(宵に寄せ、暁の女神が待つは花の終わりのための四重奏曲。)
(「どうしてわたしもいってはいけないの」と何度繰り返したかわからない妹の声に父は何度繰り返したかわからない説得を試みるも何度繰り返しても何度繰り返しても納得するわけがなかった。だって同じ顔をした姉はきらきらでちかちかでまるで御姉様たちみたいなドレスを着て、それからくるくるでふわふわに髪の毛も綺麗に整えてもらって、つやつやでぴかぴかな見た事ない靴を履かせてもらって、寝台の上で寝衣のままの妹は純粋に羨ましかった。何も納得が出来なかった。もう何度目かわからない。走る馬を見に行くのも、演奏会に行くのも、全部姉だった。その度にお菓子やぬいぐるみを王はくれたけど、何も納得出来なかった。ちっとも嬉しくなかった。これまでの我慢が爆発して我が侭言って、泣いて、喚いて、みんなを困らせた最後の日は御兄様の婚礼の日だった。侍女だけでは手がつけられぬと忙しい父まで双子の部屋から出られなくなった。元々父は妹には滅法弱くて、それから多くの子どもと接するのだってそれぞれの母に任せきりで、説得という意味では何の役にも立たなかったのだが。ともかく一度喚き出したらもう止められないから「いつもいつもわたしだけおいていくの。いつもいつも。だれかとおはなししてはいけない。おそとにでてはいけない。おうたをうたってはいけない。いつもいつも!」と、この数年の不平不満が怒涛の勢いで溢れ出る。次第にそんな積もり積もった濁流もしゃくり上げる声に掻き消されてしまう。心配する姉を先に送り出し、父と妹は二人きりになってから妹だけに贈る約束を与える。約束とは小さな指輪。父が外遊中のお忍びで街に降りて亡き母に出会ったとき、その場にあった露店で買い求め、会って間も無い母にすぐさま贈ったのだという曰く付きの指輪だ。特別に、御前だけに、父様と母様が結婚の約束をした指輪をあげるからどうか静かにしておくれ――とはまさに文字通り子供騙しで、だけどその時の妹には指輪だなんて代物は嬉しくて嬉しくて、大きく首を縦に振ったのだった。白いシーツを頭からかぶって、「わたしおとうさまとけっこんするのよ」と寝台の上で跳ね回って、また父を困らせたのだった。それからは事あるごとに指輪をあげたのだから、指輪をもらったのだから、と我が侭も鳴りを潜めて今に至る。)
(太陽の御手は既に遠くの国に在った。空は夜の帳に覆われて、束の間の静けさが世界を満たしている。王城とて然り。末の姫の窓から黒い鳥の影がスィと飛び出して、宵色に紛れ、星影に馴染み、風を受けてそれは王城の上空をひとたび旋回し、王城の最奥に消えた。「御父様の手紙?」とは衝立の向こうからの声。末の姫の自室はひとつ。万一の行き違いも起こらないように同じ空間で寝起きし、非番の方はその部屋から出ない。産まれた時から守られてきた決まりだった。木製の衝立で仕切ってはいるものの相手が何をしているかなど大体手にとるように分かる。とはいえ、日中は一人きりになることが多いのだからそれで不便したことは特になかった。)ええ。身体の具合はどうかですって。……結局気付いていないのね。(父は個人的な連絡を双子に送るときは決まって鳥の姿の使いを窓から忍び込ませた。此度は妹へ。一枚目の手紙は今日具合が悪かったことを侍女から聞いての気遣いの手紙であった、それから二枚目と三枚目は――、「何か他に書いてあったの?」などと尋ねられたのは紙の音からそれが複数枚であるのに気付いた為だろう。)御見舞いの品の候補。 焼き菓子に飴に本にそれからぬいぐるみ……だなんて、何歳だと思っているのかしらね。(以前の手紙の出来事をつらつらと並べてみせた。此度この手紙の内にそれはない。何故なら直々に見舞うことはもう無いのかもしれないから。三枚目の魔法陣がそれを知らせていた。「ね、これから私たち――」)そういえば御身体の具合は? もう平気? 早く寝たほうがいいのではない?(姉が何か今後のことを言いたげに声を上げるもそれを遮るように言葉を重ねた。衝立を挟んで沈黙が暫し二人の間に落ちる。姉を傷付けたいわけでは無いのに。)……きっと、貴女の晴れ姿は綺麗なのでしょうね。楽しみよ。とってもとっても。直接は見られないけれどとても楽しみよ。 いいえ。私には結婚は無理よ。だってね、ほら、私はずっとずっと前に御父様と結婚するお約束をしているもの。(それは唯の親子の戯れの一つで何の意味も無い。父は忘れてさえいるだろう。それでもこの場を和ませようという妹の意図は姉に伝わるはずで、姉も「そうね。そうだったわね……」などと納得ではなく諦めを示して言葉を閉じるのだった。