紙をしたためるのは思いの外時間がかかって、空が白み始める頃、からっぽの部屋で少しだけ眠った。――夢を見た。小さな町で、共に見上げた星空。きれいだったなあ。)
(騎士は慣れ親しんだ自宅へ帰った。身を清めた後、ひっそりと自室の整理を始める。二十四年間、この家族と使用人たちと過ごした。王国大貴族のわりに仲睦まじい家族であったと思う。賑やかな弟妹を産み育ててくれた両親には感謝しかない。最後まで婚約話のひとつも受けなかった不出来な長男がいなくなっても、母の悲しみは少し救われるだろう。あらかた身辺の整理を終えた深夜、「アルバート、」と父の呼ぶ声に驚きはしなかった。母は寝ているだろうが、父は自分を待っているだろうとわかっていた。「酒を飲まないか」と誘われるのを承諾し、父の私室でふたりきり、杯を傾ける。口下手なところがそっくりな父と子に、言葉は多くない。家族の最近の出来事。幼い頃の思い出。両親の馴れ初め話。他愛ない話をぽつりぽつりと交わしながら、こうして父と酒を酌み交わすのはこれが最後だろうと思うと、自然、ごめんね、と謝ってしまう。「謝ることなど何もない」と父は寂しそうに笑う。「アルバート、お前はお前の信ずる道を行けばいい。」父はそれ以上、何も言わなかった。おやすみ、と交わして部屋を後にすると、アルバートは自室で筆を執った。母、弟妹、昔から馴染みの使用人、騎士団の仲間。ひとりひとりに手紙をしたためるのは思いの外時間がかかって、空が白み始める頃、からっぽの部屋で少しだけ眠った。――夢を見た。小さな町で、共に見上げた星空。きれいだったなあ。)