(一人では何にもできないお姫様。)
え、(髪を売る。突如降ってきた驚きに、手からフォークを取り落とす。テーブルとぶつかりこつんと音を立て転がしたまま、見開く目で己の騎士を見上げていた。たっぷり沈黙した後、眉をきゅっと寄せて、首から下げているペンダントをつまみ上げる。)これ、売る……? 宝石に興味ないから、構わないけれど。(姉とお揃いになるよう注意を払う必要がなくなれば、ヘリオドールを服の中に隠す必要もなく、胸元でその輝きを放っている。言葉通り宝石自体には興味なく、思い入れがあるだけ。込めてくれた召喚魔法は、彼が居てくれるのなら活躍する場面などなかろう。)……大丈夫? 騙されてない? 髪の毛切ってもらおうとしたところで身包み剥がされない?(ひとまず彼の話を聞くことにすれば、人を疑ってかかる性分が顔を出す。不審げな声が出てしまったものの、彼の仕事話はよくねだって聞いていたから、悪い雰囲気のお店ではないとわかっていた。)実用性で伸ばしていたとは思わなかったわ。魔力、あんまり無駄遣いしては駄目よ。空中を散歩できて楽しかったけれど。(せっかく貯めてたものがなくなってしまったことに、物寂しさを感じて小言を一つ。けれど、きっと彼にとって無駄遣いとは言わないのだろう。駄目だと制しながらも、嬉しげな声なのだから説得力はあるまい。)努力家ね。エリックさんにもできない魔法あるんだ。私も、治癒魔法どころか手当も看病もできないから……確かに、備えは、必要かも。(病気や怪我の心配をする対象が、彼自身も含まれていることに、自分を大事にできるようになってるんだなって、感慨深く見上げつつ。彼が髪を売ろうとする動機を理解しながらも、綺麗な髪を惜しむ気持ちがあった。やっぱりヘリオドールを売っ払ってしまった方がいい気がして、決心を固めようとした時、彼からの提案に視線を泳がせる。)え、なに、急に。……私のこと、なんだと思っているのよ。(相変わらず好きなものは秘密のままなのに、好みをはっきりと訊かれてまごついてしまう。楽しげな様子に遊ばれている気がして抗議しながらも、広がる髪の軌道を目で追って、伝えられる意図にツンと顔を逸して答えよう。)……短いのも、伸ばしてくのも、良いんじゃない。(いろんな彼が見たくなってしまって、照れ隠しに残りの夕食を黙々と咀嚼し、大地の恩寵へと感謝を捧ぐ。後片付けが終わった頃にはすっかりいつもの調子を取り戻し、声を弾ませお願い事をしていた。)髪、切ってしまう前に弄らせて。(彼の近くにスツールを引き寄せ半ば強制。希望通り座ってもらえたなら背中側にまわって、彼が髪を結び直していればリボンを引っ張り解いてしまおう。)私も髪、伸ばそうかな。(おろした髪の毛先はおよそ胸元辺り。伸ばしたって彼ほど高く売れる気はしないけれど、共に伸ばすのも楽しかろう。広がる金糸に指を通し感触を確かめて、用意していたコームを取り出す。不器用に扱いながら髪を束ねて括ろうとし、失敗を繰り返し時折遊びだすこと数回。いつもより高い位置で一つに結ばれた髪を、満足げに見遣る。正面に回り込み、できあがった髪型を鏡で見せながら、うずうずと訊いてみる。)ねぇねぇ。リックさんが働いている喫茶店、人を募集していたりしない? 掃除とか、皿洗いとか、私でもできそうなの。(迷惑だろうと大人しくしようとしていた自制心は、今回のことで吹っ飛んでしまった。髪を短くした彼も見てみたいけれど、髪を売るきっかけなんて、本当はない方がいいに決まっている。)私だと落ち着きがなさすぎてお店に合わないかしら。内職から始めてみるのもいいのかも。ねぇ、一緒に考えてくれる?(一人では何にもできないお姫様だから、己だけの騎士の傍で、できることを探してみよう。)
アナスタシア * 2022/12/11 (Sun) 00:25 * No.14