(エレスチャルの残夢。)
(――夢を見ていた。今はもう懐かしい真円の王国にて、うつくしい星と出会い、恋をして、ふたり手を取り合って逃げ出したあの頃の夢を。窓辺にかかるカーテンの隙間から、一条の朝日が差し込んでいる。起き抜けのぼんやりまなこを一度二度と瞬かせ、緩慢に身を起こせば、夢ではない現実の金糸がさらりと手元に触れた。久しぶりに昔のことを思い出したからだろうか。こうして身を寄せ合いながら眠り、ともに新たな朝を迎える。そんな日々を送れていることがなんだか信じられない心地になって、寝台の縁に腰かけたまま愛しい寝顔を覗き込む。真白いシーツに散らばる髪を指先で辿って、そっと頭を撫でようとして。さて夢見のさなかにある蒼が、かつての騎士を映すのはどのタイミングだろう。いずれにせよ、薄明の中で紫水晶が甘やかな微笑みを形作ることに、変わりはないのだけれど。)おはよう、アル。起こしてしまった?(当たり前に紡ぐ挨拶。借りている部屋の手狭を建前にひとつしかない寝床。一日のはじまりから彼女の心を自らでいっぱいにしたい、そんな稚拙な企み。どれだけ季節が巡り、どれほど遠くへ赴いても、同じ言葉を説き続けることを止めるつもりはなかった。あの夜の約束の通りに。)今日の僕も昨日と変わらず……ううん、昨日よりももっと、愛してるよ。(目覚めのたびに褪せることのない恋と愛とを積み重ね、そろそろ三度目の金風の季節。ようやく成人を迎え心なし精悍さも備えた少年の瞳には、相変わらずただのひとりしか見えていない。)
(雪深く険しい峰を空から越え、明るく活気溢れる南海の街にやってきてから紆余曲折。自分以外の、それも元がつくとはいえ丁重に育てられた姫君の人生まで背負うことを選んだ以上、語りつくせない苦労があったことは否定しない。けれど少年は元来尽くしたい性質だ。安宿を渡り歩く生活から、どうにかこうにか住処を得て、商人や貴人を対象とした護衛業によって生計を立てるようになって暫し。体を張る仕事の方が稼ぎがよかったという理由もあれど、国や家を捨ててなお、剣の道を諦めたくないという思いは未だ大きかった。それに対して彼女が何を思っていたのかは与り知らぬところではあるけれど、ひとまず一緒についてくるのでも、ほかのことに興味があるならそちらに専念するのでも。どちらでも好きにしてくれて構わないということは伝えてある。彼女とひと時も離れたくない気持ちも、危険から遠ざけたい気持ちも、どちらも等分に存在していたがゆえの本人任せ。ともかく、賑わいの絶えない交易街を拠点に、時折仕事や旅の名目で遠方へも足を伸ばす。そんな気まぐれな生活は案寧とはほど遠かったかもしれないが、それでも月日を経て変わらないものはいくつかあった。今宵、見られる予定のつるぎ座の流星群もそのひとつ。)
ごめん、遅くなった…!(待ち合わせ場所たる郊外の入り江にやってきた時には、すでに太陽が水平線の向こうへ沈んでしまった後だった。約束では夕方に落ちあう予定だったので、申し訳なさを表情に滲ませたまま、砂浜に小走りの靴跡を刻む。泡立つ白波が寄せては返す海辺の景色は、いつ見てもこの世のものとは思えない。遠く広がる水底には、本当に人魚が存在するのだろうか。ふと、そんなことを考えてしまう程度には冒険好きの影響を受けている自覚もないまま、一番星の輝く夜空を見上げ、彼女の傍へと歩み寄る。)用事があったんだけど……待った、よね?一人で大丈夫だった?(賑わう街や港から離れたこの場所は喧騒とはほど遠く、沖に浮かぶ船影すらない。静かな星見には都合がよくても、彼女を待たせるにはいささか退屈だったかと、心配性が顔を出す。流星群がまだ始まっていないのだけが救いだ。)ええと、それというのも、今日は大切な話があって。(潮騒の音に耳を傾けながら、切り出しにくそうに夜色の髪をかき上げて。たっぷりとした間を挟んだ後、意を決したように彼女の左手を掬う。従者だった昔と変わらぬ恭しさで、けれど一方では許可も取らない傲慢さも持ち合わせたまま、薬指に嵌めたのは婚約指輪だ。白銀のリングに、彼女の虹彩によく似た色のブルーダイヤモンド。添えられたモチーフはオレンジの花らしい。サイズは以前雑談の折に聞き出したから合っているはずだが、それでも緊張した面持ちで。)……この間、話に聞いたんだ。運命の相手や生涯の伴侶を、半分のオレンジって呼ぶ国があるんだって。(「半分」というキュクロスでは最悪の侮辱も、教えが異なれば真逆の意味を持つのだと、国を飛び出して思い知った。途方もないほど世界は広く、人の数は星の海より更に多い。名前すら持っていなかった末姫が、未知に触れて自由に生きてほしい気持ちはあれど、それでも彼女の対になりたいと願ってしまうこの感情は、束縛だとか独占欲と呼べるのだろうか。)アルは前に、僕を繋ぎとめる自信がないって言ったけれど、自信なんてなくたっていい。僕のかけがえのない人は、間違いなくアルだけだから。(まっすぐな宣誓は迷いも折れもしない。出会いの秋に交わした主従の契りとは異なるのに、根底にある一途さは変わりないまま、紫水晶は明星の輝きに焦がれている。一目見た時から、ずっと。)――…ね、家族になってくれる?(長らく保留になっていたプロポーズは今更だろうか。でも受けてもらえると信じているから、握ったままの手を引き寄せて、幾度抱きしめても足りない体躯を両の腕に閉じ込めたがる。ふたり分の鼓動が重なったならきっと、天の星の祝福だって再び降り注いでくれるはず。)
