終幕の半分


まず物語の道筋をお作りいただき、迎え入れてくださった瀬見さまは誠にお疲れさまでした。お心に描かれた物語を世に送り出してくださったこと、終始お優しい眼差しで見守り導いていただけたこと、心から感謝申し上げます。切なくも温かな“はんぶん”のストーリーに参加者のひとりとして息づくことが叶い、愛しいご縁を結ぶ機会を得られて本当に嬉しい限りです。
また、円環のさだめの物語を共に歩んでくださった他参加者の皆さま。分かたれた世界ゆえペア外の交流は叶いませんでしたが、ひとつひとつの物語がどれも素敵で。それぞれに心がきゅっとする瞬間、良かったねと涙したくなる場面があって、とびきりの愛を詰め込んだ名著ばかりだったなと振り返っております。いつか誰かが大切に綴じた、遠い国の一冊の書帙のようだなと……伝わるかしら、たぶん伝わらないね……と画面前でろくろを回している今現在ですが、ご一緒させていただけて幸せでした!の思いだけでも確りと伝わればなによりです。
そして、ペアとして物語を紡いでくださいましたアルシノエ・エオス・キュクロス様。ならびに最高の御方を生み出し素敵に息づかせてくださったPL様へ、至上の感謝と愛を捧げさせてくださいませ。姫、アルシノエ様、貴女様、我が君、あなた、エオス――多くの形で、それぞれに少しずつ異なった想いを込めて、いずれも大切に呼ばせて頂きました。本編の内容が内容でしたので呼称ひとつを綴るにも手と心の両方が迷うところですが、此処ではエオス様とお呼びしたく存じます。無事の終幕を寿ぐ場でもありますので、ふたりが選び行き着いた結末を尊重する形として。
一言台詞から滲む外界への純粋な憧れ、歌うようなことばの無邪気さ。お姿とロールの文面は異国情緒溢れて美しく、されど御本人に関しては初めて拝見した折から「可愛い方」の印象が強くございました。ペアのご縁を頂けた際にも、ああ成る程この穢れなき心は穢れなきまま在ってほしい……と、リューヌの一言台詞と照らして甚く納得したものです。ペアアンケートを見返すと「ミドルネームのエオスが曙の女神の名であることから、一般的に連想されるそれとは異なれど太陽と月ペアにもなり得る」などと書いてあるのですが、実際のエオス様は太陽というよりお星様でしたね。ひとたび宵の空に見つければ心を惹き付けて離さない、うつくしく澄んだ輝き。ゆえに僅かでも目を離せば消えてしまうのではないかと、見つめながら憂えてしまうような儚さ。だからこそ日を経て夜空を見上げたとき、居てくれるだけで安堵する優しさ。大切にしたい、ひととせと言わずこの命が続くまで守り抜きたい。そう騎士としての義務でなく心底思うようになるのは、必然かつ運命であったと確信しております。
そんなエオス様とともに歩めた果報者ことリューヌについては、名簿と本編で明示した以外の情報は特段ございません。……と、思いますものの。何分開幕早々すこーんと恋に落ちて「ペアさんすき!」以外の脳内データが破損したため、忘れているだけで設定していた事柄もあったかもな~と……それすら解らないのが正直な処です。(Theポンコツ)それでもどうにか願書作成時まで記憶を巻き戻しますと、キャラメイクの最中にふと浮かんだのはとある本の登場人物だったな、と思い出しました。家の教えのもと“誰かを護る”という使命を明確に帯び、真っ直ぐゆえに凝り固まった考えで雁字搦めにもなる青年。彼は最終的に主人公と袂を分かち落命する役どころだったのですが、もし世界を広げてくれる誰かに出会えたなら違う結末もあったのかなと。モデルとも称せられないほど細やかな切っ掛けではありますが、それを発端として“世界の一部しか知らない男”として人物像を造形し始めたのは事実です。不完全で未完成な人間、姫君と同じように騎士もまた“はんぶん”であったなら、お互いに渡し合えるものも多くなるのではないかと。ちなみに余談ながら、名付けに関しては世界観の自由度の高さに全力で甘えさせていただきました。Lune(リューヌ)はフランス語でストレートに「月」の意であり、仏語圏でかような名前を付けようものなら「犬や猫ならともかく人名がそれ?何を思ってそんな名前に??」と訝しがられることは必至。エオス様がたくさん呼んでくださったので今はPCの名前としてすっかり心に馴染んでしまっていますが、現実のヨーロッパ設定などであれば候補の一つにもならなかったであろうと思われます。
