(春陽の眼差しが注ぐ、そは暁の女神。)
……承知仕りました。(常の職務中と変わらぬ硬質な声で、上官の命を異存なく受けるは当然のこと。じかに護る対象が多少移ろおうとも、為すべきことは変わらなかった。況してや王族の侍従など、正しく誉れに外ならない――半分の姫。歌を失くした歌姫。口さがない人々の声は無論、この耳にも予てより届いている。元々噂話を鵜呑みにする気はなく、日を置いて任に就く折とてただ騎士としての誇りのみを胸に置いていた。初めてお目に掛かる佳容にもまた、王族の一員たる貴き矜持を見たように思うから殊更に。名乗りから二つ三つと重ねる言葉、それだけでも思慮の深さが伝わる。花姿に外つ国の血は感じれど、表情も立ち居振る舞いも申し分なく模範的な淑女と映った。ならば自分も模範的な付き人として侍るべきが相当かと定めつつ、ただ一度のお目通りで決め込むのは流石に尚早且つ早計というもの。ゆえに恙なく陽が落ちて暁月夜を過ぎた翌日、男が取る行動は一つ。まずは姫の為人や要望を知るところからと、行き会う侍女に姫の所在を尋ねながら敷地内を歩む。問うたところで大半の返答が要領を得ない点には、聊かの怪訝さは覚えながらも表に出すには至らず。なべての莟がひらく時節、白露宿せる花々は城の随所を彩っている。等間隔の靴音は磨き上げられた廊に、舗装された庭園の煉瓦道に、春の静けさを壊さず響いたのち止まる。)ご機嫌麗しく在らせられることと存じます、我が君。(美事に調えられた園庭のガゼボやコンサバトリーか、透明な窓か天井越しに柔らかな光が降るサロンか、或いは他の何処かか。いずれなりとも目的の相手に相見えたなら、挨拶ののち数歩分離れた距離にて片膝を折る。きちりと纏ったサーコートの胸元に片手を添え、跪く所作は当然の礼節を保って。某かの声掛けがあったのなら面を上げ、恭しさは保つまま眼差しを重ね合わせもする所存。)改めて、本日よりお仕え致します。近衛のみに留まらず、何か御用向きがあればいつなりともお申し付けくださいますように。(この双眸が抱く色は遠く高く昇り、凍てつく大地を照らす月の銀灰。跪き俯けた侭であったとしても、静かなトーンで接ぐ言葉は同様に。過ぎ去って間もない冬を彷彿とさせる月輪は、宵から暁へと移りゆく光を受け容れよう。揺れず通る声音や心持ちと同様、一日前とついぞ変わらぬ雑じり気のなさで。)
* 2022/10/16 (Sun) 11:29 * No.7
(のどけき春の宵、歌を持たぬ方の末の姫は星の話をひとつ妹へ授ける。この国に降る星のひとつ。幾多の星の中でも一等に冴え冴えとした、それでいて柔らかな光を宿す星だ。それは他の星とは少し違っていて、この大地に寄り添うように他の星と比べて随分近くにある。――貴女もその星の名を覚えると好いわ。その星はね、“リューヌ”というの。)皆、騎士様に興味津々ね。(蝶踊る園庭のガゼボにて末の姫は侍女に向けて独り言に似た言葉を投げた。此度の出来事は当人達は勿論周囲にとっても大事件であった。お陰様で姉姫主催の花の季節に託けた急なお茶会が催される始末。姉姫達の聞きたいことはただ一つ。されど相手は“半分”の姫、彼女らが求めるような話は何一つ出なかっただろう。一方姉姫達は彼女らが知る情報を披露してくれた。その情報を頭の中で整理する為にそのまま真っ直ぐ帰らずに光の下へ寄り道。美しい月、我らが箱庭に月を添えた意図は知れぬ。しかし添えられた彼は騎士として信用に足ると姉は言った。そして姉姫達から得た情報でその判断に納得した。さて彼について思いを巡らすも束の間、侍女が「アルシノエ様」と声を掛けた。