(女性恐怖症の騎士と甘味と)
(話がある。常に飄々とした振る舞いが標準装備の上長にしては珍しく、笑顔の下に僅かな諦念が滲み出ていた。こういう時は大抵王家絡みだということを、幾年かの付き合いでアルバートはよくわかっていた。そしてその類の勘は外れない)……だからってさ、末の姫君の付き人って……よりにもよって俺に…?(数日前、騎士団の練習場に申し訳程度に植えられた花の蕾がひとつ開いた日の出来事を思い出す。愛馬の艶やかな栗毛にいつも通りの丁寧なブラッシングを施しながら、そろそろ山盛りの溜息をまたひとつ追加。愛馬はまるで聞いているかのように僅かに尻尾を揺らした)……姫様がどう、とかじゃないんだ。噂通り、朗らかで誰とでも丁寧に接される方だった。ただ問題は、王子じゃなくて王女だという、その一点…(つい昨日、就任の挨拶と顔合わせを済ませてきた。侯爵家の長子ということもあり王族とは幼少時より面識もある。ただ、臣下として玉座の前で膝をつく程度で、その誰とも人柄を知るほど深く付き合ったことはない。初めて拝顔した彼女は穏やかに微笑む姿が儚い花のようで、女中や護衛兵にも丁寧に話しかける姿が印象的だった。積極的な貴族女性たちとはまるで違っていたし、近くに寄ることもなかったので、挨拶自体は恙なく済ませられたと思う。その点では昨夜は安堵でいっぱいだった)……さあ、そろそろ姫のところにお伺いしないと。…アイリーンとも、一緒に訓練できることは少なくなるね(自分の心のオアシスでもあるので朝夕の世話は欠かさないつもりだったが、これからの生活は全て姫君次第だ。馬がお好きな様子なら遠乗りに付き合う機会もあるかもしれないと思っていたが、あの姫君が馬に跨る姿はあまり想像がつかない。永遠の別れかというくらい大袈裟に愛馬を抱きしめて、一度騎士団宿舎でシャワーを借り、身支度を整え、キュクロス王家の末の姫君のおわす居室に足を向けると、すぐに女中が対応してくれた。前室で、勧められたソファに座ることなく立ち尽くす男は、ふと鼻を擽る甘い菓子の匂いに、手に持ったバスケットの存在をようやく思い出した。無骨な男に似つかわしくない、水色のリボンが巻かれた可愛らしい籠。勿論私物ではない。母からだ。『姫様に差し上げてね、決して置いていってはなりませんよ』と言い含められた)……(とりあえず箱の中身を確認しようと、ちらり布をめくってみる)
(「付き人?」 ふたりのサラヴィリーナの抑揚は完璧に重なって、けれど抱いた感想と浮かべた表情とはあべこべだった。単純に新しい知人が増えることを喜んだ姉のリーナと、今の側仕えで不足はないのにといぶかしむ妹・サラ。しかもどうやらその騎士は、末の姫が“半分”であることを知らされぬまま任に就くらしい。おのれの付き人となる以上、ときおり開かれる夜会で二言三言交わす程度の何某とは、比べものにならないほど長い時間をともに過ごすのだろう。どのくらい? 1年? 2年? 最後まで誤魔化しきれるか。顔合わせの日取りも聞かないうちから緊張で手に汗が滲み、そのせいで姉の言葉にもよく考えず諾を返してしまった。『ご挨拶、私が出ていい?』)……よくなかった。失敗したわ。すべては無理でも、極力わたしだけで対応とするべきだった。いくら顔がおんなじだからって、ころころ雰囲気が変われば勘付かれないとも言いきれないっ、…もの。(からだの厚みを潰すように下着を締める侍女の動きにあわせて、悔やむ声の語尾も跳ねる。「わたしの体でリーナの性格だったらいいのにね」と笑っても、当然ながら使用人たちは「そうですね」とは言ってくれない。)リーナから昨日の話は聞いているし日記も読んだけれど。