(火片のドローマ)
よう、兄上。ご機嫌麗しゅう。(王国の慶び、親愛なる王配陛下の生誕祭である舞踏会の一幕にある。傍目にも血を分けたと察するに容易い、焔色の短髪をした貴人に声を掛けると、顔を上げた相手は大きく双眸を瞬かせた。驚かせるだろうなとは知っていたから、掛けたほうの男は平然と笑っている。対峙するのと同じ色の瞳を丸めたスタンバーグ侯爵嫡子、兄も、そんな弟の有り様に慣れたようにすぐ笑った。すいと双眸を細めた目線の位置は己のほうが高い。健やかな中肉中背をして、柔和な兄は「元気そうだ」とまず紡いだ。首肯を返す。男が王都の騎士団に入るべく家を出て以来に顔を合わせた。手紙の遣り取りはあったが、およそ己のほうが素気無くしていたし――今宵の来訪を知っても避けるつもりでいた。急遽予定をひるがえしたのはつい先刻である。ゆったりと腰に両手を添えて場に臆さず胸を張る男の有り様に、兄のほうが男の思考をどの程度感じたかは知れない。ただ、男が自ら好意的に近付いてくると考えてはいなかったらしいことは顕著だから、いっそ莞爾と微笑んで見せて、生家の嫡子たる相手に丁重にこうべを垂れて見せた。互いに近況を問う雑談を短く交わして、賑わいの片隅で片眉を跳ねさせる。)今のオレの立場もご存じだろう? 我が姫がぜひともあんたの顔を見たいそうだ。明日に時間を頂く。また後ほど使いを寄越すから今日は帰るんじゃねえぞ。(笑う語気はただ気安い弟のそれだ。特段取り繕った気も無いのは確かなことだったが、十割が親愛かと問われるなら世渡りを心得ている身としては悩ましくなってしまう。だというのに、兄はきっと表層そのままを丁重に受け止めて喜色を覗かせた。社交外交の腕はそれなりに持っているだろうに、肉親に対して詰めが甘いのはどうにもならぬものか。思わず苦笑が滲みそうになったのを此方は器用に耐えて、この数年、手紙で連なっていた言葉の欠けらを耳にした。夏から立場が変わったものだから、兄の問い方も幾らか趣の異なるものにはなっていたけれど――要は“家に帰ってくる気はないのか”と、そういう話だ。きらびやかなホールの隅で、男はすいと双眸を細める。)……さてね。姫がオレの首を切ろうもんなら、その後で王城の騎士団に居残るのも具合が悪い――かも知れねえ、が……(ゆったりと首筋を擦って頭部を傾げたら、兄は少しばつの悪そうな顔をした。よもや弟のやらかしや不名誉を願うような人柄ではない。わかっているから単におかしくて、ひらりと手のひらを翻す。雑な仕草で宙を払って、男は軽やかに踵を返すことにする。)まだその予定はねぇよ。せいぜい円満解雇を願ってろ。(不躾に後ろ手を振って、視界ごと意識を外していく。それからホールを回る使用人に声を掛け、盆を一つ拝借してグラスと軽食を整えた。二人分に見えるよう揃えれば、付き人の職務中にあると判じた兄が今これ以上構ってくることはない。呼吸と同じ軽やかさで立場を移ろわせる男は、生まれたときから兎角健康であった。もので、この頑丈さは先に生まれた兄の分まで持っているに違いないと、貶すでなく、呪うでなく、笑い話として紡がれた。そういう家だ。弟のほうが目覚ましい魔法素養を見せても、商談の類まで面白がれる性質を育てても、誰が誰を厭うこともなかった。だから、その分、囁かれたのだ。順番さえ逆であればと。――嫡子当人から言われるより先に逃げた。粗暴で気儘でとても人心掌握は出来ないと笑われるように振る舞った。護りたかったなどと謂うには幾重もいびつに、焔はひとときたり同じ形を保たない。ただ焼けた靴跡だけが残ればいい。向かう先に、今の自分の置き所を探している。)