(最愛のフロガ)
親愛なるロクサーヌ
私の愛しいロクサーヌ、18回目のお誕生日おめでとう。
そちらの国の生活には慣れた頃でしょうか。お身体の調子はどう?
旦那様は優しいお方だったかしら。意地の悪い人だったら、懲らしめに行かないといけませんね。
あなたはやさしいひとだから自分を責めてしまうこともあるかも知れないけれど、あなたが悪いことなんてこれまでもこれからも、ひとつとしてありません。
辛いことがあったら、いつでも針子を頼りにして。
それでもむずかしければ、あなたの騎士を呼び付けること。約束ですよ。
私も変わらず健やかにしていますが、あなたが傍らに居ない日々には今も慣れません。きっとどれだけの日々を重ねても、慣れることはないのでしょう。
たとえ遠く離れていたとしても、私はいつでもあなたの幸いを心から祈っています。
(青黛の文字で綴られた手紙は、これまで双つ子が共にあった年月を織るように、17通分を乳母に託した。末姫の婚姻の報せが国に巡り、姉が一層公務に勤しむようになった傍ら、妹は自室に閉じこもるようになって久しい頃合のことである。基より少なかったみずからの荷物は父の云い付け通りに早々に粗方を処分して、姉が部屋に戻るまで執務机に向かい合う時間を多くしていた。姉に語った創り話を少しでもまことのものとする為に、妹の無事が確かめられる手段としてはこれくらいしか浮かばなかった。姉が1つ歳を重ねる度に届けられることとなる手紙の送り手の名は、敢えて記さぬ儘。尖塔へ呼び付けられた先の未来は判らねど、何れにしても姉との交流が絶たれることは必須である。誤って生まれ育った双つのいのちがひとりのものとなる絶好の機を逃す訳にはいかない。重なる紙片の隙間で浮かび上がる魔法陣からはひとみを背け、妹はしずかに吐息を落とした。妹もまたキュクロスの末の姫であった時分の、話である。)
(妹の眠りは姉の些細な変調を見逃すことのないよう幼き頃から浅いものであり、それは国を後にした今もなかなか変わらぬ習慣だった。詮無い夢を見る機会も多く、重たく持ち上がる目蓋に隠されていた暁のひとみが虚ろに瞬くのも珍しいことではない。どちらが夢か現かの区別もつかぬ儘、細いかいなを宙へ伸ばす。頻度が高いのは、みずからが薔薇庭園の最奥にて血の海に浸っているものだ。右の肩口より愛獣の牙に喰われながら星粒の瞬く夜空を眺める、幼き頃より幾度も描いた自死の手段。みずからの頭蓋など容易に砕けてしまえそうな鋭い牙が生え揃った口腔が此方に迫り、夜空が切り取られるところで目が覚める。自室より金糸を朝焼けに照らされながら、騎士の彼と王城を後にする姉のうしろすがたを見下ろしていることもあった。)――………バートラム、(もし、傍らに彼の体熱があったなら。その懐に潜り込むように更に身体をちいさくまるめ、囁くようにその名をこぼしたことだろう。起こす心算はなかった。応えてくれなくて良かった。その胸許に額を擦り寄るようにして、その鼓動を確かめることが出来るなら、それで。未だに、不思議だった。鞭も人参も持たぬちいさな手を、彼が攫ってくれた奇跡。姉と分かたれたことでみずからの持ち前の棘は使い先を見失い、ますます彼を惑わす要因はなくなってしまった。彼が本来浮き名を流したかったのは、みずからのような可愛げのない子ども相手ではなかろうに。それでも、彼から離されたらみずからは今更ひとりで生きてはいけず。依存の先を姉から彼へ移しただけではないかと不安に思いながらも、彼の服の裾を握り締めてしまう手は、ほどけない。)………息が出来なくなるくらい、抱き締めて、(痛いくらいでないと、夢から醒めないような気がして。斯様なこと、火輪の笑うたもとではとても言葉に出来ない。彼が眠っている時にしか打ち明けられない、新たなちいさき、密かごと。)