(この世に不変や永遠はなく、人の口にも戸は立てられない。いつかいつかの遠い未来、円環をいただくかの国で、忌まわしき因習が廃れる可能性だって皆無ではないし。半分の姫と紫水晶の騎士が鳥に乗って、世界中を旅するおとぎ話が語り継がれる未来だってあるかもしれない。けれどそれは勇ましい冒険譚でも、死に急ぐ英雄譚でもなく、幸せに彩られた恋物語。めでたしめでたしで締めくくられる、そんなありふれたハッピーエンドだ。)
(雪深く険しい峰を空から越え、明るく活気溢れる南海の街にやってきてから紆余曲折。自分以外の、それも元がつくとはいえ丁重に育てられた姫君の人生まで背負うことを選んだ以上、語りつくせない苦労があったことは否定しない。けれど少年は元来尽くしたい性質だ。安宿を渡り歩く生活から、どうにかこうにか住処を得て、商人や貴人を対象とした護衛業によって生計を立てるようになって暫し。体を張る仕事の方が稼ぎがよかったという理由もあれど、国や家を捨ててなお、剣の道を諦めたくないという思いは未だ大きかった。それに対して彼女が何を思っていたのかは与り知らぬところではあるけれど、ひとまず一緒についてくるのでも、ほかのことに興味があるならそちらに専念するのでも。どちらでも好きにしてくれて構わないということは伝えてある。彼女とひと時も離れたくない気持ちも、危険から遠ざけたい気持ちも、どちらも等分に存在していたがゆえの本人任せ。ともかく、賑わいの絶えない交易街を拠点に、時折仕事や旅の名目で遠方へも足を伸ばす。そんな気まぐれな生活は案寧とはほど遠かったかもしれないが、それでも月日を経て変わらないものはいくつかあった。今宵、見られる予定のつるぎ座の流星群もそのひとつ。)
ごめん、遅くなった…!(待ち合わせ場所たる郊外の入り江にやってきた時には、すでに太陽が水平線の向こうへ沈んでしまった後だった。約束では夕方に落ちあう予定だったので、申し訳なさを表情に滲ませたまま、砂浜に小走りの靴跡を刻む。泡立つ白波が寄せては返す海辺の景色は、いつ見てもこの世のものとは思えない。遠く広がる水底には、本当に人魚が存在するのだろうか。ふと、そんなことを考えてしまう程度には冒険好きの影響を受けている自覚もないまま、一番星の輝く夜空を見上げ、彼女の傍へと歩み寄る。)用事があったんだけど……待った、よね?一人で大丈夫だった?(賑わう街や港から離れたこの場所は喧騒とはほど遠く、沖に浮かぶ船影すらない。静かな星見には都合がよくても、彼女を待たせるにはいささか退屈だったかと、心配性が顔を出す。流星群がまだ始まっていないのだけが救いだ。)ええと、それというのも、今日は大切な話があって。(潮騒の音に耳を傾けながら、切り出しにくそうに夜色の髪をかき上げて。たっぷりとした間を挟んだ後、意を決したように彼女の左手を掬う。従者だった昔と変わらぬ恭しさで、けれど一方では許可も取らない傲慢さも持ち合わせたまま、薬指に嵌めたのは婚約指輪だ。白銀のリングに、彼女の虹彩によく似た色のブルーダイヤモンド。添えられたモチーフはオレンジの花らしい。サイズは以前雑談の折に聞き出したから合っているはずだが、それでも緊張した面持ちで。)……この間、話に聞いたんだ。運命の相手や生涯の伴侶を、半分のオレンジって呼ぶ国があるんだって。(「半分」というキュクロスでは最悪の侮辱も、教えが異なれば真逆の意味を持つのだと、国を飛び出して思い知った。途方もないほど世界は広く、人の数は星の海より更に多い。名前すら持っていなかった末姫が、未知に触れて自由に生きてほしい気持ちはあれど、それでも彼女の対になりたいと願ってしまうこの感情は、束縛だとか独占欲と呼べるのだろうか。)アルは前に、僕を繋ぎとめる自信がないって言ったけれど、自信なんてなくたっていい。僕のかけがえのない人は、間違いなくアルだけだから。(まっすぐな宣誓は迷いも折れもしない。出会いの秋に交わした主従の契りとは異なるのに、根底にある一途さは変わりないまま、紫水晶は明星の輝きに焦がれている。一目見た時から、ずっと。)――…ね、家族になってくれる?(長らく保留になっていたプロポーズは今更だろうか。でも受けてもらえると信じているから、握ったままの手を引き寄せて、幾度抱きしめても足りない体躯を両の腕に閉じ込めたがる。ふたり分の鼓動が重なったならきっと、天の星の祝福だって再び降り注いでくれるはず。)
(この世に不変や永遠はなく、人の口にも戸は立てられない。いつかいつかの遠い未来、円環をいただくかの国で、忌まわしき因習が廃れる可能性だって皆無ではないし。半分の姫と紫水晶の騎士が鳥に乗って、世界中を旅するおとぎ話が語り継がれる未来だってあるかもしれない。けれどそれは勇ましい冒険譚でも、死に急ぐ英雄譚でもなく、幸せに彩られた恋物語。めでたしめでたしで締めくくられる、そんなありふれたハッピーエンドだ。)
ケヴィン * 2022/12/8 (Thu) 01:07 * No.5