侍女が名で呼ぶとき、それは末の姫アルシノエでなければならない時である。侍女の目線を追えば噂の人物が此方へ来るのが見えた。ひらと指先で侍女に理解した旨と控えるように促す。侍女は騎士に道を譲る形で距離を取って控えることとなった。)ご機嫌よう。――シャティヨン様。(芽吹いたばかりの淡い若草の色のドレスの裾と日除けを兼ねる同系色のヴェールを翻し立ち上がる。きちりとした微笑みを携えて簡易な礼を向けるもその名を呼ぶ時に一呼吸ほど間があった。姉は昨日なんと呼んだのか、妹は知らなかった。それでも冴え冴えとした眸のことは聞いていた。だから出会えた喜びが唇の端に滲み出る。笑みが自然と柔らかなものになった。)よろしくお願いいたしますね。本日も会いに来てくださってありがとうございます。(真っ直ぐな眼差しは恐らく昨日も同じように同じ色をした瞳に向けて注がれたのだろう。ゆっくりと睫毛を下げ、視線を外して指先の動きで言外に楽にするように示した。)私には今これといった用件は思い当たらないのだけれど、貴方は? 貴方はどうして此処へ? ご挨拶だけをし来たのかしら?(ふふと弾む吐息が唇から漏れた。けれど姉と比べるとこの物言いはほんの少し不作法で、それから悪戯めいている心地がした。)ごめんなさい。意地悪だったかしら。お話ししに来てくれたのよね、きっと。(最初のようにガゼボの中に設られた椅子へとヴェールを率いながら腰を下ろす。)
* 2022/10/16 (Sun) 19:19 * No.14
(姫付きの侍女に軽い会釈を送った後は、眼差しも耳もひとりへ注ぎ澄ますに至る。花園に臨んだ四阿の内、解語の花が咲いている――月輪の一対へ有り体に映り込んだ事実、もしくは主観が抱かせた率直な感想。宵と暁の境目を切り取った眸は睫に縁取られ、ヴェールの日陰に在っても確かな存在感を放つ。ヴェールと彩りを同じくするドレスの峰が、身熟しと同様に優雅な靡き方をして。その柔らかな新芽の色さえも、物言う花を包む喜びに萌え立っているかに見えた。品良く淑やかに携えられた微笑みも装いも、初めの印象と大きな差異はない。ファミリーネームを呼ぶ声とて昨日と瓜二つの音韻であったから、一拍程度の間にも何ら違和感は覚えず。)此方こそ、よろしくお願い申し上げます。誠に急な話ではありましたが、貴女様にとって良き付き人となれるよう尽力致しましょう。(薔薇色の指先から許しを頂けば、礼を解いて膝を伸ばし「失礼を」の一語を添えてガゼボへ立ち入った。降る光は艶やかなみどりの黒髪を、男の亜麻色の髪をも柔らかく透かす。程近くへ寄れば姫君の纏う空気は昨日の拝謁より幾分ほどかれ、辺りに舞う蝶と通ずる自由ささえ漂っているような心地がした。無知な脳裡はそれも単なる公私の差かとの解釈に留め、かろやかに弾む音を傾聴する。花のごとき人は、戯れさえも柔らかくたおやかだ。笑みを伴っての問いかけなれば戯れと察するにも容易で、意地の悪さなど感ぜられよう筈もない。まずは掌を翳し、否と示す動作を一度。)いいえ、滅相もないことで……概ねご明察です。何分昨日初めてお目通りが叶いましたもので、姫に関しては未だ何一つ存ぜぬ身。嗜好もご趣味も、園庭に咲く花のどれを一等愛でられるのかも。(例示する中に女性の興味を惹くものが有るか無きか、経験に乏しい騎士には推し量る余地もない。細腰が再び椅子へ落ち着いたなら、白大理石と思しき床に今ひとたび片膝を突く。対面の形で座す距離感が果たして適当であるか、其方についても未だ量りかねたために。)よって仰せの通り、姫のお話を伺えればと参じました。この役目を仰せ付かった者として、何も考えずただ傍に侍るのみというのも如何なものかと感じた次第に。無論……我が君がそのようにご所望とあらば話は別でございますが、(半端なカンマを打って、ひとたび言葉を切る。今のご様子を見るにつけ何となしに、名のみの付き人として飼い殺しにはされまいと思われた。)