部隊長で、素敵な方。……とだけ教わっても困るのよ。ねえ、あの子どんな話をしていた? 故郷の話? 趣味とか……? 昨日の今日でおなじ質問をしないように気をつけなくちゃ……(瞳の碧をいくらか薄めた色のドレスを着せ付けられながら、昨日も姉のそばにいた侍女に神経質に確認する。「アルバートさまも緊張されていたようで。短い時間でしたし…」それほど気にしなくとも平気ですよと背を押してもらってようやく、前室で待つ騎士のもとへゆく決心がかたまるのだった。)――…ごめんなさい! 待たせて……、……。 ……ぇ、っと、(かくして“リーナの微笑み”を浮かべ、足を踏み入れた室内。はじめて目にしたそのひとは、手土産らしき籠を覗いていた。ソファに掛けもせず、立ったまま。懐こいリーナであればすかさず『つまみ食い! ずるいわ。』と笑えたけど、気の利かないサラからはそんな冗談が出ようはずもなく。見てはいけないものを見てしまった、タイミングが悪かったわ、と、勝手に早合点し反省しては申しわけなさげに眉を下げた。用意していた挨拶も抜け落ち、じっと騎士を見つめている。)
(幼い頃から綺麗な顔立ちだったわ、私に似て。とは、母の言だ。若かりし頃はキュクロス王国の花と謳われた母譲りの端正な容貌は、アルバートにとっては無用の長物だった。家までついてくる人、家の前で待ち伏せする人、無理矢理迫ってくる人、そんな女性に囲まれること数年――アルバート少年が立派な女性恐怖症になるのには十分な環境だった。恐らく、アルバートをそういう目で見ない女性も多々いたのだろう。ただ、アルバートから女性に近づくことは既に皆無だった。屋敷の女中は昔なじみの老齢の女性で固められ、社交の場にも必要最低限しか赴かなかった。そうこうしているうちに騎士になり、未だに積極的な女性に絡まれることはあれど、鍛えた身体と磨いた剣の腕がアルバートを安心させてくれた。ただ、女性に欲望の目を向けられると、未だに嘔吐感がこみあげる。そんな男がどうして年頃の王女の傍仕えなどできよう。しかも、近衛の騎士としてならまだしも、付き人。剣の腕くらいしか姫君の役に立ちそうなことはないのに、自分に何が出来ようか。王妃陛下とも親交のある母が用意した手土産は、そんな息子を心配してのものか。それとも、王女陛下が甘いものがお好きだと知っていて持たせたのだろうか。被せられた布の下には、艶々と輝く焼き菓子が綺麗に並んでいた。特に問題なさそうでほっとした瞬間、軽やかな声が耳を揺らして、はっと顔をあげて固まる)……っ、いや、あの、変なものが入っていないか確認しようと…!!母はすぐにお節介な手紙を入れたりするので……!!(脳を介さずに言い訳が零れ落ちるのは、自分でもこの図がつまみ食いのそれに思えるからに相違ない。必死に言い募るうちに、今の状況と相手が誰なのか、徐々に思い出した。暫くの沈黙の後、深々と頭を下げる)……失礼いたしました。昨日は顔合わせの機会を頂きありがとうございました。アルバートでございます。姫君には、如何お過ごしでしょうか(お決まりの定例文を頭を下げて早口で言い切ると、どこか困った様子の姫に、中身が見えるようにしてそっとバスケットを差し出した)…姫は、甘いものはお好きですか?お嫌いでなければお納めください。…安全性の保証はできても、味の保証は出来ませんが(好きなもの、嫌いなもの、日課、癖。未だ何一つ、彼女のことを知らない。ひとつずつ憶えていけばいいのだと自身に言い聞かせて、その顔に柔らかな笑みをのせられたのはバスケットから漂う甘い香りのおかげか)…差しあたって、姫君のことはなんとお呼びすればいいでしょうか?