話を戻しまして。広々として自由な世界観設定にも拘わらず、リューヌという男はある意味狭い世界だけを見ながら生きてきました。伯爵家の息子として敷かれた道を厭いこそしていなかったものの、それ一本に真っ直ぐだったがゆえにそれ以外を知らず。ではエオス様の眸に映るものは如何だったのかというと、生まれ育ちに鑑みればリューヌより更に狭く小さなものであったのやも知れません。それこそ綺麗な鳥籠に入れられ、羽を切られて歌も封じられたカナリアのように。しかしながらお心の宝石箱に収まる世界はどれもこれも本当に多彩で、きらきらと素敵に煌めいていて、それを描き出されるPL様の手腕もまた素晴らしく。本当はエオス様に世界を見せてさしあげる、それが叶う立場であったはずなのに、気付けばリューヌとPLのほうが魅入られ感嘆してばかりでした。こちらにももっと豊かな想像力や創造力および会話力、総じてキャラレス力があればもっと引き出せたお話や深められた事柄もあったのだろうな……とは今も思っています。更には展開のさせ方に迷ってレスペースも安定せず申し訳ない限りでしたが、それらを単にPLの力量不足だったと捉えるのではなく……いえ捉えざるを得ない点も多々ありますが(笑えない)ただただ至らなかったと反省一辺倒になるのではなく、愛が深まりすぎてどんな言葉を注いでも足りる気がしなかったのだな、それだけ私の姫君が最高だったのだな……と今も尚噛み締められるのもまた事実で。実に幸せなことだな、有難いな、としみじみしております。頂くばかりではなく当初の望み通り、否それ以上に「渡し合えた」「贈り合えた」と信じられるのも、リューヌの言葉や行動のひとつひとつを大切に尊んでくださったエオス様のお陰です。改めて、最後まで共に歩んで頂きありがとうございました。
それでは。愛しい方への思いは尽きませんものの恥ずかしながらPLとしての語りがあまり得意なほうではないため、ご挨拶はこの辺りで収めさせて頂きます。別項のシーン抜き出しの方でも愛を連ねてはおりますが、正直選り抜くことも勿体ない程にすべてが魅力的でした。私の語彙で語り尽くせなかった部分は是非ログをご覧頂き、エオス様の輝きに触れていただければ喜ばしい限りです。
最後になりましたが改めて、同じ時を共有し物語を紡げた皆さまに心からの感謝を。広いようで狭いキャラレス界、いずれまたどこかで道が交わることもあるかもしれません。いつか訪れるかもしれないその日を楽しみにしつつ、オンオフ両面において皆さまが多幸でありますように。心からのお祈りを申し上げて、一旦の結びとさせていただきます。ありがとうございました。
(のどけき春の宵、歌を持たぬ方の末の姫は星の話をひとつ妹へ授ける。この国に降る星のひとつ。幾多の星の中でも一等に冴え冴えとした、それでいて柔らかな光を宿す星だ。それは他の星とは少し違っていて、この大地に寄り添うように他の星と比べて随分近くにある。――貴女もその星の名を覚えると好いわ。その星はね、“リューヌ”というの。)[序章]
こちらにいらして。こちらに座るとね、私の好きな花がよおく見えるの。(中指と人差し指が示したのは対面の位置にある椅子。それから肩越しに振り返ってみせた。指先が示した場所から真っ直ぐに視線を向けた先に紫雲木の小振りな木があるのがわかるだろう。今はまだ数える程しか開花していないがそう遠くはないうちに満開を迎える。この花はどちらのアルシノエも好きな花のひとつだ。実母の故郷に多く在ったようで王がわざわざ命じて植えさせたものである。気候の問題はあれど庭師たちがよく世話をしてくれていた。)私の好きな花はあちらの花。[序章]