* 2022/10/16 (Sun) 23:33 * No.23
(回廊では今頃姫と騎士の所在を把握した極々近しい従者たちが慌てているのだろう。されどいつかはこんな日が来る。それが予定外で少し早まっただけのこと。風光る園庭ではそれらさんざめく幾重の囁きも幾多の好奇の目も遠く、これは最良のもうひとつの出逢いであったのかもしれない。末の姫本人もこの事態に慌てる様子はひとつも無く、月の騎士が特に異和を抱かぬ様子であれば良しとして、この場に在るのは昨日と等しきアルシノエとして振る舞おう。ガゼボに差し込む陽射しが月暈をその亜麻色の髪に描く。眩しげに目元を細め、睫毛と睫毛の距離を少し縮めた。そして視線を流しつつ白大理石と沿う膝を認める。そこに視線を留めることはせず。)こちらにいらして。こちらに座るとね、私の好きな花がよおく見えるの。(中指と人差し指が示したのは対面の位置にある椅子。それから肩越しに振り返ってみせた。指先が示した場所から真っ直ぐに視線を向けた先に紫雲木の小振りな木があるのがわかるだろう。今はまだ数える程しか開花していないがそう遠くはないうちに満開を迎える。この花はどちらのアルシノエも好きな花のひとつだ。実母の故郷に多く在ったようで王がわざわざ命じて植えさせたものである。気候の問題はあれど庭師たちがよく世話をしてくれていた。)私の好きな花はあちらの花。 ――生憎、私は麗しい殿方を侍らせることで満足する趣味を持ち合わせていないの。折角だもの、私は私の知らぬ世界の話が聞きたいわ。(もしも紫雲木の方へその月輪の眼差しが向いているのであれば、末の姫はそれはそれは満足げに。そして自らの元へ戻る視線を弧を描いた唇で迎えよう。唯、侍らすなんて勿体無い。若き騎士の大切な時を頂くのだ。彼にとってもまた実りのある時とすることが、彼の、更には彼が見つめているであろう国の為にもなる。だから末の姫は彼の話を聞きたがった。)どんな花がお好き? 何をすることを好まれる? 御趣味は?(と彼が先に挙げた言葉をそのままに返した。それらは全て姉への土産に、そしてこれからどうやって時を過ごすのかを考える助けにする予定だ。宵と暁の狭間の瞳は金星に似た煌めきを宿して、月光の如く静かに降るであろう言葉を待った。)
* 2022/10/17 (Mon) 11:53 * No.27
畏まりました。(しなやかな指の動きが是と示すなら、敢えて退ける理由はない。すくと立ち上がった拍子に腰のレイピアがカシャリと音を立てれど、のどけき空気へ波紋を生むには至らず。滑らかな白に腰を下ろせば成る程、愛でられるべき美がそこに在ると知れた。目映げな花顔の向こう側、釣り鐘に似た青紫の連なりが妙なる諧調をなして。)初めて目にする花ですが、雅やかな花木ですね。紫立つ雲のようで。……何という名か、見頃はいつか。宜しければご教示願いたいものです。(冬を越えて間もない枝に、ひとつ、ふたつと柔い彩りを添える鈴生りの花。かの御方が眸に宿す空の色を、また一段淡くけぶらせたような薄紫。無学な目とて人並みに、美を美と判じる程度の感性は備わっていた。)麗しいとは、私より姫にこそ相応しき言葉でしょうに。