(「っ、いや、」「あの、」と弁解する声はどこか頼りなげな響き。いかにも騎士然とした雰囲気だったと姉が語る印象とは、乖離があるように見えた。とはいえ多かれ少なかれ、だれしも役割を演じながら生きている部分はあるものだから。“らしくない”一瞬が覗いたとて、不快感はもちろんない。)こちらこそ。連日足を運ばせて……(気を取り直してといった調子の早口に、ひとつ頷く。それから足繁く通ってくれることへの謝辞を述べかけたけれど、付き人ならそれが仕事か、と考え直し口をつぐんだ。こちらも些か気まずいし、彼もまだ緊張が窺える。さてどう会話を始めたものかと目が泳いでしまいそうだったが、きっかけを作ってくれるのもまた彼の持つバスケットだった。)……甘いものは、とっても好き。おいしそうね。お気遣いありがとう。……アルバート、は? 甘いもの。…あまり、食べないかしら。(リーナはそれなりに、サラはとびきりに、甘いものが好きである。受け取ったバスケットの中身に、浮かぶ笑みが幼くなった。が、見上げた騎士がその顔をそっと柔らかくほころばせたなら、逃げるみたいにサッと目を伏せる。鍛えあげられた長身の体躯、品のある端正な面立ち。そういうものに今さら気がついて、うろたえてしまったのだ。年頃のむすめの反応として、“無用の長物”を持つ彼には見慣れたものだったかもしれないが――昨日のサラヴィリーナはきっと、ここまで露骨ではなかった。)…サラとか、……リーナとか。お父さまたちは呼ぶけれど、おまえの呼びよいかたちで構わないわ。こう呼ばれたらいや、も、こう呼んでほしい、も、特にない。あまり気負わず、楽に話して。王家といっても未子だし……わたしのほうが、ずっと年下だわ。(照れ隠しに髪を耳にかければ、灰青が隠していたそれが紅に染まっていると知るだろう。そろりと視線を持ち上げて、騎士の言葉にしずかに答えた。それから少し思案する間があり、遠慮がちに切り出すのだ。)……アルバート、まだ時間がある? 中庭でお茶でも、どうかしら。せっかくいいお天気だし……その口ぶりだと、わざわざ作ってくれたのでしょう? お母君が。(変なもの、味の保証という言葉から推測は容易い。どうやら“お節介な手紙”とやらは入っていなかったようだけれど、息子を心配する母の気持ちは十分に伝わっていた。今日のうちに礼を返したい。「別に中庭じゃなくてもいいわ。」と言い添えて首をかしげるのは、ほかによさそうな場所に心当たりがあれば聞かせて、の意で。)
(王族は頭を垂れてはいけない、とはよく言われるけれど、この姫君は相手が誰であれ、躊躇わずに謝るし、お礼も言う。きちんと存在を認められているようで勿論嬉しくなるが、あまり気遣わせてしまうのは臣下として喜ばしいことではない。昨日初めて顔を合わせた時は社交や人付き合いが苦にならない方なのかと思っていたけれど、今日は目線を逸らされたりと困惑されているように見えるし、実は人付き合いが得意というわけでもないのかもしれない。残念ながら、彼女の付き人となる己も、決して社交が得意ではない。そういう点でも役に立ちそうになく申し訳ない限りだ。不器用者同士の間で度々起こる僅かな気まずい沈黙を打ち破ったのは母の手土産だった。ここまで見越していたなら流石だと我が母ながら舌を巻く)甘いものがお好きでよかったです。…私は、少しなら食べられなくもないです、(そこで切ろうとしたが、やはり思い直したように、すみません、と謝った)…実は苦手です。幼い頃母に、練習台として大量に食べさせられて以来、あまり受け付けなくなってしまって…(甘くない菓子なら好きなんですが、と笑みが苦み混じりのものになった。これから恐らく、短くない時間お仕えする相手だ。信用してもらいたいなら下手な嘘など吐いてはならない。それに彼女は何となく、何でも話してしまいたくなる雰囲気がある)……それでは、サラヴィリーナ様と、これからお呼びしてもよろしいでしょうか?