(幸いあれ)
(高き峰にかかる雪の向こうから、姿を現すひかりがあった。暗闇のなかで差す一条は、やがて大地をあまねく照らすまでに広がって、凍える者たちの身体をあたため、すべての生ある者たちへと祝福をさずける。いつの日にかそういう手を、ほんの少しでも伸べられるようなひとでありたい――そう、おぼろげな未来を思いえがきこそすれ、しかしながら。ああ、それまでの、ほんのひとときばかりは、天のまなこからも逃れるよう、あなたとふたり、ただふたりきり、はざまの世界でまどろんでいたい。頼れるかいなのうちでそんなことすら考える。髪を整えることを、こんなにも惜しいと感じたのははじめてだ。陽が昇り、また沈むころには、どこかの宿屋の扉を叩いて腰を落ち着ける必要があるだろう。どの街道へと馬の鼻づらを向けるがよいか、国境の情報もまた集めなければならない。そうした、幾日かの逗留ののち、そこの世話好きのおかみさんに鋏を入れてもらうのも、きっとすぐのことになる。それでも、どうか、知って、憶えていてほしかった。これより先は、ただひとりのためだけにゆく道ではない。多くの人びとと出会い、ときにはその手をとり、心を交わし、やがて別れを繰り返す。あまたのえにしを胸にいだく旅路のうち――たしかにあなたに、あなただけに、いつとて焦がれてのぞむ心があるということ。わたしを“最愛”と呼んでくれるあなたもまた、わたしのゆいいつ、わたしの最愛。ひとがなにかを欠いて生まれるのなら、たといそのうろを埋められずとも、つめたい夜の底で寄り添い、ぬくもりを分かち合うのは、あなたを措いてほかにない。)ジル。(ひかり輝く誓い、誇りの名よ。そばに居てくれるから、どんな困難にだって立ち向かえる。)
(医伯や、治癒者、薬師に、広く門戸をひらく街を訪ねて幾百里。どうにかくだんの土地を探してたどり着くころには、ふるき年はとうに過ぎて、暦もあらためられていただろう。やがて、ささやかな住まいを見いだし、生活のすべを模索しながら、日がな教えを乞う師のもとまで押しかけては、いくら弟子はとらぬとすげなく追い返されようともめげずに粘り、ようやく学びのゆるしが得られるころには――季節もすっかりひとまわりをして、ふたたび年の瀬が迫りつつあった。そうして、冬のいちばん寒い時季を越え、北より吹く風に雪や氷の混じらなくなった、とある日のこと。)……あら! 剣の稽古ね? なつかしいわ。(「お師匠」は、はた目には、まあ気むずかしい頑固爺――とは誰が呼んだのだったか、とにもかくにも、かくしゃくとした壮健なご老輩である。街でも名の知れた医伯のひとりではあるものの、その弟子を名乗るとはいえ、当然ながら、まだまだひとを相手どることができるような身分ではない。せいぜいが使い走りや、そこらの農園や牧場、まれに商家の雑用などに遣わされることのほうが主であった。――さても本日は、雪どけも近い春めく日和、胎に仔をかかえた牧場の母山羊たちが、そろそろ産気づきそうだということで、なにごとも経験だろうと手伝いの人員として送り出された次第である。山羊のお産は昼間のうちにはじまることが多く、分娩はおおむね軽く、難産も少ない。見習いが立ち会わせていただくのにももってこいというわけだ。ひとのお産と同じように、たくさんの湯を沸かし小屋のなかをあたためる。山羊飼いたちの見立てによると、もう少しばかり要するとのことで、ひと足先に休息をもらい、外の空気を吸いに表へ出た。いまだ雪の残る牧地の上で、やんちゃな子どもたちの構えを見とめたのは、そんなとき。)……ふふ。これでもね、腕にはちょっぴり覚えがあるのよ。――まあっ。いいわ。よろこんで、お相手つかまつりましょう。見くびると痛い目を見ると思うのだけれど、(かかっていらっしゃい。幼き日、王城ですぐ上の兄君たちとそうしたように。――その、ささやかな勝負がひょんなことから白熱するあまり、山羊たちのお産がはじまったと、小屋から大声で呼ばれるまで気がつかなかったことは、それから笑い話として、しばらくのあいだの語り草となるだろう。いずれ“彼”の耳まで入るころには、だいぶん恥ずかしがっては、小さく縮こまっていたはずだ。いまだ冬の気配も色濃く残る春先に、つぎつぎ上がる産声たち。生ける命の熱を抱いて、その重みを腕に沁み込ませる。これから幾度となく手を伸べる、これが、はじまり。)
(ゆきてかえりし。けして逃げおおせるために、生まれ落ちたキュクロスの国を出たのではない。いつかに必ず、還りくる。それは世の流れにたゆたう木の葉が、ひと知れず大河のほとりへと流れ着くように。ただし、あらゆる物ごとには区切りをつけねばならず、それゆえに、やはり、いつかのごとく少なからぬ“時”を待つ必要があった。――たとえば、かつての半分の姫君が隣国へと嫁いだのち子を生し、立派にお役目を果たされるようになるまで。あるいは、ひずみなき真円を戴く御代がまたひとつ移ろい、新たに立つ王の治むる世の幕が上がるまで。とはいえ、この手が皺を刻むにはまだはやい。ひとの営みに基づく智慧を学び、わざを身につけ、王領のどこかでひそかに居を構える駆け出しの「若先生」。ときには物騒なお客が訪れることもあるかもしれない。それでも、求めがあればいずこにでも飛んでゆき、夜の底で凍えゆく名もなき者たちの、その肩を、背を、ときに抱いては撫ぜながら、あたたかな励ましとしたがった。こぼれ落ち、亡霊となる人びとへ寄り添い生きてゆく。