あれはジャカランダというの。直に見頃を迎えるわ。春との別れを惜しんでいるのか、夏との再会を喜んでいるのか、どちらでしょうね。(見頃は春が去ろうとする頃、夏の気配がする頃。遠き青紫を一滴滲ませるように月輪の眸が花を見詰むのを眺め、鈴生りの花は何を思うかなど応えを求めぬ戯れ。)[序章]
次いで何の本をと聞きたかったが先に続くお話にスゥと吸い込まれてしまう。吸い込まれたのは末の姫の興味ばかりでない。アルシノエというヴェールもであった。初めて知る。初めて聞く。民の間に降りることが出来る者だけが知るお話。宵と暁の狭間で星は一層に燃えた。交わされる鈴蘭の花の愛らしさと白さ、人々が雪解け水を煌めかせ舞い踊る姿、――何も知らない。何も見たことがない。人々の目に触れる公の場には姉が赴くのだ。燃ゆる星は迂闊な言葉を誘うもそれを宥め、春祭りの折に姉がどうしていたのかを思い出す。)……バルコニーからならば。(自らが思うより小さな声しか出なかった。[序章]
鈴蘭、(花びらがいちまい落ちるように呟く。はらはらと瞬きを重ね、手の中に咲いた一輪を眺めた。王家の目を楽しませる為に庭師が設えたのではない花が確かに手の中にある。幾度の瞬きの後で一際大きく綻んだ顔を向けた。)ありがとう。(言葉が、表情が、崩れた。それは努力家な姉と比べれば明らかに姫君の様相を容易く崩してしまっていることだろう。けれど今日限りは、姉と未だ長く話してはいない今日に限っては、ただ私的な場で緊張が解けているのだと認識してもらえる筈だ。暁の地平に隠される金星は最後名残惜しむよう強く輝いた。)とっても嬉しい。シャティヨン様の魔法は誰かを喜ばす為のものなのね。[序章]
馬上からはより木々が近く見えるのでしょう? 貴方から教えて頂いたわ。それから標高は上がると季節が進むのでしょう? 本で読んだわ。 ――とてもとても美しいのでしょうね。(束の間の理性はサァと容易く押し流された。知らぬ世界の話はいつだって眩い。途端に緩慢だった足取りがピタと止まって、ドレスの裾はひととき落ち着いた。城壁で区切られたのとは異なる広い世界ではどこまでもどこまでも木々が続いているのだろう。様々な赤と黄が織りなす様は遠くから眺めるだけでも美しい。近くから眺めればまた別の美しさがそこにはあるのだろう。そして視線を追いかけると眼差しがナスタチウムに至る。鮮やかな秋色を澄んだ空へ向けて広げていた。)[一章]
あの花が、(空を見上げ、木々を通り、花を眺めて、眸が何度か往復する。知らぬ世界を頭の中で描いてみた。きっと川沿いに咲くという花はお行儀良く並んだ人の手が入った花とは少し趣は違うのだろう。それでも季節を庭に描く庭師の想いと、それを教えてくれた月輪の眼差しに、胸を躍らせた。)同じ季節がきちんと流れているのね。貴方は当たり前のことだと思うかもしれないけれど知ること出来て私は嬉しいわ。(手にしていた本を引き寄せて胸に抱える。ふふっと弾む吐息を零すと、同じ速度でドレスの裾とヴェールが揺れた。)[一章]
貴方の世界に少しでも何か良き影響が与えられるのならば幸いだわ。(彩は多い方がいい。あの鈴蘭が瑞々しさを失う前に押し花とされ自室で小さな額を与えられたように、日々の彩を見つける度にその道は豊かになるはずだから。)[一章]
ありがとう。とても……心強いわ。(もう一度同じ言葉を重ねて、より一層に深く唇に弧を描かせた。月は沈むのか、遠のいて行く優しき指先を視界の端で捉えながらヴェールを自分自身の手元を隠すように引き寄せた。表情は上手く繕えてもこの指先に感情が乗らぬとは限らないから些細な震えも強張りも起こす前に隠してしまいたかった。今は正しく末の姫で在りたい。長い瞬きをひとつ挟む。)[一章]
――ええ。普通ならば砂糖菓子を飾るところをきらきらとした塩の結晶を飾るの。 貴方は塩田を見たことがある?(山に囲まれたこの地では海からの塩は貴重であった。それでも先人たちが努力して築いてきた平穏と街道のお陰で比較的手に入り易いものとなっている。道の果て、此度は海を臨む場所に広がる塩田に夢を広げた。話で聞くにも絵で見るにも容易いが、その場所は遠い。そして見上げた空は眩しい。)[一章]