(楽に話して、と言われても、残念ながらそんな柔軟に対応できる性質でもないので、あえて触れずにおく。王族とそれ以外の関係では、年とか性別とかそんなものは塵ほども影響しない。誇り高きキュクロスの血。この地を治め続けた偉大なる王の血が、彼女にも勿論流れているのだから。もし自分が平民の出ならいっそその垣根は取り払われたかもしれないけれど、生粋の高位貴族の子なれば尚更垣根を超えることは難しいことだった)……ええ、勿論。私などで宜しければ、喜んで。この季節の中庭は美しいでしょうね(――けれど、そのお茶の誘いを断ることなど露とも思いつかなかったのは、少しだけ頬を染めながら窺うように誘ってくれるその姿を、不敬にも、お可愛らしい、と思ってしまったからだ。「……菓子は甘くないものだけ、頂きます」と付け加えるのは、男なりの照れ隠し。それでは手配して参りますので、サラヴィリーナ様はお部屋でお待ちください、と一礼し、彼女付きの侍女に、一緒に準備のやり方などを教えてほしいと乞うところから始めることにした。――付き人としての初任務だ。)
そう。それなら、よかったわ。贈りものでもらうことが多いの。今度から――(パイやケーキやくだものの類と勇ましげな騎士とは、あまり似合わないように思うけれど食の好みは人それぞれ。今度から一緒に食べましょう、と続けようとした言葉はしかし、彼の訂正にて遮られた。苦く笑うひとを見つめる瞳が、ほんの僅かおおきくなる。それから――)……っふ。(ただ息を吐いただけのような、ささやかな笑みがこぼれ落ちた。姉を真似て繕ったものではない、不器用で素直な笑みが。)…誠実なひとね。アルバート。苦手なら無理することはないわ。がんばって食べるものじゃないもの。(王家といえど年相応に単純な普通のむすめだから、見栄を張らずに苦手を教えてくれた騎士を好ましいと思った。微笑ましい幼少期の透ける、甘い菓子が苦手なわけも。「そういえば、わたしのお母さまとは仲がよいのですって?」とは、彼の母を指してもの。――サラヴィリーナ様。いいわという意味をこめ、そっと頷く。楽にと言うなり本当に楽に話せるひとだとは思わないから、こちらも無理強いはしない。人づきあいが不得手なむすめだ。今はまだ、垣根越しにひとつひとつ言葉を交わすくらいがいい。彼がそうしてくれるように。)……! …ありがとう。そうね、今だとノイバラが咲いているわ。……甘い食べものが苦手だったら、花や果実の紅茶も苦手? それとも珈琲派かしら。(気を遣って、といえば語弊があるが、せっかく出向いてくれた騎士をすぐ帰すのも忍びないかと。内気なサラとしては相当に勇気を出した誘いであった。ゆえ、勿論、喜んでと返ってくればほっと表情をゆるめて、続く声もあかるくなる。照れ隠しには興味深げに騎士の飴色の瞳をちらと見て、「甘くないお菓子って、たとえば?」具体的に知りたがった。――そうして一緒に待つかと思いきや、彼も準備を手伝うと言う。貴族の子、それも男子なれば、ほとんど経験がないだろうに。)……アルバート、大丈夫かしら……(彼と侍女とが消えていった扉にそわそわと視線を向けるけれど、様子を見に行くことまではしないでおとなしく部屋で待っていた。さすがに目の前で書きつけては不審だろうと触らずいた日記に、これまでに得た青年の情報を余さず書きとめながら。やがて彼らが戻ってきたなら、揃って中庭へ移動となるか。)
