(自分を大切にするということ。)
(海が見える町に着いて間もなくのこと。どこへ行くにも可能な限り己の騎士へとついて回り、家探しや生活基盤を整えるのにも楽しげにしながら、彼同様多くは望まない。自ら積極的に選んだのは必要最小限の衣服と、贈られた花を飾るための一輪挿しくらいであろう。花瓶の水は毎日取り替えて、新たな生活の象徴は受け取った日と同じように室内へ彩りを与えている。)ほとぼりが冷めるまで、変装することにしたわ。(扉を勢いよく開き、両の手を腰に当てて得意げに宣言を放つ。いつも二つに結んでいた髪は下ろし、白のニットとミモレ丈の黒スカートを身に纏い、変装と称するにはほんの少しの変わり映え。追手を警戒しての行動であれど身を隠すことへの憂いはなく、城からの逃亡を引き続き楽しんですらいた。)今日、天気がよさそうね。絶好のお出掛け日和よ。(生活を新たにしてやるべきことが他にあろうとも、海へ行こうと誘ったこの日、彼に不都合がなければお出掛けと相成ろう。石造りの建物が並ぶ道には雪が降り積もり、手を繋ぐべく「滑りそう」という口実を添え、何食わぬ顔で手を差し伸べる。厳重な毛並みのコートを着るのも適した気温となって、外を出歩く際はフードを被り、髪を隠すことにしていた。白く烟る吐息を零し雪を踏みしめ、海の見える先へ向かっていけば潮の薫りが強くなり、やがてたどり着くのは白浜の広がる海原。ひとけはなく、寄せては返す波の音だけが響き、淡い空のもと揺らめく煌きを見入っていた。)――ここが、海の果てなのかな。(波打ち際まで近寄って、手を繋いでくれていたのならそっと外し、衣服の裾を抑えてしゃがみ込もう。そろりと水面に指先を浸せば凍てつくような温度に手を引っ込めて、砂と海との境界に目を落とす。)自分を大切にするってなんだろうって、ずっと考えていたのだけれど……。(おもむろに口を開き語るのは、生まれの国を発った日に理解しきれなかった話。)自分の嫌なところばかり見ないってことなのかなって思ったの。リックさんが褒めてくれるには、私にも良いところがあるみたいだし、嫌なことばかりに気を取られたら、たとえ何ができるようになったとしても、自分が嫌になってしまうのかなって。(褒める言葉は姉へのものだと受け取れていなかったことも、騎士に己の存在を認識されてから、多少なりとも受け取れるようになっていた。もらった数々の言葉を思い返し穏やかな笑みを湛えて、果ての見えない海の先を見据える。)私のどうしようもないところは変わらないと思うけれど、良いところに目を向けるのなら、少しはできそうな気がするの。嫌なことばかりに向けていた目を、楽しい思い出へ向けられたように。(そう思えたのは、騎士が何度も掬い上げようとしてくれて、己を想い涙してくれたお陰なのだろう。身体は海に向けたまま、伺うように彼の顔を見遣る。)私、エリックさんが自分を貶めるたびに、どうしてそんなに卑下するのだろうと思っていたの。強くて、賢くて、何でもできそうなのに、って。でも、エリックさんだって産まれてすぐに、殺してしまえばよかったのにって思うことも、あったのよね。……私、エリックさんのこと、少ししか知れていない気がするの。気が向いたら、リックさんのこと、何でも教えてほしいな。(自身を貶めていた理由も、彼の過去も気になるけれど、答えにくいこともあろうとはっきりとした疑問の形はとれずにいる。これから長い時を共にしてくれるのだろうから、少しずつ互いを知っていけたならいいなと、変わらず共に在る未来を思い描いた。)
アナスタシア * 2022/12/7 (Wed) 20:18 * No.3