知っている。ほんとうは、老いも若きも、生まれや立場さえも飛び越えて、誰もがひとしく、母なる大地のいとし子なのだと。おのれの代かぎりで遂げられるような話では、到底ない。なんの隔たりもなく、みなが春の陽ざしを当たり前に享受することのかなう日は、いまはまだ、はるかに遠い果てのこと。されど――それを“めぐらせて”ゆけるのが、われらひとであるならば、)さあ、いきましょう!(往きましょう。生きましょう。命のかぎり、あなたとともに。いつかに見た、ひかり降る町をはしゃいで駆けてゆく幼いきょうだい。彼ら彼女らが、双ツ子であろうと同じく。ひとの身はやがて朽ちるが、その想いは、言葉は、繋いで継いでゆくなら千年も残る。それもまた、円環のひとつだ。めぐりめぐる、これは名もなきおとぎ話。)
(医伯や、治癒者、薬師に、広く門戸をひらく街を訪ねて幾百里。どうにかくだんの土地を探してたどり着くころには、ふるき年はとうに過ぎて、暦もあらためられていただろう。やがて、ささやかな住まいを見いだし、生活のすべを模索しながら、日がな教えを乞う師のもとまで押しかけては、いくら弟子はとらぬとすげなく追い返されようともめげずに粘り、ようやく学びのゆるしが得られるころには――季節もすっかりひとまわりをして、ふたたび年の瀬が迫りつつあった。そうして、冬のいちばん寒い時季を越え、北より吹く風に雪や氷の混じらなくなった、とある日のこと。)……あら! 剣の稽古ね? なつかしいわ。(「お師匠」は、はた目には、まあ気むずかしい頑固爺――とは誰が呼んだのだったか、とにもかくにも、かくしゃくとした壮健なご老輩である。街でも名の知れた医伯のひとりではあるものの、その弟子を名乗るとはいえ、当然ながら、まだまだひとを相手どることができるような身分ではない。せいぜいが使い走りや、そこらの農園や牧場、まれに商家の雑用などに遣わされることのほうが主であった。――さても本日は、雪どけも近い春めく日和、胎に仔をかかえた牧場の母山羊たちが、そろそろ産気づきそうだということで、なにごとも経験だろうと手伝いの人員として送り出された次第である。山羊のお産は昼間のうちにはじまることが多く、分娩はおおむね軽く、難産も少ない。見習いが立ち会わせていただくのにももってこいというわけだ。ひとのお産と同じように、たくさんの湯を沸かし小屋のなかをあたためる。山羊飼いたちの見立てによると、もう少しばかり要するとのことで、ひと足先に休息をもらい、外の空気を吸いに表へ出た。いまだ雪の残る牧地の上で、やんちゃな子どもたちの構えを見とめたのは、そんなとき。)……ふふ。これでもね、腕にはちょっぴり覚えがあるのよ。――まあっ。いいわ。よろこんで、お相手つかまつりましょう。見くびると痛い目を見ると思うのだけれど、(かかっていらっしゃい。幼き日、王城ですぐ上の兄君たちとそうしたように。――その、ささやかな勝負がひょんなことから白熱するあまり、山羊たちのお産がはじまったと、小屋から大声で呼ばれるまで気がつかなかったことは、それから笑い話として、しばらくのあいだの語り草となるだろう。いずれ“彼”の耳まで入るころには、だいぶん恥ずかしがっては、小さく縮こまっていたはずだ。いまだ冬の気配も色濃く残る春先に、つぎつぎ上がる産声たち。生ける命の熱を抱いて、その重みを腕に沁み込ませる。これから幾度となく手を伸べる、これが、はじまり。)
(ゆきてかえりし。けして逃げおおせるために、生まれ落ちたキュクロスの国を出たのではない。いつかに必ず、還りくる。それは世の流れにたゆたう木の葉が、ひと知れず大河のほとりへと流れ着くように。ただし、あらゆる物ごとには区切りをつけねばならず、それゆえに、やはり、いつかのごとく少なからぬ“時”を待つ必要があった。――たとえば、かつての半分の姫君が隣国へと嫁いだのち子を生し、立派にお役目を果たされるようになるまで。あるいは、ひずみなき真円を戴く御代がまたひとつ移ろい、新たに立つ王の治むる世の幕が上がるまで。とはいえ、この手が皺を刻むにはまだはやい。ひとの営みに基づく智慧を学び、わざを身につけ、王領のどこかでひそかに居を構える駆け出しの「若先生」。ときには物騒なお客が訪れることもあるかもしれない。それでも、求めがあればいずこにでも飛んでゆき、夜の底で凍えゆく名もなき者たちの、その肩を、背を、ときに抱いては撫ぜながら、あたたかな励ましとしたがった。こぼれ落ち、亡霊となる人びとへ寄り添い生きてゆく。知っている。ほんとうは、老いも若きも、生まれや立場さえも飛び越えて、誰もがひとしく、母なる大地のいとし子なのだと。おのれの代かぎりで遂げられるような話では、到底ない。なんの隔たりもなく、みなが春の陽ざしを当たり前に享受することのかなう日は、いまはまだ、はるかに遠い果てのこと。されど――それを“めぐらせて”ゆけるのが、われらひとであるならば、)さあ、いきましょう!(往きましょう。生きましょう。命のかぎり、あなたとともに。いつかに見た、ひかり降る町をはしゃいで駆けてゆく幼いきょうだい。彼ら彼女らが、双ツ子であろうと同じく。ひとの身はやがて朽ちるが、その想いは、言葉は、繋いで継いでゆくなら千年も残る。それもまた、円環のひとつだ。めぐりめぐる、これは名もなきおとぎ話。)
シェリル * 2022/12/10 (Sat) 23:11 * No.13