――、(途端に広がる無粋な紅の色と血錆の匂い。月の名を呼ぼうとした唇が止まる。そのかんばせを見たかった筈なのに眼差しはすぐに血に濡れた左肩へと吸い込まれる。次いでその色をやや失っているかんばせ気付いた。ふたつの事象を結ぶのは容易い。戦闘を知らぬ身であれば傷の程度がどれほど命に関わるかも分からぬから不安と恐れとが身体を走った。 [二章]
けれど衝動的な行動に走らなかったのは、今日も廉直な心の有り様を映す麗しさで頭を下げるその姿を目にし、また何故彼が扉を開かなかったのかという優しき気遣いに思い至ったからであった。)[二章]
――ありがとう。(言葉と感情を暫し置き去りにしてしまっていて、やっとのことで出した声はちいさい。次いで表情が戻り、ほのかな綻びが唇に浮かんだ。「貴女も少し休んでいて」と侍女に言い残し、外套を羽織って車外へと足を踏み出す。月の騎士の右手には素直に甘えさせて頂いた。先の負傷のこともあるからお行儀良く手を乗せるのみに留めたかったものの、久方ぶりに歩みを強いられた足は思うように動かず、結局その手に縋るようにやや力を込める形になってしまった。慣れない地面であるのも手伝ってその歩みは辿々しい。ドレスの裾に注意しながらようやく大地へ数歩踏み出した足はすぐに止まった。暁の眸は金に染められ、言葉はもうひとつの世界を映す湖水へと吸い込まれた。金の空へ、凪の湖へ、暁は彷徨う。)[二章]
……まぶしい。(ようやく出た言葉がそれで、自らのことながらはにかみが浮かんだ。)すこしだけ、湖に近付いても構わない?(そしてはにかんだままで右手をそっと引いた。)[二章]
夢の珠……、(夜風に誘われた掌を傾ければ微かに揺れた月の色は空から降る音を奏でる。この音に満たされる地が遠くにあるのだと知れば、この頬に触れる風も見知らぬ土地まで辿り着くのかと空を見上げた。相変わらず星々が瞬いている。耳を満たすのは湖の囁き声と里より遠くで交わされる獣や虫の声。この身はなんと小さなことだろうかと急に心細さを覚えて、そっと隠し込むように元よりあたたかな場所にあるその手はそのままに、その上へと反対の手を重ねて月のかけらを包み込んだ。陽が昇る前に世界が一番静かな時を閉じ込めたような石と知らぬうちに胸の内にある冷たくもあたたかい銀の色がまた手の内で今宵の空の色を奏でた。次に言葉が出たのはやや呼吸を重ねてから。)[二章]
……ふふっ、あたたかい。(瞬きを落としている間に纏わされたマント。纏っていたものではないとはいえ、腕の温もりと未だ孕んでいた屋内の空気をゆっくりと身に馴染ませてくれる。その温かさと、)――本当に……、優しいのだから……[三章]
――”私”が口を開けば皆が困った顔をしたわ。”私”が黙れば皆が安堵したわ。 ……リューヌ、(王も王妃も侍女たちも、姉も、皆が優しかった。此の半端な身を大切にしてくれていた。それに報いる為に大人しく生きてきたのに。ある日目の前に現れた月はあまりにも眩しかった。照らし出す世界はあまりにも鮮やかだった。やさしい光を崩さぬような我が侭を、彼を困らせぬような此の場を収められるちいさな我が侭を心の内から探してみたが何も見つかりやしない。)[三章]
――どうしたらいいの。私はすごく欲張りですごく我が侭だわ。 ……これでは貴方に何も言えない。(深く深くに在るのは欲深い望みばかり。見上げていた暁の色はたちまちにして朝露を宿らせてしまう。それが零れ落ちない内に両手で顔を覆って俯く。露の重さに項垂れた。)[三章]
――ふふっ……(唐突な常の、常よりも更に柔らかく弱い揺れる吐息。くぐもった月の音色が呼応して秘めやかに歌う。)……ごめんなさい。折角、貴方が心の宝石箱に仕舞っておけばよいと許してくれたのに。私、貴方に伝えるいつかを夢見てこれから過ごせると思ったのに。 私、嬉しくて……、胸がくすぐったくて……。 あのね、……今、我が侭がひとつ叶ってしまったの。 ……私、もっと貴方に触れたかったし触れてほしかったのよ。[三章]