(狭き円環で過ごしていた日々では知り得なかったことだけれど、世では名前と云うものは随分と必要な持ちものとなるらしい。忌み子と忌避されていた双つ子の相貌は流石に周辺諸国にまで流布されてはないだろうが、他者の視線を避けるように彼の背後に控え、外套や羽織を被り物が如く目深に纏いたがった。みずからの背後に彼を従えていた王城の記憶は最早遠いもののよう。ちいさな体躯の子どもと世慣れした逞しい彼と、周囲には一体どのような取り合わせに映ったことか。気遣いの心算か、まるで幼子に声を掛けるかのような音吐を向けられたとしても、嘗ては棘を並び立てたくちびるは文句のひとつを擲つでもなく結ばれていることが主だった。姫としての価値を見失ったみずからは、他者との距離感を未だ掴みかねている。返答を求められるようでもこうべを振るって意思表示を示すか、細い指先で指し示すか、或いは彼の服の裾を引いて代わりの受け答えを託すばかり。長く垂れる前髪の下で眉根を顰める無愛想振りは変わらず、まるで口が利けないと誤解されても可笑しくはない様相ではあったが、名を訊ねられた時ばかりはその朱唇が朧に音を生む。)――………アイリス、(母から与えられたみずからには過分の名も、彼より齎される唯一の音も胸に秘め、背後で重たい尾が地を打つ響きが聞こえた気がした。)
そういえば、云い忘れていましたが。(その祝福の報せは海の向こうより齎された。彼と迎えた季節、彼と歩んだ日々をちいさな手に数えながら、その指先みずから彼の体温を求めるようになって久しい。ひらり、はらり、長いスカートの裾をはためかせながら、彼と重なる手を揺らす。いつか公務で赴いた朝市を思い出させる、ひとみに似た朝焼けに照らされながら、妹は、少女は、珍しくかろやかな足取りで彼の前に躍り出る。もうすっかり慣れた高さを見上げて、潮風に長い髪を攫われながら、いたずらに、穏やかに、笑みをこぼす。)不真面目なようで責任感が強いところ。人や魔物を相手にしても物怖じせず卑屈にもならない、肝の据わったところ。気安いようで一線を慎重に見極めて下さる理性的なところ。剣技や魔術に優れた誇り高き騎士であるところ。髪もひとみも焔も、あなたのこころのようにうつくしいところ。ご令兄を大切に思うが故に不器用になってしまうところ。私の大切なものを護り通してくれているところ。私を見付けて、攫ってくれたところ。ずっと優しくあたたかく、私の傍で尽くして下さるところ。私と一緒に、生きてくれるところ。(疲労は未だ遠いところにあったとしても、非力な少女が彼の両のかいなを引き寄せたところで、その安定した体幹が崩れるとは思ってもいない。けれどそこに、もしみずからへの気安さがあったなら。不安定な砂浜につまさきを伸ばし、いつかの彼のようにその耳朶へくちびるは寄せられるだろうか。あわよくばその肌に熱を押し当てることは、どうだろう。何に届くかは、きっと気紛れな焔次第。)――………ねえ、バートラム。私ね、あなたのこと、愛していますよ。
親愛なるおねえさま
私の愛しいロクサーヌ、この度はお子様のご誕生まことにおめでとうございます。
母子ともに健やかであるとの報せを信じこの手紙を綴っておりますが、大層驚いてしまいました。
あんなにもやさしく、か弱く、守らなければならないと思っていたあなたが、立派な母君になられたのですね。
ねえ、おねえさま。祝福の花嫁となるよう私の夢を叶えて下さったおねえさまは、いま誰よりも幸せですか?
おねえさまの幸せが、私のいちばんの幸せ。それはなにひとつ変わりません。
けれどね、おねえさま。私も今、大切な人と幸せに過ごしております。
おねえさまのように光溢るるお方です。強くて優しい、私には勿体の無いお方と掛け替えのない日々を送っています。
ですからどうか、私のことはご心配なさらないで下さいね。
それではまたいつか。おねえさまのお好きな花が咲く頃に。
おねえさまのたったひとりの妹、ロクサーヌ
私の愛しいロクサーヌ、18回目のお誕生日おめでとう。
そちらの国の生活には慣れた頃でしょうか。お身体の調子はどう?