姉が末の姫として外へ赴く代わりに、妹は特別な指輪を手に満足していた。時が経って道理を理解するまではそれで満足だった。)ね、お祝いしましょう。 私たちのアルシノエが無事に花嫁になれることに。それから貴女に。(手紙を寝衣の内に仕舞い込んでしまうと寝台の上に立って衝立の向こうを覗く。そこには同じ顔して寝台に横たわる人がいる。)紅茶とミルクと蜂蜜とをたっぷり入れて乾杯しましょう。 ね、私用意させてくるわ。そこで待っていて。(寝台から飛び降りるや否や、部屋を飛び出す。姉はその時耳にした音に何度か浮かべつつも尋ねられずにいた疑問を思い出す。妹から近頃知らない音がする。あの秋の日に初めてこの部屋に戻らなかった日からだ。指輪も音色も、妹だって姉にはないものを持っていた。)
(甘くて優しい香りに満たされて、衝立越しに乾杯をして姉はいよいよ聞いた。「その音はなあに」と。)――秘密よ。(衝立の向こうの顔は見えない。姉は妹の顔がわからない。しかしそれは確かな別離の証だと気付く。随分と前に共に二人で歩いて来た道は分たれたのだ。この乾杯はさよならの乾杯だと二人共が理解していた。)
(太陽の御手は既に遠くの国に在った。空は夜の帳に覆われて、束の間の静けさが世界を満たしている。王城とて然り。末の姫の窓から黒い鳥の影がスィと飛び出して、宵色に紛れ、星影に馴染み、風を受けてそれは王城の上空をひとたび旋回し、王城の最奥に消えた。「御父様の手紙?」とは衝立の向こうからの声。末の姫の自室はひとつ。万一の行き違いも起こらないように同じ空間で寝起きし、非番の方はその部屋から出ない。産まれた時から守られてきた決まりだった。木製の衝立で仕切ってはいるものの相手が何をしているかなど大体手にとるように分かる。とはいえ、日中は一人きりになることが多いのだからそれで不便したことは特になかった。)ええ。身体の具合はどうかですって。……結局気付いていないのね。(父は個人的な連絡を双子に送るときは決まって鳥の姿の使いを窓から忍び込ませた。此度は妹へ。一枚目の手紙は今日具合が悪かったことを侍女から聞いての気遣いの手紙であった、それから二枚目と三枚目は――、「何か他に書いてあったの?」などと尋ねられたのは紙の音からそれが複数枚であるのに気付いた為だろう。)御見舞いの品の候補。 焼き菓子に飴に本にそれからぬいぐるみ……だなんて、何歳だと思っているのかしらね。(以前の手紙の出来事をつらつらと並べてみせた。此度この手紙の内にそれはない。何故なら直々に見舞うことはもう無いのかもしれないから。三枚目の魔法陣がそれを知らせていた。「ね、これから私たち――」)そういえば御身体の具合は? もう平気? 早く寝たほうがいいのではない?(姉が何か今後のことを言いたげに声を上げるもそれを遮るように言葉を重ねた。衝立を挟んで沈黙が暫し二人の間に落ちる。姉を傷付けたいわけでは無いのに。)……きっと、貴女の晴れ姿は綺麗なのでしょうね。楽しみよ。とってもとっても。直接は見られないけれどとても楽しみよ。 いいえ。私には結婚は無理よ。だってね、ほら、私はずっとずっと前に御父様と結婚するお約束をしているもの。(それは唯の親子の戯れの一つで何の意味も無い。父は忘れてさえいるだろう。それでもこの場を和ませようという妹の意図は姉に伝わるはずで、姉も「そうね。そうだったわね……」などと納得ではなく諦めを示して言葉を閉じるのだった。姉が末の姫として外へ赴く代わりに、妹は特別な指輪を手に満足していた。時が経って道理を理解するまではそれで満足だった。)ね、お祝いしましょう。 私たちのアルシノエが無事に花嫁になれることに。それから貴女に。(手紙を寝衣の内に仕舞い込んでしまうと寝台の上に立って衝立の向こうを覗く。そこには同じ顔して寝台に横たわる人がいる。)紅茶とミルクと蜂蜜とをたっぷり入れて乾杯しましょう。 ね、私用意させてくるわ。そこで待っていて。(寝台から飛び降りるや否や、部屋を飛び出す。姉はその時耳にした音に何度か浮かべつつも尋ねられずにいた疑問を思い出す。妹から近頃知らない音がする。あの秋の日に初めてこの部屋に戻らなかった日からだ。指輪も音色も、妹だって姉にはないものを持っていた。)
(甘くて優しい香りに満たされて、衝立越しに乾杯をして姉はいよいよ聞いた。「その音はなあに」と。)――秘密よ。(衝立の向こうの顔は見えない。姉は妹の顔がわからない。しかしそれは確かな別離の証だと気付く。随分と前に共に二人で歩いて来た道は分たれたのだ。この乾杯はさよならの乾杯だと二人共が理解していた。)