――今も。花が貴女様を、貴女様が花を、より美しく映えさせているように映りますが。(花唇が仰せの通り、男が座す位置から暁雲の花はよく見える。佳人の背景に咲く今なれば殊更に雅を醸すのかと、単なる事実を述べる口舌は一聴すれば淡々と。されど逡巡も淀みもなかった。舞う蝶の声が己への問いとして返れば一旦口を噤み、細い睫を伏せて思案の間を挟む。)主に剣と、時に魔法の修練……いえ、これは趣味とは申せませんね。余暇を余暇らしく過ごす趣味といえば、読書くらいでしょうか。……花は、然様でございますね。先程のようにその都度美しいと感じこそすれ、中々名を覚えるには至らぬものですが……(味気ない、面白みがない、加えて風雅な事柄に明るくない。言葉を選って紡げば紡ぐほど伝う男の有り様は、煌めく星斗の眸にどう映ったものか。)鈴蘭の花などは、この目にも愛らしく映ります。祭りで民が贈り合う様を見掛けては、ああまた春が訪れたのかと。……私にまで差し出された時は流石に、職務中だからと断ってしまったものですが。(当然の役割として例年護衛を務めてきた、国中が浮かれ舞い踊る春祭り。大小も趣も様々な花束となり、或いはただ一輪を以て文字通りの華を添える、渓谷の百合と称される白。知らず印象に残っていたのは好ましさゆえかと、今この時に初めて思い至る愚鈍さも隠すことなく。)ご覧になったことはありますか?(鈴蘭を。春の祝宴を。“知らぬ世界の話”を、ごく僅かにでも分かつことは叶ったかどうか。今後も叶うだろうかと、そんな確認にも似た問い掛けだった。)
* 2022/10/17 (Mon) 22:13 * No.34
(レイピアの涼やかな音は大きく目立つことはない。深き森に住まう小鳥ならばいざ知らず此処に住まう者は草花でさえ騎士の巡回の音に慣れていた。)あれはジャカランダというの。直に見頃を迎えるわ。春との別れを惜しんでいるのか、夏との再会を喜んでいるのか、どちらでしょうね。(見頃は春が去ろうとする頃、夏の気配がする頃。遠き青紫を一滴滲ませるように月輪の眸が花を見詰むのを眺め、鈴生りの花は何を思うかなど応えを求めぬ戯れ。)……あら、(ちらちらと星が揺れるよう睫毛が囁く。柔らかなまろい呼気が零れ落ちた。淡々と並べられる言葉は整然としていて、それはそれは清らに言葉を連ねるものだから思わず末の姫は相好を崩す事態となった。)――騎士様方には婦人を褒めそやす試問がお有りなの? ……ふふっ。気にしないで。少し意外だったの。貴方についてもっと知らなければいけないわね。でも、ありがとう。(口元を隠すように指先を持ち上げながら、思わずほんの少しだけ意地悪を。しかしすぐにも翻し、愉しげに揺れてしまった訳を明かした。これからへの希望とうつくしい言葉への礼も。指先で己が頬を撫ぜて一呼吸。)でも剣も魔法もお好きなのでしょう?(月が雲に隠れ、またすぐにかんばせを覗かせるよう、言葉を選んで答えてくれる様子に末の姫の唇は相変わらず綻んだままであった。次いで何の本をと聞きたかったが先に続くお話にスゥと吸い込まれてしまう。吸い込まれたのは末の姫の興味ばかりでない。アルシノエというヴェールもであった。初めて知る。初めて聞く。民の間に降りることが出来る者だけが知るお話。宵と暁の狭間で星は一層に燃えた。交わされる鈴蘭の花の愛らしさと白さ、人々が雪解け水を煌めかせ舞い踊る姿、――何も知らない。何も見たことがない。人々の目に触れる公の場には姉が赴くのだ。燃ゆる星は迂闊な言葉を誘うもそれを宥め、春祭りの折に姉がどうしていたのかを思い出す。)……バルコニーからならば。(自らが思うより小さな声しか出なかった。すぐにその小ささを掻き消すように言葉を連ねればそれは末の姫の声に戻ろう。)その春祭りも騎士の皆様が守ってくださっているから民が楽しめるのですね。感謝いたします。――それから素敵な話も。(求めていた知らぬ世界の話は確かに聞くことが出来た。それは眩い物語の断片で、知らぬ世界を照らす一筋の月桂である。)