旦那様は優しいお方だったかしら。意地の悪い人だったら、懲らしめに行かないといけませんね。
あなたはやさしいひとだから自分を責めてしまうこともあるかも知れないけれど、あなたが悪いことなんてこれまでもこれからも、ひとつとしてありません。
辛いことがあったら、いつでも針子を頼りにして。
それでもむずかしければ、あなたの騎士を呼び付けること。約束ですよ。
私も変わらず健やかにしていますが、あなたが傍らに居ない日々には今も慣れません。きっとどれだけの日々を重ねても、慣れることはないのでしょう。
たとえ遠く離れていたとしても、私はいつでもあなたの幸いを心から祈っています。
(青黛の文字で綴られた手紙は、これまで双つ子が共にあった年月を織るように、17通分を乳母に託した。末姫の婚姻の報せが国に巡り、姉が一層公務に勤しむようになった傍ら、妹は自室に閉じこもるようになって久しい頃合のことである。基より少なかったみずからの荷物は父の云い付け通りに早々に粗方を処分して、姉が部屋に戻るまで執務机に向かい合う時間を多くしていた。姉に語った創り話を少しでもまことのものとする為に、妹の無事が確かめられる手段としてはこれくらいしか浮かばなかった。姉が1つ歳を重ねる度に届けられることとなる手紙の送り手の名は、敢えて記さぬ儘。尖塔へ呼び付けられた先の未来は判らねど、何れにしても姉との交流が絶たれることは必須である。誤って生まれ育った双つのいのちがひとりのものとなる絶好の機を逃す訳にはいかない。重なる紙片の隙間で浮かび上がる魔法陣からはひとみを背け、妹はしずかに吐息を落とした。妹もまたキュクロスの末の姫であった時分の、話である。)
(妹の眠りは姉の些細な変調を見逃すことのないよう幼き頃から浅いものであり、それは国を後にした今もなかなか変わらぬ習慣だった。詮無い夢を見る機会も多く、重たく持ち上がる目蓋に隠されていた暁のひとみが虚ろに瞬くのも珍しいことではない。どちらが夢か現かの区別もつかぬ儘、細いかいなを宙へ伸ばす。頻度が高いのは、みずからが薔薇庭園の最奥にて血の海に浸っているものだ。右の肩口より愛獣の牙に喰われながら星粒の瞬く夜空を眺める、幼き頃より幾度も描いた自死の手段。みずからの頭蓋など容易に砕けてしまえそうな鋭い牙が生え揃った口腔が此方に迫り、夜空が切り取られるところで目が覚める。自室より金糸を朝焼けに照らされながら、騎士の彼と王城を後にする姉のうしろすがたを見下ろしていることもあった。)――………バートラム、(もし、傍らに彼の体熱があったなら。その懐に潜り込むように更に身体をちいさくまるめ、囁くようにその名をこぼしたことだろう。起こす心算はなかった。応えてくれなくて良かった。その胸許に額を擦り寄るようにして、その鼓動を確かめることが出来るなら、それで。未だに、不思議だった。鞭も人参も持たぬちいさな手を、彼が攫ってくれた奇跡。姉と分かたれたことでみずからの持ち前の棘は使い先を見失い、ますます彼を惑わす要因はなくなってしまった。彼が本来浮き名を流したかったのは、みずからのような可愛げのない子ども相手ではなかろうに。それでも、彼から離されたらみずからは今更ひとりで生きてはいけず。依存の先を姉から彼へ移しただけではないかと不安に思いながらも、彼の服の裾を握り締めてしまう手は、ほどけない。)………息が出来なくなるくらい、抱き締めて、(痛いくらいでないと、夢から醒めないような気がして。斯様なこと、火輪の笑うたもとではとても言葉に出来ない。彼が眠っている時にしか打ち明けられない、新たなちいさき、密かごと。)