高い高い山を見てみたいの。広い広い草原を見てみたいの。それから深い深い海を見てみたいの。この目で見てみたいの。(城壁を越えて、秋の森を越えて、星を抱く湖を超えて、国を分かつ山を超えて、なだらかに広がる平野を超えて、渚の泡を超えて、その先へ夢の幕を広げる。)どんな音が聞こえるのかしら。この耳で聞いてみたいの。……そして、歌いたいわ。何も気にせずに……、大きな声で。(春の祭りも、塩田も、獣が生きる森も、全部此の手で触れたいのだと果てしなく欲深い望みを囁くほどの声でありながらも世界へ放つ。願うだけなら赦されるだろう。思うだけなら誰も気付かぬだろう。ずっとずっと昔から城壁に区切られた空を見上げては考えていたのにすっかり黙ることに慣れていた。)[三章]
(宵に寄せ、暁の女神が待つは花の終わりのための四重奏曲。)[四章]
(「どうしてわたしもいってはいけないの」と何度繰り返したかわからない妹の声に父は何度繰り返したかわからない説得を試みるも何度繰り返しても何度繰り返しても納得するわけがなかった。だって同じ顔をした姉はきらきらでちかちかでまるで御姉様たちみたいなドレスを着て、それからくるくるでふわふわに髪の毛も綺麗に整えてもらって、つやつやでぴかぴかな見た事ない靴を履かせてもらって、寝台の上で寝衣のままの妹は純粋に羨ましかった。何も納得が出来なかった。もう何度目かわからない。走る馬を見に行くのも、演奏会に行くのも、全部姉だった。その度にお菓子やぬいぐるみを王はくれたけど、何も納得出来なかった。ちっとも嬉しくなかった。これまでの我慢が爆発して我が侭言って、泣いて、喚いて、みんなを困らせた最後の日は御兄様の婚礼の日だった。侍女だけでは手がつけられぬと忙しい父まで双子の部屋から出られなくなった。元々父は妹には滅法弱くて、それから多くの子どもと接するのだってそれぞれの母に任せきりで、説得という意味では何の役にも立たなかったのだが。[四章]
ともかく一度喚き出したらもう止められないから「いつもいつもわたしだけおいていくの。いつもいつも。だれかとおはなししてはいけない。おそとにでてはいけない。おうたをうたってはいけない。いつもいつも!」と、この数年の不平不満が怒涛の勢いで溢れ出る。[四章]
(甘くて優しい香りに満たされて、衝立越しに乾杯をして姉はいよいよ聞いた。「その音はなあに」と。)――秘密よ。(衝立の向こうの顔は見えない。姉は妹の顔がわからない。しかしそれは確かな別離の証だと気付く。随分と前に共に二人で歩いて来た道は分たれたのだ。この乾杯はさよならの乾杯だと二人共が理解していた。)[四章]
――いいえ、迷わぬ筈が無いわね。貴方は優しく清らな人。 大丈夫よ。私を手折っても貴方の誇りは穢れない。貴方の志は潰えない。 ……貴方は私の望みを叶えてくれるのだから。(先程までフードを支えていた指先がそろりとその亜麻色へ伸びる。しかし触れるには至らず止まってしまったのもこれまた別の秋の日によく似ていた。穢れたこの身が清浄な存在に触れることは出来ない。暁の眼差しは今までのどの日よりも深い慈しみで満たされ、やはりその愛しき清らな存在を慕うように纏う空気を撫ぜた。心身ともに彼岸に沈むことは彼に出会うまでずっと望んでいたこと。出会ってからもその日をずっと待っていると自ら思っていた。されどあの日気付いてしまった、口にしてしまった彼に出会って知った真なる望み。内緒の約束で伝えたその望みは瞬きと共にそっと今宵の天幕で包んだ。)[終章]
(さて、実際に此の目とてその現場を見たわけでもなければ此の身は父でもない。王の真意など本人以外の誰にもわかりやしないのだ。父の手紙の中身とこれまで交わした言葉を思い描くもそれとてやはりどのようにも取れた。尖塔の底には夜の欠片のコバルトの粒が溜まり、吐息の白さをより際立たせている。しゃがみ込んで覗く月のかんばせはひとつも曇っていなかった。曇っていたのは己のまなこの方であったか。語られる言葉に耳を傾けては時折瞬きを落とす。互いに低い姿勢になりその顔を覗こうとしていれば僅かに見上げる形になった。暁が瞬いて、月の光を受ける星がひとつふたつと煌めきの鮮烈さを取り戻す度に、目深に被ったフードが髪の上を滑り後方にずれる。)[終章]