(――笑った。甘味が食べられない、という大の男の情けない自白に、ふと零れてしまったのだというような自然さで。昨日も、今日も、姫は何度でも笑っておられた筈なのに、何故か初めて笑顔を見つけたような気がした。高い垣根の向こう側が少しだけ見えたような、そんな一瞬だった)……恐れ入ります。そう仰って頂けると大変助かります。…ええ、母は御成婚前より王妃様と親しくさせて頂いていたと、申しておりました(今でも時々二人でお茶会を催したりもしているようだが、幼い頃はそこにアルバートもよく連れていかれていた。なので、彼女の兄姉殿下たちとは共に遊んだこともあるが、それも僅かな回数、昔のこと。貴族の社交を苦手としてそういう場を極力避けてきたのに、こうして今は末姫の付き人になったのだから、人生とはわからない。どうやら姫――サラヴィリーナ様は、自分をお茶の席に呼んでもいいものかどうか、嗜好を確認してくれているらしい。共にお茶の席に座るのが果たして仕える立場として良いのかどうか計りかねるが、駄目なら後ろにそっと控える彼女の侍女が忠告してくれる筈だから、良しとする)…いえ、紅茶は大丈夫です。珈琲のがより好きですが、どちらも好んで飲みます(曖昧にぼかした方がこのお優しい姫君は困惑してしまうだろうと思うから、はっきりと伝えることにする。「…チーズのビスコッティとか、キッシュとか、ジンジャービスケットなどは、たまに食べます。が、飲み物だけで十分です」甘くない菓子は一般的ではないのかもしれない。そもそも間食の習慣がないので、普段は稽古の合間にも飲み物を飲むだけだ。そんな男が、お茶会の準備。最初ぽかんとした様子の侍女―後で聞いたらサラヴィリーナ様付きの侍女長らしい―は、ぷっと吹き出しつつも、丁寧にやり方を教えてくれた。テーブルクロスの敷き方から茶器の準備、ナフキンの添え方。季節の花も場所や時期に合わせて変えて飾り、茶葉や珈琲豆も主人やお客様に合わせて用意し、またその茶葉によって温度や抽出時間も細かく異なるのだという。予想以上の仕事量と肌理細やかさに驚いたし、自分もこうして家の者にお茶の時間を提供してもらっていたのだと、齢二十四にもなって初めて知った。正直、お茶会の初めての支度はほぼほぼついて回っていただけで何も出来ていないが、瞬く間に中庭の東屋に用意されたテーブルで、「お待たせ致しました、サラヴィリーナ様」と椅子を引くという一番の大役だけは仰せつかって、それだけで達成感たっぷりに笑う、付き人(レベル1)だった。)
(食べません、と食べられません、では、印象がまるで違う。後者と明かしてもらえたことで、騎士への好感とともに親しみも覚えた末姫であった。姉が残した情報からは知り得なかった彼のひととなりに、一歩分、足場が増えたような心強さを胸に抱く。)そうなの? ……あ。もしかして、お母さまがときどきお茶をしている……えっと、《キュクロスの花》?(王妃、つまり自分たちの“母”となるより前からの交流と聞き、あどけなく碧をまるめる。ものを覚えるのが苦手なサラの記憶にさえ残っていたほどに、美しいそのひとのことはくり返し母から聞いていたのだった。「だからアルバートなのかしら。」付き人に抜擢された理由のひとつを推し量りなどもして。)わたしは紅茶のほうが好き。でもミルクがあれば珈琲も飲むわ。……どちらのほうが合うかしら。おすすめはある? なにか言っていた?(≪花≫の焼き菓子が今日の主役だから、よりおいしい組み合わせを選びたくて花の子に尋ねる。その頃になってようやく、付き人をお茶に誘うのは変だったかしらと思い至ったものの、撤回することはなかった。お友だちになりたいから――そんなリーナらしい理由ではなく、すこしでも多くの情報を集めたいサラの打算である。侍女長は双子どちらの気持ちも察することができるから、騎士があるじの向かいに座ったとて咎め立てはしないだろう。)――ありがとう。……準備、大変だった?(促されるまま椅子に掛け、満足げな笑みを浮かべる付き人(レベル1)を見上げて問う。彼が例として挙げたビスコッティやキッシュもあれば持ってきてと侍女に伝えておいたけれど、ちょうどよいものはあっただろうか。ノイバラが可憐に彩る、騎士と姫とのはじめてのティータイム。比較的じょうずに切り出せたのは、準備を任せているうちに言いたいことをまとめておいたから。)……あのね、アルバート。これから付き人としてわたしのそばで過ごすことが多くなるけれど、おまえにはなにも求めていないから本当に気負わないで。(凪いだ声は、ともすればやや冷たい響きだったかもしれない。「あ、」と失敗した顔になって、)違うの。期待してないって意味じゃなくて……なんていうか……王国騎士団でも精鋭の部隊を束ねているのでしょう? そんなひとに子守りはさせないから安心してねって……言いたくて。(「…それだけ、先に伝えたかったの。」 ぽつんとつぶやいて、視線を手元のカップに落とした。)