* 2022/10/18 (Tue) 01:22 * No.39
成る程。考えたこともございませんでしたが……往く春を惜しむ、再び相見える夏を喜ぶ。その方法が今を盛りと咲き誇ることとは、随分と風雅なものですね。(真に風雅であるのは、戯れといえどそのように発想される感性に外ならないが。唇の動きのみで辿り直す花の名は、咲き姿の艶やかさも相俟ってどこか外つ国の情緒を感じるよう。静かな月輪は朝焼けの青紫と曙とを緩やかに行き来し、やがて後者の一対に定められる。)いいえ。ご婦人を喜ばせる社交のレッスンは、勤めの内では特に……。……本心を述べたまでです。姫のお喜びに繋がるのであれば、今後もその都度正直にお伝え致しましょうか。未だ見ぬ貴女様の美点も、きっと多くあることでしょう。(律義に返答を紡ぎかけ、これも戯れかと気付くまでに数拍掛かる不作法さ。エスプリの稽古は甚く不足していると、心ならずも証明している事だろうか。さりとて実務に備えて剣と魔法の鍛錬に勤しんできた刻をも、暁の姫君は蔑ろにせず胸に留め置かれる模様。その懐の深さもまた美点の一つと察するに足りた。言葉に代えてごく僅かに唇を弛め、はいと首肯を一度。常に優しく湛えられる笑みといい、無邪気さの合間に母なる大地の慈愛をも感じさせる――それでも間違いなく、一人の乙女であると。祭りで踊っていた娘達と同様に十七を数える少女なのだと、向き合う距離だからか如実に伝うようだった。)光栄に存じます。当然の務めとはいえ、そのようにお言葉を頂ければ騎士冥利に尽きるというもの。……姫、(何も知らない。何も見えて居やしない。長い睫の下、刹那に弾けて揺れた星光の所以も。程なく朝焼けを迎えて薄れゆくような、儚い声音の在処さえも。それでも齎せるものがあるのなら。)差し支えなければ、御手をこちらに。(己が手をやおら持ち上げ、掌を上にして伸べる。自分に倣って、と示す如く。応じて頂けようと頂けまいと、そのまま瞼を落として囁きの詠唱を二言三言。すれば通り風を伴う光が一陣、二人の間を吹き抜ける。癖のない黒髪がふわりと靡いて収まったあとには音もなく、繊手の上に舞い落ちる一輪が在ろう。細くも真っ直ぐに伸びた茎、濃い緑の葉に護られるような咲き姿。ジャカランダと形は違えどこちらも鈴生りの、雪月を彷彿とさせる白い花。)祭りの華やぎを連れてくることは叶いませんが、宜しければ。(魔法より手品と称するが相応しい程、ごく細やかなまじないの一種だった。)
* 2022/10/18 (Tue) 20:54 * No.50
最後に目に映る姿も、初めに目に映る姿も、もしも記憶に残るなら一等うつくしく在りたいとは思わない? 騎士様ならば凛々しくかしら。(風雅だというのならばそう感じる心もまた風雅なのだろう。続けて当たり前の如く語った言葉は末の姫が受けた王室での教育の一端か、はたまた太陽の色の異なる国からやってきた歌姫の面影か。静謐なる月の眸の行方を眺める末の姫のみがその答えを知る。)――それは嬉しい提案だけれど……、もし貴方が何かを見つけた折は胸の中の宝石箱に少しの間だけ仕舞っておいてくださる? 