(ロマネサイトの瑞夢。)
(春宵の饗宴へと足を踏み入れるや否や、噂好きの貴婦人に囲まれた末の姫。朧雲は月の輪郭を霞ませても、険のある顔立ちまでは暈してはくれないから、努めてまなじりを和らげる。父王が現王妃を迎えてから早数年。未だ子宝を授からない継母への罪悪感もあり、彼女の召致には必ず応じているのだけれど、如何せん夜会が多い。王族でありながら実母を畜生腹へと貶め、成り損ないとして生まれた末姫は贅沢に飽きた貴族の格好の好餌である。淀んだ高貴に喰い荒らされる半分を所望しているのか、純粋な厚情による招待なのかは判じかねるけれど、いずれにせよ面倒に変わりはない。上滑りの歓談に辟易し、そんなにも「半分」が見たいのならと道化を演じ始めた体たらくであるから、王妃に告げられるまで騎士の存在すら認知していなかった。初仕事を務める彼らに労いを、と乞われてようやく焦点が合う。いとけない騎士らを一瞥して、名無しの蒼は微笑んだ。)滅相もない。彼らは次代を担う真円の騎士。王妃陛下の御声こそ今生の宝となりましょう。私などに言祝がれては、あまりに哀れというものです。(それはまだ、アメリア・キュクロスの半分が双ツ子の因習に苛まれ、絶望していた頃の話。)

(むずかるように震えた睫が、ゆっくりと上を向く。黎明を告げる紫水晶をぼんやりと眺めて、夢うつつを彷徨うように瞬いた。)……おはよう、ケヴィン……。(かんむりの中央で輝く宝石とは程遠い、油断しきりの寝ぼけた声が愛しい音韻をなぞる。甘やかしの少年騎士、もとい甘やかしの恋人との出会いから三度目の秋。夜色の髪に触れたまま一日を終えて、一日のはじまりに紫水晶を映し出す毎日は嘘みたいに穏やかで、時たま無性に泣きたくなる。金糸を撫ぜやる手のひらを手繰り寄せ、その存在を確かめるように頬を寄せよう。私の幸い。私のすべて。どれだけ甘やかされても未来は怖いままだから、今朝の約束が果たされてようやく安堵する。)よかった。(砂糖菓子の微笑みが日常に溶けてゆく。ふたり手を取り合って逃げ出したあの頃と変わらない恐怖が居座る中、あの日から説かれ続ける愛が嬉しくて、明日が怖いと思う分だけ明日を心待ちにしている自分がいた。かつての騎士を真似るように手のひらへと唇を寄せて、改めて決意する。緩やかに人間らしさを宿しゆく蒼とは違い、日ごと精悍さを増すばかりの紫水晶に悪い虫がつかないよう、今日も頑張らなくては。)今日も、きみは私のものだ。

危ないことはしてほしくない。(役立たずの自覚はあった。お荷物の負い目もあった。しかし、身を挺してでも主君を守り抜く騎士の高潔を誰よりも知っているから、護衛業には断固反対の姿勢を貫いた。何より自分以外の主を戴くことが許せない。夜より深い欲心をじりじりと焦がす一方で、日銭を稼ぐどころではない世間知らずに発言権がないことも承知している。気まぐれな末姫に窮していた騎士の苦労を今更思い知りながら、彼について回ること半年とすこし。贋作を売りつける自称宝石商へと冷や水を浴びせたことをきっかけに、鑑定士まがいの仕事を始めてからは彼と離れることも増えた。贅を尽くした元王族の審美眼は同業者と一線を画し、それなりの名声を得たところで依頼を厳選。半ば依頼主を脅す体で採掘師の仕事を手にしたところで、宝石類の採集を言い訳に紫水晶の遠方巡業へ堂々とついていくようになった。持たざる者のためにすべてを捨ててくれた彼だから、大義名分などなくても蒼の同行を許してくれるのだろうけれど、それでは駄目なのだ。もう尽くされるだけの主君ではいたくない。必ずふたりで幸せになるのだ。)

大丈夫じゃない。待ちくたびれた。(紫水晶の献身を踏みにじらんばかりの尖り声が、潮騒に混ざる。夕日や星影が揺らめく波の綾を眺めていたから、その実ちっとも退屈はしていない。しかし小走りの彼をからかわずにはいられなくて、つい意地悪が顔を出してしまった。)冗談だよ。遅いから心配した。(あっさりとした種明かしの後、言いよどむ紫水晶を見つめる。恋愛経験は生憎と彼ひとりだけれど、律儀な彼の「大切な話」に予想がつかないほど幼くはない。やたらと長い無言の時間に笑い出したくなる衝動を抑えて、過日のつんとした騎士を装ったまま、信頼しきりの左手が攫われる。指環が薬指を通るとき、ああこのひとは私に真円を与えてくれるのだと、不思議な感動を覚えた。繊細な意匠はもちろん、手ずから選んでくれたのだろう彼の心に魅入られて、蒼は指環へと縫いつけられる。双晶のペンダントが海風に揺れた。)とんでもない国だな。キュクロスの民が卒倒しそうだ。(小さく微笑んで、まっすぐな宣誓に聞き入る。やっぱり彼の言葉は魔法みたいだ。人形に心を宿し、涙を与え、未来さえも導いてくれる。過分な幸福に眉尻を下げた。)あのときよりも、私は自信をなくしているよ。世界の広さを知れば知るほど、私なんかよりずっときみに相応しい半分のオレンジがこの世界のどこかにいるんじゃないかって、思わずにはいられない。(もう自嘲は浮かばない。紫水晶が恋してくれる自分自身のことを、半円の上の明星を、ほんのすこしずつ好きになれていた。無論、彼ほどではないけれど。)でも、そろそろ心配しなくてもいいのかな。自信がなくてもいいだなんて、きみ、もしかして私にべた惚れなの?(上機嫌な戯れの笑声は、目覚めのたびに世界を彩る恋と愛が織りなす幸いの音。紫の引力に身を任せて、その胸へと飛び込もう。)喜んで。私も、ケヴィンと家族になりたい。(衣擦れの音がよく響く、彼だけがくれる窮屈であたたかい世界。ここでアルフェッカは生まれた。母を知らず、父に捨てられ、紫水晶に家族を捨てさせた蒼はやはり不純物でしかないけれど、紫水晶が共生を許してくれるというのなら。紫水晶の中で輝くさやけき明星として、半分でも真円でもない、自分たちだけの家族のかたちを作っていけたら。重なる鼓動。降り注ぐ星々。天の祝福を目に焼き付けたいのに、涙で滲む世界では彼のぬくもりしか分からない。)ケヴィン。生まれてきてくれて、私を見つけてくれてありがとう。(あの春の宵、紫水晶のあやまちに心からの感謝を捧げよう。彼が見つけてくれなければ、このありふれたハッピーエンドは迎えられなかった。幸福の証たるかんむり宝石が静かに頬を伝う。ああ、)――生まれてきてよかった。愛してる、ケヴィン。

(もしもこの水底に、時渡りの人魚がいるのなら。理不尽な運命に怒り、やがて諦めた名無しの少女へと教えてあげてほしい。世界は広いこと。双ツ首の呪いは解けること。いつかもらえる名前が、とてもとても美しいこと。そして、とびきりの幸せに彩られた恋物語のことを。)
アルフェッカ * 2022/12/10 (Sat) 12:39 * No.11