(どのような噂があれ良い意味で王族らしくない姫君が、王妃である御母堂と親しく交流している様子が窺われて微笑ましいのだが、自分の母の若かりし頃の通称を持ち出されると背中がむず痒い。今でもアルバートのような大きな息子がいるようには到底見えないひとではあるが、自分にとっては母はただの母だ。「…恐らくそれでございます」と素っ気ない答えには、年相応の青年らしさが滲む)…母は何も言っておりませんでしたが、姫君の嗜好を知って用意したような気がいたしますので、お好きな紅茶をお召し上がりになられては如何でしょう?(中を見たところで自分では判断がつかないのだから、侍女長に後で確認してもらう旨を添えて伝えて。ノイバラとは、アルバートが知る薔薇とは少し違う趣きで、小さな白い花が集まって咲いていてとても清楚だ。ふんわりと優しい芳香に包まれたこのテーブルの世界は、透き通るような優しい空と相俟って、まるでお伽噺のように平穏だった。僭越にも向かいに腰をおろして、何と切り出すべきか、不慣れゆえに一言目が出てこない。考えあぐねるその前に沈黙を破ったのは、お伽噺の世界に相応しい、静かな響き。何も求めていない、という言葉の、その真の意味を考える前に一瞬、背中がひやり、としたのは、求められなければここにいる意味がないと大前提に置いていたためだろう。けれどすぐに慌てて付け加えられた本心に、まずは安堵する。そして俯いてしまったあるじになんて言葉をかけるべきか。逡巡の後、僅か緊張の滲む硬い声で、姫の顔をみつめたまま名を呼んだ)…サラヴィリーナ様。……確かに私は、騎士団に所属しておりました。傍仕えの経験などなく、剣を振るうことしか能のない男です(せっかく用意してもらった紅茶が冷めてしまうと片隅によぎったが、最初である今、確認しておくべきことだと判断した。なるべく恐ろしく響くことのないように願いながら、ひとつずつ噛みしめて声にする)……だからこそ、私がサラヴィリーナ様にお仕えすることになった此度の経緯がわからないのです(侍女や近衛の騎士も十分についているようだし、ご本人もそこに不満があったわけではないようだ。先ほど前室で『母同士の交流のためか』と予測しておられた様子からも、きっとご存知ではないだろうとあたりをつけながら、それでも確認してしまうのは職業柄か)…何か心当たりはございませんか?(――例えばお命が狙われている、ということは。流石に言葉にすることは憚られて、祈るように唇を噛む。さあっと、一陣強く風が舞った。)
じゃあ、バニラと茉莉花にする。……素敵なひとね。わたしたちが楽しく話せるようにって考えて焼いてくれたのよ。きっと。(最終的な判断は侍女長に任せればよいと頷きながら、口下手なふたりの救世主たるひとへと思いを馳せる。鬱陶しがる口ぶりには照れくささが見え隠れしているから、またすこし“騎士”の鎧の内側に触れたような心地がした。母君への感謝の言葉を続ければ、はずかしがっただろうか。)……、(やわらかな風がそっと届けてくれる花の香りは優しいのに、せっかくのお茶の時間だったのに、余計なことを言ってしまう。不慣れなりに学び、寄り添おうとしてくれている青年の心を、早速折ってしまったのではないかととても後悔した。強張った声で名を呼ばれたなら、思わずちいさく肩が揺れる。おずおずと顔を持ち上げ――けれど、彼が続けた言葉は身構えたものとはまるで違ったから、碧の瞳がまるくなる。)……アルバートが、(付き人に選ばれた経緯。心当たり。ぱち、と細い睫毛を揺らす。