(双つ子のオルトロス)
(蝋燭の灯りだけが頼りなく揺れる自室。寝台の上に散らばる金糸を指先で梳き、手慰みに結い、編み、不安げな面持ちで此方を見上げる姉のひとみを見下ろす。腰に回る腕のか細いこと。けれどそこには確かに体温があって、重みがあって。べつべつの身体が、そこにはあった。)おねえさまの花嫁姿は、誰よりも美しく愛らしいのでしょう。純白のドレスに身を包んだおねえさまをご覧になったお相手は、おねえさまのことを誰よりも大事にしたいと思って下さる筈。(妹は姿見を滅多に覗くことはない。同じ造りをしている筈なのに、同じ器をしている筈なのに、姉と妹ではまるですがたが違うように思われるからだ。みずからのまなうらには一際晴れやかに笑む姉が居る。さいわいを体現する未来図を描きながら、擦り寄るような仕草を見せた姉を不思議そうに見遣った。『ならばあなたは?』婚姻はひとりとひとりしか結べない。当然に浮き上がるであろう疑問符に、伏した睫毛は笑みの気配に揺れる。脳裏を掠めるは此度は双つ子の妹を指定して届けられた一通の手紙。ゆうるり小首を傾ければ、姉と同じ色の、同じ長さの髪が肩口を滑り落ちた。)お父様から先程お手紙を頂いたでしょう。お母様の縁戚がいらっしゃる街に、お父様が働き口を探して下さったみたい。お母様に良く似た孤児の私を、お父様が殊更目を掛けていたと伝えているそうよ。成人を迎えて孤児院を出なくてはならないから、最期にせめてもと居場所を与えて下さったと。王都からは離れるけれど、静かで良い街みたい。(無論、全て出鱈目な創り話だった。手紙に羅列されていたのは身辺整理を告げる王命だけ。見慣れぬ魔法陣が示す先はみずからの終の棲み処か或いは、――馳せていた思考は姉の安堵に震える呼気で霧散する。姉が不在の間のいとまを潰す為に捲っていた書物が妹の貧困な発想を少しばかりは彩ってくれていたらしい。人を疑うことをしない姉は、少しばかり表情を明るくしてくれた。やわらかなまろい頬を指先で撫でながら、妹はしずかに言葉を紡いでゆく。)ねえ、おねえさま。婚姻が結ばれたことは喜ばしいことではあるけれど、辛くなったらいつでも国に遣いを出して。双つ子を禁忌とし、おねえさまに不自由ばかりを強いたこの国のことなんかよりも、これからはおねえさまのことを第一に考えて。おねえさまの騎士様には既に伝えてあるの。約束もして下さった。おねえさまの心身が危ぶまれるようなら、騎士様がこれまでのようにおねえさまを救い出してくれる。(姉を中心に据えた円環が歪むことのないよう、撓むことのないよう、妹は策を練る。騎士との別れに胸を痛めているのか、みずからと同じ声で彼の名を紡いた姉は、心細そうに起き上がる。同じ目線にあかつきを融かし、妹は咄嗟に毛布の上にたなびいていた白いケープをヴェールのようにかぶせた。突然の所業に驚いたように高い声を上げた姉も、そのまま肌を擽るように妹の指先が悪戯に滑ろうものなら、鈴の音を転がすように笑い声をこぼし始める。いとけない姉を慈しむように見つめるあかつきは、まばゆいものでも眺むが如くにほそめられ、ひどくやさしげな声が落ちた。)――……私の愛しいロクサーヌ。おねえさまなら必ずや祝福の花嫁になれるわ。どうか誰よりも幸せに。おねえさまの幸せが、私のいちばんの幸せよ。

(妹は筆を執る。執務机に向き合って、真白の紙を青黛の文字で埋めていく。――姉に成り替わって婚姻の報せを受けた日を最期に、妹は自室の扉を潜ることはなくなった。姉の体調や機嫌が優れぬとしても、妹が替わることはなく、公務を休ませ、ふたりで部屋に閉じこもった。けれど実際のところ姉が寝込むような機会は少なく、別離の期限を知るからこそに馴染み深い使用人たち、そして何より騎士との時間を大切にするべく公務に勤しむ日々が続いている。妹はひとり頬杖をついて窓の外を見上げる。父への返事は疾うにその手に届いているだろう。いらえがないと云うことは、承諾の証と踏んでいた。季節は廻る。17年の秘密を終える時が来る。擦り寄るようにしながら膝の上へと這い上がって来た魔獣がひらいた口腔へ、妹は筆を握らぬ片方の指先を向けた。鋭い牙をあやすように示指が撫でれば、薔薇よりも鋭利な切っ先が肌を裂く。)おまえは私と一緒よ、アイリス。(欠けるのではない。正しい形に、うつくしい真円に、ようやく戻るだけのことだった。)
* 2022/11/19 (Sat) 18:08 * No.8