(狭き円環で過ごしていた日々では知り得なかったことだけれど、世では名前と云うものは随分と必要な持ちものとなるらしい。忌み子と忌避されていた双つ子の相貌は流石に周辺諸国にまで流布されてはないだろうが、他者の視線を避けるように彼の背後に控え、外套や羽織を被り物が如く目深に纏いたがった。みずからの背後に彼を従えていた王城の記憶は最早遠いもののよう。ちいさな体躯の子どもと世慣れした逞しい彼と、周囲には一体どのような取り合わせに映ったことか。気遣いの心算か、まるで幼子に声を掛けるかのような音吐を向けられたとしても、嘗ては棘を並び立てたくちびるは文句のひとつを擲つでもなく結ばれていることが主だった。姫としての価値を見失ったみずからは、他者との距離感を未だ掴みかねている。返答を求められるようでもこうべを振るって意思表示を示すか、細い指先で指し示すか、或いは彼の服の裾を引いて代わりの受け答えを託すばかり。長く垂れる前髪の下で眉根を顰める無愛想振りは変わらず、まるで口が利けないと誤解されても可笑しくはない様相ではあったが、名を訊ねられた時ばかりはその朱唇が朧に音を生む。)――………アイリス、(母から与えられたみずからには過分の名も、彼より齎される唯一の音も胸に秘め、背後で重たい尾が地を打つ響きが聞こえた気がした。)
そういえば、云い忘れていましたが。(その祝福の報せは海の向こうより齎された。彼と迎えた季節、彼と歩んだ日々をちいさな手に数えながら、その指先みずから彼の体温を求めるようになって久しい。ひらり、はらり、長いスカートの裾をはためかせながら、彼と重なる手を揺らす。いつか公務で赴いた朝市を思い出させる、ひとみに似た朝焼けに照らされながら、妹は、少女は、珍しくかろやかな足取りで彼の前に躍り出る。もうすっかり慣れた高さを見上げて、潮風に長い髪を攫われながら、いたずらに、穏やかに、笑みをこぼす。)不真面目なようで責任感が強いところ。人や魔物を相手にしても物怖じせず卑屈にもならない、肝の据わったところ。気安いようで一線を慎重に見極めて下さる理性的なところ。剣技や魔術に優れた誇り高き騎士であるところ。髪もひとみも焔も、あなたのこころのようにうつくしいところ。ご令兄を大切に思うが故に不器用になってしまうところ。私の大切なものを護り通してくれているところ。私を見付けて、攫ってくれたところ。ずっと優しくあたたかく、私の傍で尽くして下さるところ。私と一緒に、生きてくれるところ。(疲労は未だ遠いところにあったとしても、非力な少女が彼の両のかいなを引き寄せたところで、その安定した体幹が崩れるとは思ってもいない。けれどそこに、もしみずからへの気安さがあったなら。不安定な砂浜につまさきを伸ばし、いつかの彼のようにその耳朶へくちびるは寄せられるだろうか。あわよくばその肌に熱を押し当てることは、どうだろう。何に届くかは、きっと気紛れな焔次第。)――………ねえ、バートラム。私ね、あなたのこと、愛していますよ。
親愛なるおねえさま
私の愛しいロクサーヌ、この度はお子様のご誕生まことにおめでとうございます。
母子ともに健やかであるとの報せを信じこの手紙を綴っておりますが、大層驚いてしまいました。
あんなにもやさしく、か弱く、守らなければならないと思っていたあなたが、立派な母君になられたのですね。
ねえ、おねえさま。祝福の花嫁となるよう私の夢を叶えて下さったおねえさまは、いま誰よりも幸せですか?
おねえさまの幸せが、私のいちばんの幸せ。それはなにひとつ変わりません。
けれどね、おねえさま。私も今、大切な人と幸せに過ごしております。
おねえさまのように光溢るるお方です。強くて優しい、私には勿体の無いお方と掛け替えのない日々を送っています。
ですからどうか、私のことはご心配なさらないで下さいね。
それではまたいつか。おねえさまのお好きな花が咲く頃に。
おねえさまのたったひとりの妹、ロクサーヌ
ロクサーヌ * 2022/12/6 (Tue) 22:34 * No.1