継承争いにも加わらず、未だ成人すらしていない子どもに騎士が宛てがわれた理由。そんなものは――わからないわ、と紡ぎかけたくちびるが凍りつく。まるで不意に殴られたみたいに胸が痛み、息が止まった。ふたりのあわいを、風がゆく。)………、…あるわ。 そうよ。どうして今まで……わたし、思いつかなかったんだろう。(とくべつ聡いむすめではなかったが、彼が言外に問うたそれはわかった。わかってしまった。そして、そういう意味での心当たりにも、気づいてしまった。“半分の姫”の真実を、厭うだれかが知った可能性――。最悪の場合を想像すれば双眸には怯えが滲むけれど、この場で泣き出したり彼にすがったりはしないし、できない。そういう立場で、性格だった。努めてしずかな声色で、「アルバート。」とわが騎士を呼ぶ。)ごめんなさい。理由は話せない。…だけどなんとなくではなく、ちゃんと根拠があって言ってることよ。その剣が、必要となるかもしれない。――わたしのそばにいると。(その強さこそが求められ、付き人となったのかもしれない。)……、顔合わせをしたばかりだし、今ならまだきっと辞められるわ。アルバートがそう望むなら……それらしい理由を見つけて、付き人をくびにしてあげる。 …巻き込みたくないわ。(侍女たちも皆下がらせた今、東屋には彼我ふたりきり。口裏合わせも容易いだろう。困ったような笑みで告げたあと、素直な気持ちをそっとささめく。それから騎士の飴色の瞳をまっすぐ見つめて、問いかけた。)…どうする? こうあるべきとか、こうするべきとか、そういうのじゃなく。アルバートがどうしたいか、聞かせて。なにを言っても怒らないわ。
(後で「これだけご用意されるには相当なお時間がかかられたでしょう」と侍女長にも驚かれたのだが、母の用意したバスケットは、甘いものが大好きだという末の姫君が中でも特別好んで召し上がるという焼き菓子たちに、甘いものが苦手なアルバートでも食べられるビスコッティやキッシュが整然と並んでいた。未だ母に心配される身というのも情けないが、もしこれがなかったならサラヴィリーナ姫と何を話せていたのか、考えるだけで恐ろしい。家に帰ったらきちんと礼を告げて、久々にゆっくりと母と話をしよう。そう、初めてお会いした末の姫君が、どんな女性だったか。何を話ししたのか。きっと心配いらない、お仕えする方がこの姫君でよかった。指の先にも満たないほどの僅かな時間の交流で、アルバートはそう思えるようにさえなっていたのだ)……、(だからこそ、何故“末姫”に、家族の愛情を受けてお城で守られて育ったであろうこの姫君に、“騎士”が必要だったか。命令を受けた瞬間から引っかかっていたこの小さな違和感を、アルバートはどうしても拭いきれなかった。きっと、わからない、と。心底不思議そうにか、もしくは不安そうに返ってくるだろうという予想は、けれど大幅に外れた。何か大事なことを思い出したかのような、どこか遠くのひとへ語りかけるような調子で紡がれるそれに、思わず目を見開く。僅かに震えた声に名を呼ばれ、「はい」とだけ、静かに答える。そして彼女が語ることを末まで聞き終えて――途中で泣いてしまわれるのではないかと思ったけれど、彼女は困ったように笑いながらも目を逸らすことさえなかった――、そうして、きちんと考えてみた。…改めて考えてはみたが、答えはもう最初から決まっていた。)…くびは、嫌だなあ(すっかり冷めてしまった珈琲を一口流し込んで、ひそやかに笑う)……本当に、何を言っても怒らないですね?(静かにカップを置くと、揺れる灰青の綺麗な瞳を見つめ返した)……正直に申し上げて、私は、ならばよかったとさえ思いました(ゆっくりと席を立つと、向かいに腰かける彼女に歩み寄り、隣で膝をつく。初めてそのかんばせを見上げて、睫毛の長さに驚いた)…私は、どう足掻いても、騎士にしかなれない男なのだと思います、(姫はきっとご存知ないだろう。茶葉を美味しく開かせることよりも、その剣で魔物を屠ることを容易いと思う人種がいることを。)…あなたが私を、この剣を必要とされることがあるのならば、どうか、私をお傍においてください(――初めて戦で人を殺めた日から、剣に生きて死ぬのだと決めた。王国と王家に忠誠を誓ったこの身のすべてを、今日からはこの姫君を守ることに費やすのだとごく当たり前にそう思った。そっと、あるじの白く細い手を取り、額に掲げる。)…私はあなたの剣で、あなたの盾です(必要なくなる、その日まで。――それが、はんぶんの姫と不器用な騎士の、物語の最初の頁だった。)
