(被覆のアカンタ)
(使いに渡されていた石を握り込むと、壁と思われた個所に扉が生じた。隠れ家か、密談用の空間か、隔離場か――いずれにせよ明るい施設でないことだけが明白だ。人の営みは眠り果てる半夜、足を進めた先に見えた姿も想定外のものではなかった。果たしてそれが王の期待に副うたものだったのか、なんて思考は下らない。恭しく膝を折った男は、王の語るものに緩やかな相槌を打ちながら感情の波を見せぬままにいた。いっそ穏やかな風情ですらあったろう一幕は、告げられた内容に対して不釣り合いであったと、思い至るのはもう少し後の話だ。動じぬ振る舞いが動じた事実を示していた。だがそれもある程度は致し方ないことと、この王とて思うだろう。緩慢に顔を上げた男がまっすぐに王の面持ちを仰いでも、咎められはしなかったことだし。)……――それはつまり、ロクサーヌ姫のお一人を“殺せ”とおっしゃった?(笑み型を保つ唇がしらじらしいほど丁寧に問いを紡いだ。迂遠な言い回しで、こちらが一方的にそう受け取ったのだという逃げ筋は残させない。仮にそのような切り捨て方をする心積もりであるなら今明言させたところで結末は同じだろうから、男が忠臣ぶる上で王に肯かせることの罪悪感は持たなかった。見据える先で王は逡巡のようなものを垣間見せたように感じたが、肯定は確かに返る。男のほうも静かに瞬きを繰り返して、然程の間を置かずにまたゆったりとこうべを垂れて見せた。)御意に。(涼やかにいらえて、重なる念押しにも同じ態度を見せてから、やがてその場は先に辞した。なるべくひそめた靴音に合わせて、焔色の髪先が揺れる。夜の通路に設えられた灯りを少しだけ返して、燃ゆるような濃淡を描いていた。)
(付き人に任ぜられる前から住居は替えていない。寮舎に戻るのが順当だったろう歩みは途中で逸れた。星明りの下を歩んだのは束の間で、靴音は回廊に刻まれる。やがて辿り着いた重たい扉を男は両手で押し開けた。人影の無い礼拝堂には静穏がある。ステンドグラスは夜空の光を通していない。色彩が今は暗がりに沈むままであるのを、確かめるでもなく単に視界に入れて、信徒席の最後列に足を運んだ。座しはせず、ただ少し凭れる。緩やかに瞬く双眸が、幾許間を置いてから下向いたものとなり、)……ふ、ッハハハハ(ややして震える肩と同じ拍をして、呼気が笑ってしまった。呆れを色濃くした響きが暫し、他の誰の耳に入るでもないまま響いて、温度の変わらぬ溜め息で一つ区切りを迎える。)嗚呼――……バカかオレは。……(自嘲だとか、自罰だとか、そういった念が全く無いわけではないけれど、単に苦笑に近かった。片手を信徒席の背凭れに置き、もう片手を自身の腰に当ててまた静けさばかりに身を浸す。思考の整理を試みてはいたが、あまり上手くは行っていなかった。取り留めも無いことばかりが脳裏に巡っている。――禁忌の双ツ子、秘されたひとりと、装うひとり。どこに境があっただとか、なぜ知らされていなかっただとか、そんなことは今以て問う気にならない。一度吐き出した嘘とは貫くべきものだ。民を治める国主も、あの可愛らしい主も厄介な女も、そうして己も。バートラム・カイ・スタンバーグという騎士がそのための駒であることに異論は無い。ついでを並べるなら、無茶振りされることは純然と好む性質でもあった。それくらい熟せるだろうと信を置かれて悪い気はしない。しないがしかし、)全部はちと厳しいなァ……同じ血が揃えて好き勝手言いやがる。面倒くせえな、(低音は舌打ち交じり。身体がぎこちなさを帯びたのは、顔を上げようとした刹那だけ。動き始めてしまえば滑らかに背筋を正して、男は頬に落ちた髪を掻き上げた。五指で梳いて後ろに流し、短く吐く息が口唇に笑みの余韻を残す。空にして下がった手は腰に佩いた剣に乗った。握り慣れた柄を軽くなぞって、剣身は鞘のうちに伏せたまますぐに離れる。幾重も矛盾を絡めた建前と真相をすべて揃えるには、男の腕も頭も記憶も一つでは足りそうにないけれど、如何せんこの身ははんぶんに裂けそうにはない。殊更にどうしようもないのは心だった。カツと小さく靴底を鳴らして、男は間も無く踵を返す。向かう先は疾うに決まっていて、焔が何に届くかはどうせあの棘次第だ。)
(付き人に任ぜられる前から住居は替えていない。寮舎に戻るのが順当だったろう歩みは途中で逸れた。星明りの下を歩んだのは束の間で、靴音は回廊に刻まれる。やがて辿り着いた重たい扉を男は両手で押し開けた。人影の無い礼拝堂には静穏がある。ステンドグラスは夜空の光を通していない。色彩が今は暗がりに沈むままであるのを、確かめるでもなく単に視界に入れて、信徒席の最後列に足を運んだ。座しはせず、ただ少し凭れる。緩やかに瞬く双眸が、幾許間を置いてから下向いたものとなり、)……ふ、ッハハハハ(ややして震える肩と同じ拍をして、呼気が笑ってしまった。呆れを色濃くした響きが暫し、他の誰の耳に入るでもないまま響いて、温度の変わらぬ溜め息で一つ区切りを迎える。)嗚呼――……バカかオレは。……(自嘲だとか、自罰だとか、そういった念が全く無いわけではないけれど、単に苦笑に近かった。片手を信徒席の背凭れに置き、もう片手を自身の腰に当ててまた静けさばかりに身を浸す。思考の整理を試みてはいたが、あまり上手くは行っていなかった。取り留めも無いことばかりが脳裏に巡っている。――禁忌の双ツ子、秘されたひとりと、装うひとり。どこに境があっただとか、なぜ知らされていなかっただとか、そんなことは今以て問う気にならない。一度吐き出した嘘とは貫くべきものだ。民を治める国主も、あの可愛らしい主も厄介な女も、そうして己も。バートラム・カイ・スタンバーグという騎士がそのための駒であることに異論は無い。ついでを並べるなら、無茶振りされることは純然と好む性質でもあった。それくらい熟せるだろうと信を置かれて悪い気はしない。しないがしかし、)全部はちと厳しいなァ……同じ血が揃えて好き勝手言いやがる。面倒くせえな、(低音は舌打ち交じり。身体がぎこちなさを帯びたのは、顔を上げようとした刹那だけ。動き始めてしまえば滑らかに背筋を正して、男は頬に落ちた髪を掻き上げた。五指で梳いて後ろに流し、短く吐く息が口唇に笑みの余韻を残す。空にして下がった手は腰に佩いた剣に乗った。握り慣れた柄を軽くなぞって、剣身は鞘のうちに伏せたまますぐに離れる。幾重も矛盾を絡めた建前と真相をすべて揃えるには、男の腕も頭も記憶も一つでは足りそうにないけれど、如何せんこの身ははんぶんに裂けそうにはない。殊更にどうしようもないのは心だった。カツと小さく靴底を鳴らして、男は間も無く踵を返す。向かう先は疾うに決まっていて、焔が何に届くかはどうせあの棘次第だ。)