(こころを燃やすもの)
(神さまみたいに想っていたけれど、お姉さまと呼びたかったのだと母のように振舞うひとに夜と朝の狭間で打ち明けた。指と指を絡めて、けれど、額と額を寄せ合うことはせず。記憶と記録の境い目をあやふやにする魔法をやめにして、お互いのかたちを瞳に映したまま言葉と感情を重ねた。そうやって、ひとりではなく、二人で夜を過ごした翌日のこと。暖炉の前で、絨毯の上に座り込んだ少女は愛犬と身を寄せ合って父王の署名をなぞっていた。末の姫の片割れにしか開くことのできない密書は間違いなく己に届いたもの。)お父さまから、はじめての、(揺らめく炎が少女のおもてを照らし、物憂げな影をつくる。身辺整理。それが尖塔に持ち運ぶ荷を用意しろという意味であれば途方に暮れたけれど、身の回りの物を処分し関係を清算せよという意味であれば成すべきことは多くない。ただ、)体裁よりもわたしの命が大事だと、言葉がほしいとは欲張りでしょうか……お父さま。(薪の爆ぜる音で容易くかき消える弱い音だった。想像していたよりも優しい処遇だけれど、渋々折れてくれた美しいひとには伝えられそうもない。双子がまこと呪いであれば国を滅ぼしていると語るひと。ふたりで居られるのであれば地を這ってもかまわないと抱きしめてくれたひと。ケーキを飾る一つきりの苺や半分に切り分けたパンの大きい方を当然のように与えてくれたように婚約でさえも同じように渡そうとしたひと。つたない話を終わりまで聞き届け、はじめてだからと大事にしてくれたけれど“王族の責務”と“片割れの未来”はあやうい均衡を保っているようだった。その証拠に、朝の早い時間から足音高らかに王への謁見を求めて“外”へ出て昼が過ぎても戻ってこない。侍女が付いていったから大事には至っていない、と信じる他ない。)隣国へ嫁がれるまではこのままでいられればいいけれど…。(名残を惜しんでもらえるのは嬉しいことだった。けれど、してもらうばかりではいられない。魔法陣を手元に残して、くしゃくしゃに握りしめてしまった羊皮紙を燃える暖炉に投げ入れた。晴れやかな気持ちとは言い難くて、愛犬の首筋に顔をうずめる。)……言わなくてよかった。また街に一緒に行ってほしい…なんて。(昨日、ちらりと過った情景を飲み込んだのは少女の引き当てた数少ない正解だった。会いたいひとには、もう、会えない。会えば、弱音をこぼしてしまうから。代わりのハンカチを仕立てられるよう騎士の元へお針子を遣わしてもらったけれど完成を目にすることは叶わないだろう。)あのね、賭けてみようと思ったの。わたしを励まそうとしてくれた彼の言葉に。お姉さまの片割れとして胸が張れるように、それから、…彼に、わたしたちで良かったと思ってもらえるように、(神さまに誓った言葉を愛犬にも聞いてもらった。顔を離せば、ざらついた熱い舌に頬を舐められる。手元にやってきた時はかよわい生き物に思えたけれど、いつの間にか伸びあがれば殆ど背丈は変わらなくなった。それだけの歳月を一緒に重ねてきたから、元気な姿のままお別れ出来ることはきっと、よいことだった。)生あるかぎり諦めないから、…ゼゼ、レティーシャをよろしくね。アニーやナンシーも護ってあげてね。それからロロとは仲良くするのよ。……ロロには一緒に挨拶しましょうか。(尻尾を振るこを撫でてから、丁寧にアイロンがけして折り畳んだハンカチをそうっと取り出した。ひとときも手放したくなくて、洗い方を教えてもらい気に入りの香りをかけるところまで自らの手でおこなった。昨日のことがもう、とおい。燃えるような赤を宿すひとに告げられなかったさようならの代わりにハンカチを火の中へくべて、瞬く間に燃え上がる様子をしずかに見届ける。少女の身辺整理とはこの程度。持っているものは一つきり。賭けるには重いのか、軽いのか、分からない。けれど、そのいのちを惜しんでくれたひとが哀しみのない未来を手にできるようにしたかった。賭けに負けてしまっても、少女の夢は叶うだろうからおそろしさはない。どこか遠い場所で笑っている、そういう夢物語。寒さで息絶えるのではなくいのちは眠りにつくのだと、ふかく降り積もる雪の日にもひらく花があるのだと、ながいように思われる冬にも春はおとずれるのだと、そういう綺麗なばかりのお伽噺がよかった。ようやく、しあわせと呼ぶものが分かったから。)
* 2022/11/19 (Sat) 01:01 * No.3