〆 * 2022/10/21 (Fri) 16:37 * No.87
(姉のようには綺麗に笑えずとも、テーブルいっぱいに並べられた焼き菓子を見た目は輝いた。とりわけブルーベリーのたっぷり入ったスコーンに感激し、「料理が上手なのね」「お礼はなにが喜んでもらえる?」と彼女の気遣いに報いたがるだろう。礼儀正しく誠実な彼は、とてもよい相手だと思う――リーナの新しい友人として。サラの新しい知人として。けれど彼は才ある騎士であり、ただの優しい青年じゃない。そこがずっと引っかかっていたけれど、“心当たり”に思い至ればむしろ納得したのだった。 辞めてもいいと思ったこと。それを素直に伝えたこと。我がことながら、すこし驚く。もし予想が的中したとして、おのれの身を護るすべなど持っていない非力なむすめなのに。姉と自分のために彼を利用しようとは、思わなかった。嫌だなあ、と彼が笑う。)……え? ……よかった……?(「本当に怒らないわ。」念押しにきっぱりと頷いて、アルバート・ヴェリテの真を問う。そうして返ってきた“よかった”に、碧の双眸をまるくした。席を立ち、こちらに歩み寄る青年の姿を追いかける。はじめてその長身を見下ろして、くすぐったいような心地だった。どう足掻いても騎士にしかなれない。どうかお傍においてください。祈りとも、諦めとも聞こえるおだやかな声で紡がれる。危険に晒されるかもしれないと知った上で、そばに在ると言うのか。)……アルバート、本当に……っ、!(後悔しないか、と尋ねたくて、けれど彼の掌がこの手を包みこむから、息を呑む。あなたの剣で、あなたの盾。今を盛りと咲き誇る白花だけが証人のその誓いは、自分ひとりの――サラのためだけのものだと錯覚しそうだった。ぎゅっと胸を締めつけるのは不安だろうか。恐怖? それとも。小さなくちびるを噛んで、呼吸と気持ちを整えてから。取られた手とは逆の手で、こちらからも騎士の手を包もう。)…アルバート・オルタンシア・ヴェリテ。――いいわ。今日からおまえはわたしの剣で、わたしの盾よ。離れないで。
(とはいえ先に告げたとおり、あまり気負わずに過ごしてほしい。あれこれ注文を付けるつもりもないし――と、話すうちに気づく。)あ、……ただ、すこし疲れやすいの。ときどき気分が悪くなるから、様子がおかしいと思ったらアンを……侍女長をすぐ呼んで。わたし、大丈夫って言うかもしれないけど、無視していいから。(まるで他人事のように―実際サラには他人事なのだが―そのひとつだけを彼に頼んで、姉の有事に備えておく。このおねがいも、彼の剣も、役立つときなど来なければいい。心の中で祈りながら、はんぶんの姫はそっと笑った。)
(とはいえ先に告げたとおり、あまり気負わずに過ごしてほしい。あれこれ注文を付けるつもりもないし――と、話すうちに気づく。)あ、……ただ、すこし疲れやすいの。ときどき気分が悪くなるから、様子がおかしいと思ったらアンを……侍女長をすぐ呼んで。わたし、大丈夫って言うかもしれないけど、無視していいから。(まるで他人事のように―実際サラには他人事なのだが―そのひとつだけを彼に頼んで、姉の有事に備えておく。このおねがいも、彼の剣も、役立つときなど来なければいい。心の中で祈りながら、はんぶんの姫はそっと笑った。)
〆 * 2022/10/26 (Wed) 18:25 * No.102