時が経ってもその輝きが続くようならばいつかこっそり聞かせて。(篤実な返答と様子を微笑ましく思って細まり掛けた眸がはたと開かれた。眉尻を下げる笑みがじわと浮かぶ。これが調子の良い王侯貴族相手ならばその場限りの愛想も容易かろう。しかし相手は廉直な月の騎士。清廉な月影が降るような調子で紡がれるのはこの末の姫にとっては少々こそばゆいものだった。忌まれる出自も付き纏う噂も彼は何も知らぬのだろうかとそんな錯覚さえさせてくる。それは真に稀有な経験であった。好きな花、好きなこと、趣味、――他愛無い話題に何の偽りも打算もなく応えをくれる。これが姉の言う信頼というものに違いないと妹はまた確信した。)手? ……これでよいかしら。(眸の最奥の星をアルシノエというヴェールで覆うも、その星は未だ地平に隠れるには至っていなかった。呼び掛けにちらと星が揺れて不思議を幼子のように浮かべながら真似る。じと見詰む顔に描いていた不思議が、驚きへ変わって、そして――)鈴蘭、(花びらがいちまい落ちるように呟く。はらはらと瞬きを重ね、手の中に咲いた一輪を眺めた。王家の目を楽しませる為に庭師が設えたのではない花が確かに手の中にある。幾度の瞬きの後で一際大きく綻んだ顔を向けた。)ありがとう。(言葉が、表情が、崩れた。それは努力家な姉と比べれば明らかに姫君の様相を容易く崩してしまっていることだろう。けれど今日限りは、姉と未だ長く話してはいない今日に限っては、ただ私的な場で緊張が解けているのだと認識してもらえる筈だ。暁の地平に隠される金星は最後名残惜しむよう強く輝いた。)とっても嬉しい。シャティヨン様の魔法は誰かを喜ばす為のものなのね。
* 2022/10/19 (Wed) 09:47 * No.54
(薫風と共に麗しの花弁を綻ばせるジャカランダと、己自身の心を重ね合わせるまでには中々至らなかった。ふむ、と生真面目に挟むは思案の間。生来の性もあろうが、これが通りすがりの由無し事なら聞き流せもした。されど今は適当な相槌より、暫し黙して栞を挟むほうを選ぶ。鈴鳴る光の囀りを、一音でも取り零してしまうのは惜しく思われて。)御意のままに。それでは大切に仕舞っておきましょう。お伝えする日まで零れ落ちぬよう、貴女様以外の傍目に触れもせぬように。(こそばゆい心地を察せられるほど女心に敏くはなく、ただ可憐な表情変化に胸裡を温める程度の情はある。素直に応じる手の仕草は、それこそ無垢な少女の風情で。唐突な求めにも拘わらず既に信を寄せて頂けている、とは流石に自惚れか。)切り花ですので花木ほど長くは保ちますまいが、暫しお手元でお楽しみ頂ければと。……バルコニーからの遠景よりは、形も芳香も鮮明に感じられましょう。(昨年受け取りを控えた一花から一縷の誇張も褪せもなく、咲き初めの瑞々しさを保つ白。庭師が心を尽くして彩った花々となど、到底比せられる代物でないのは明らか。重々承知の上で、過日の一端をこの手から分けんとした結果だった。花祭りの日の真実を、覆われた背景事情を何らなぞれもしない身だからこその意趣――それが齎した変化を目の当たりにして、男の眼前にも一陣の風が吹き抜ける。輝く眸、煌めく音の葉、純美に綻ぶ花顔。紫雲の樹木より一足早く、至上の花が見頃を迎えたようだった。)恐れ入ります。(寸暇ばかり動きを止めていた銀灰は緩やかに輪郭を削り、風に揺れるような瞬きを一度。一礼と共に為したそれは、目に慣れぬ明星を眩しがるような。それでいて瞼の裏に留めたがるような、無意識の表出であったやも知れず。)本職の魔術師には遠く及びませんが、この独修もそう在れたのならば。最後にせよ初めにせよ、誰かの……今は姫の記憶に残るものならば、呼び起こす思いは喜びであれば良い。貴女様の双眸に映る花なれば、凜とうつくしく在った方が良い。そのような思いは抱きます。(静かな口吻は、先の話を心持ち手繰り寄せるように。穏やかな憩いの色をした今日もまた、一季の終わりにして始まり。隔てられた日々の終着地であり、改めての出会いと名付く起点でもあった。)
