(夜の底より生まれきたる)
(まぶたをわずかに持ち上げて、また伏せる。それだけだった。円環のひずみを正せ。そう命ぜられた騎士の、露ほども動揺を見せぬその姿に、玉座におわす王は――眉をひそめたか、あるいは、覚悟を定めた者の潔さと受けとめて頷いたのか。それすら見届けぬまま、低く這う声でひと言、諾と応じれば、今このときより、男は王命を奉ずる騎士となった。――明けの兆しにはまだ遠い。尖塔を後に、しんと冷える夜をゆく。やがてひとけのない歩廊へ出ると、荒い靴音はそこで唐突に止まった。おもむろに振りかざす拳が、重く倦んだ剣筋に似て石柱へと叩きつけられる。鈍い音が跳ね返り、皮膚が裂けて血が滴ったが、色が失せて蝋のようになった面は固く凍りつき、微塵も動かなかった。ほんの些細な震えでひび割れ、たちまち砕け散ってしまうと信じているかのごとく、乾いた唇は呼吸さえも恐れているようだった。)
(瞳は茫洋として、燭台の灯りに浮かびあがる影を見た。付きびとの任と併せて与えられたひとり部屋。あてがわれてしばらくのあいだは、見知らぬ土地へ迷い込んだような居心地の悪さを覚えていたものだ。やわらかな色をした胡桃材の書きもの机には、家族へ宛てた書きかけの手紙が広げられている。近況ひとつしたためて送るにも、なにを綴ればよいのか迷うペン先はインクの染みばかりを増やし、それは向こうも同じだったのだろう。定期的に行き来する書簡は、互いに滑稽なほどぎこちなく、なかば事業報告の様相を呈していた。そうして増えた封筒が、今や抽斗のひとつを占めている。すべて燃やしてしまうべきか、と手をかけてから、今さらなにをと思い直した。不在のあいだに、この部屋は検められているはずだ。家族は初めから承知していたのだろうか、とも考えた。騎士の役目を果たしたあと、引き換えにダニエリの家が賜るなんらかの益のことを。王家の後ろ盾。あるいは棺に飾る勲章。まあよい、とやはり軽くかぶりを振る。おのれが知る必要はないし、確かめる機会も得られぬだろう。そうやってひとつひとつ、取り片づけてゆけるものはさほど多くない。やがて、男のもとには羊皮紙の一片が残された。尖塔の鍵となった魔法陣。寝台に腰を下ろし、膝に肘をついて手のひらで額を支える。――王城の奥、封じられたひとかどに蔽われ続けた最大の禁秘。明かされてしまえば、記憶を照らし合わせるまでもない。呪いがどうやって産声をあげ、ひとの目を閉ざすのか、男は知っている。だというのに、よもや王室が、忌み子を揃って生かすはずがないと思い込んでいた。いや、思い込もうとした、のか。そそぐべき呪いがあるならば、まさにそうした愚かしさこそを指す。過ぎにし十と七年の追憶に、遠くまなざしを向けながら、一国の王であり、双ツ子の父であるひとは語った。今こそ罪をあがなうとき、と。――胸もとへ収めた手巾に、衣の上から触れる。気の慰めというより、もっとたしかなよすががそこにはあった。たとえばそれは、すべての命がひっそりと息絶える夜、高き峰にかかる雪の向こうから現れる光のかたちをしている。生きておられたのだ。我が国における災い、存在のゆるされぬ双ツ子が、どちらも害されることなく、この日まで。もはや、その事実だけで充分だった。唇が痙攣じみてかすかにひらく。俺は、あなたの誇りでいられるだろうか? ――窓から凍て風が忍び入り、その冷たい息が、燭台の火をそっと吹き消した。あとには青い月光が、静かに、静かに男の横顔を照らし続けている。)
(瞳は茫洋として、燭台の灯りに浮かびあがる影を見た。付きびとの任と併せて与えられたひとり部屋。あてがわれてしばらくのあいだは、見知らぬ土地へ迷い込んだような居心地の悪さを覚えていたものだ。やわらかな色をした胡桃材の書きもの机には、家族へ宛てた書きかけの手紙が広げられている。近況ひとつしたためて送るにも、なにを綴ればよいのか迷うペン先はインクの染みばかりを増やし、それは向こうも同じだったのだろう。定期的に行き来する書簡は、互いに滑稽なほどぎこちなく、なかば事業報告の様相を呈していた。そうして増えた封筒が、今や抽斗のひとつを占めている。すべて燃やしてしまうべきか、と手をかけてから、今さらなにをと思い直した。不在のあいだに、この部屋は検められているはずだ。家族は初めから承知していたのだろうか、とも考えた。騎士の役目を果たしたあと、引き換えにダニエリの家が賜るなんらかの益のことを。王家の後ろ盾。あるいは棺に飾る勲章。まあよい、とやはり軽くかぶりを振る。おのれが知る必要はないし、確かめる機会も得られぬだろう。そうやってひとつひとつ、取り片づけてゆけるものはさほど多くない。やがて、男のもとには羊皮紙の一片が残された。尖塔の鍵となった魔法陣。寝台に腰を下ろし、膝に肘をついて手のひらで額を支える。――王城の奥、封じられたひとかどに蔽われ続けた最大の禁秘。明かされてしまえば、記憶を照らし合わせるまでもない。呪いがどうやって産声をあげ、ひとの目を閉ざすのか、男は知っている。だというのに、よもや王室が、忌み子を揃って生かすはずがないと思い込んでいた。いや、思い込もうとした、のか。そそぐべき呪いがあるならば、まさにそうした愚かしさこそを指す。過ぎにし十と七年の追憶に、遠くまなざしを向けながら、一国の王であり、双ツ子の父であるひとは語った。今こそ罪をあがなうとき、と。――胸もとへ収めた手巾に、衣の上から触れる。気の慰めというより、もっとたしかなよすががそこにはあった。たとえばそれは、すべての命がひっそりと息絶える夜、高き峰にかかる雪の向こうから現れる光のかたちをしている。生きておられたのだ。我が国における災い、存在のゆるされぬ双ツ子が、どちらも害されることなく、この日まで。もはや、その事実だけで充分だった。唇が痙攣じみてかすかにひらく。俺は、あなたの誇りでいられるだろうか? ――窓から凍て風が忍び入り、その冷たい息が、燭台の火をそっと吹き消した。あとには青い月光が、静かに、静かに男の横顔を照らし続けている。)