――貴方の手でこのアルシノエの“半分”を終わらせて。 それから“私”を未だ見ぬ夜明けへ連れて行って、(願うのは此処で姫である己を終いにすること。そして、城壁の向こうの見知らぬ朝陽を浴びる世界へ何者でもない己として彼と共に行くこと。最早、騎士で在ってと命じた姫の“半分”は潰えようとしている。シャティヨンの家は大丈夫なのかとか、此の身は自分の身の回りの世話すら覚束無い何も出来ない者だとか、尋ねたいこと言いたいことは多くあったが、それらを並べたところで結果は変わらないだろう。そんなもので揺るぐ想いでないと信じていた。今はただ、目を伏せて未だ見ぬ美しき世界を思い描く。願うは今宵も美しき月。幾多の星の中でも一等に冴え冴えとした、それでいて柔らかな光を宿す星。その名は、)リューヌ。(娘の小さな世界に差し込んだ月光。)[終章]
それならいいのだけど……。 リューヌ、ありがとう。もう私、独りでは――(負担が掛かるような魔法でないと知ってそっと息を吐き出す。次いで柔らかな表情を見上げた先に見つけて、睫毛をはらりとひとつ揺らした後に、唇を開くも描いた言葉は初めしか音にならなかった。かいなが導かれる先に不思議を覚え、それを理解するよりも先に足が地を離れたものだから思わず音にならぬ跳ねた声が漏れる。首に回した腕の片方がずれて胸元の布地を掴む。視線がうろうろと彷徨い、その後で自らが摘んだ布地を上へと辿って、もうひとつ跳ねた声が漏れる。)[終章]
――私、恋してみたいし、愛してみたいわ。……ずっとしてはいけないと、貴方に想いは寄せてはいけないと思っていたから。 だからこれからはたくさん貴方に恋して愛するのよ。[終章]
(キュクロスの末の姫の婚約の報は円かな祝福を受ける大地から離れた分だけ細くなって聞こえた。報に付随する噂話も離れた地では扇情的な要素も薄れ、それを聞く人々の顔も長閑なものだった。雪の白に刻む足跡が徐々に薄くなり、谷間に清水が細く流れる音が密やかに奏でられ始める。山は遅い春を開花させようとしていた。)[エピローグ]
そうよ。一等大切な人にあげるの。だって春を迎えた祭りでは贈り合うのだとその人が教えてくれたのだもの。私もね、先の春には頂いたのよ。 ……そう、頂いたのだけれど、 全部、置いてきてしまったわ。(他人と話すことに浮かれた娘は言葉を連ね、眼裏に出逢った春を映した。されどそれは不意に消え失せる。唐突に浮かんだ切なさは初めてもらった物が手元にないという事実に対して。きっと姉が大切にして来れてはいるのだろうが。表情を曇らせる娘に婦人の方が「今年もきっと貰えますよ」と優しく声をかけてくれたものだから、娘は瞬きをはらりと落とし、ストールを口元に寄せて表情を隠しながら再び笑みを浮かべた。)[エピローグ]
ね、リューヌ。(部屋に戻り、彼と眼差しを重ねる。手を背に回して冒険の成果を隠す顔は無邪気な悪戯と無垢な歓びに溢れていた。早く成果を披露したくて仕方のない幼子は、それでも数秒勿体振るように間を置いてそれから二人の間にそっと手を出した。)見て、鈴蘭よ。 春なのよ。(そう露店で手に入れたのは銀灰色のリボンを纏った一輪の鈴蘭。キュクロスの周辺では鈴蘭を贈り合う風習があると知った店の計らいであった。この時期はたっぷり用意して店を開くとおまけとして鈴蘭を配っても売り上げが上がるとか。)[エピローグ]
リューヌ、愛してるわ。(そのまま耳へと捧ぐ言の葉は名付けて間も無い響き。淡く消えれど人の心に残り続ける白の色、雪の色、鈴蘭の色のような人々が忘れえぬ言葉。太陽の下、月の下、幾度もその言葉を重ねられることを願い、鈴蘭の花を愛しき君へ贈ろう。)[エピローグ]
このリューヌは如何なる時も“アルシノエ様”の騎士で、
あなたの味方であること。他ならぬ“あなた”のお心へ、
この月色と共に留め置いて頂ければ幸いに存じます。