* 2022/10/19 (Wed) 22:01 * No.61
(沈黙が応えであれ、かんばせに受け止めた了が存在していることはすぐにわかった。静寂の中、風が刈られた青草の上を渡る音だけでなく鳥が羽を動かす音や花が揺れる音まで聞こえて来るようであった。光が弾ける音が幾つかガゼボの上を転がって太陽の動きを告げる。)お願いね。(柔い呼気を笑みと共にあたたかな空気の中に滲ませた。宝石箱の中身に触れるのは誰だろう。妹ではないのかもしれない。それどころか仕舞いこまれた煌めきの主さえ妹ではない可能性もある。不意に過ぎる寂しさの所以を宝石箱の中に見つけた気がして、するんと末の姫の顔から表情が抜けた。されど手の内に咲いた花に誘われて再び末の姫も咲こう。)ええ。ええ。……バルコニーからでは手が届かないもの。(祭の中で王家へと捧げられる花も末の姫の身では遠くから眺めることしか出来ない。選び抜かれた花々とは趣の異なるこの花だけが持つ輪郭と輝き。整えられ守られた温室ではなく、山の冷たさも太陽の眩さも知る花だ。まさしく知らない世界。月の騎士へと願ったものであった。月明かりの下で密やかに花が綻ぶ。鈴蘭へ向けていた眸が持ち上げられた時はすっかり凪いだ月影であったから、末の姫もまた緩んだ表情を平素の穏やかさに戻す。)しっかり記憶に残ったわ。鈴蘭も、貴方も、今日の“私”の記憶に。(咲き初めの瑞々しさはこの瞬間だけのものである。そして浮かんだ感情もこの“私”だけのものである。同時に末の姫の内に過ぎるのはこの後のこと。空いている方の指先を自らの胸にそっと添えた。)――噂はお耳に入っていらっしゃると思うけれど、私ね、時々記憶が絡まってしまうの。……もしも明日、明後日、私が今日のことを思い出せなくても記憶が絡まっているだけで心の内の宝石箱に今日のことをきちんと仕舞っていることを忘れないで頂けたら、嬉しいわ。(静かな唇が手繰り寄せた言葉に胸の内が軋んだ。これが最後か初めかどちらの姿になるか今はわからない。しかしいずれ月の騎士も末の姫の秘密に惑う日が来るであろう。だからせめてもの願いを祈るように唱えた。)御時間はあるかしら。何かあたたかいものを用意させましょう。あと貴方が迷わぬよう私が出入りする場所も教えしておくわ。(拙い願いはそこまで。続くのはただしく今後についてのお話であった。侍女を呼んで部屋を用意するように告げる。そしてその場には花器を忘れぬよう付け加えて。)
* 2022/10/20 (Thu) 08:59 * No.67
光栄に存じます。鈴蘭も……仮に心があるのなら、恐らくは誇らしい思いを抱いていることでしょう。(物言わぬ花の心。一介の騎士が斯様なロマンチシズムを口付くなど、同僚が聞けば笑い飛ばすか首を傾ぐか。何でも構わなかった。花のごとく微笑み、星のごとく澄んだ輝きを眸に宿す若き主ならば、きっといずれも選びはしない。そう確信めいて思うからこそ、聞き手がひとりに限られた今だからこそ、微塵も臆せず紡いでいた。ここまでの遣り取りで一度たりとも、男の言葉を嗤いも厭いもしない心の豊かさを知るが故。尤も仄かに過ぎった愁いの気配は未だ、正体はおろか輪郭線すらなぞれぬ今ではあるけれど。)仰せのままに。(細い指先の着地点を目にして、返す答えは決まり切っていた。姫君の心の宝石箱は、伝え聞く伝承と照らせば腑に落ちるもの。腑に、落ちてしまっていた。さも当然の如く、何の疑心も抱きはせず。濁らぬ銀灰と承諾の声は、廉直より愚直と称す方が相応しい様だろうか。)この耳に入ろうと入るまいと、噂は噂。もとより貴女様のことは、貴女様から直接伺った事柄のみ信じて留め置く所存でした。……無論、今後も同様に。(記憶や認識、時には好悪の判別すら入り乱れる“半分”の姫。取り沙汰される内容がそれだけに留まらずとも、真偽の知れぬものまで信じ込む真似はしない。王室の勲章を戴く騎士として以前に、人間としての義を曲げはしない――そこまで伝えるにはやや迂遠な表現であれど、聡明なる姫君には真意の一欠片でも知らしめられれば充分だった。)此度の任を受けた日より……正確には参じた昨日よりとなりますが、私の時間は我が君のものです。何処へなりともお伴致しましょう。(場を移るのであれば当然の如く付き従う。王城で背に庇う必要もなかろうと、弁えた身は主の一歩後ろを歩まんとした。華奢な御身が外気に冷える可能性まで思い至れなかった点は、春の色に免じて頂き後々省みるとして。)お気遣いに感謝致します。確かに城内で姫のお姿を探してばかりとあっては、付き人の名が廃るでしょうね。有事の際なら尚のこと……(此処へ至るまでも別段迷い子の如く彷徨った訳ではないが、道中の侍女を不可思議に戸惑わせたのは事実。そうして転じた想見から、ふと些細な一点に思い当たる。)宜しければ私のことはどうぞ、リューヌと。万一にではありますが咄嗟に声を上げられる場合、呼び名は簡易な方が宜しいでしょう。
* 2022/10/20 (Thu) 21:44 * No.75
(花影が揺れる狭間で、花の香に吐息を混ぜて落ちる花弁に言葉を混ぜて、過ごす時は確かに夢によく似ていた。物言わぬ花は語るし、寡黙な騎士も唇を開こう。何ひとつ不思議は無くて、時は穏やかに過ぎるばかり。そしてそれは束の間で限られた僅かな時。また姉と分け合うべき時であった。末の姫はひとつではないのだから。指先が胸元から離れてヴェールを率いる。布地の触れ合う音がなった。)ありがとう。貴方は本当に曇りのない御方なのね。 ……ひとつ、付け足しましょう。私から“その日”に直接受け取ったことを一番に信じるといいわ。(騎士の誇りなどという言葉以上のものがそこにあるのだろう。真っ直ぐな眼差しと揺らぎの無い声、降る月光が照らされる身の内に住まわせる秘密の影をより濃くする。その存在は拭えないものの影への違和感は少ない方が良い。もうひとつ提案を挙げた。昨日より今日、今日より明日、明日の末の姫には今日のことはさておいて明日新たに心を寄せる方が互いにすれ違いも減ろう。)そうであったわね。では、参りましょう。 ――リューヌ。(ただ彼にも剣や魔法の鍛錬の時間、或いは読書の時間も必要であろうと思ってだったのだが、戻る返答が寸分違わぬ形で真っ直ぐであったからふつりと唇が笑みの形をなす。そうして歩まんと一歩足を踏み出したところで笑んだばかりの口元へヴェールを寄せる。僅かに振り返って隠した唇で名を呼んだ。確かに侍女の幾人かは名で呼ぶこともある。されど名で呼ぶ人は小さな世界の中ではそう多くはなくて、それは確かに付き人となった証でもあるのだろう。同時に双ツ子を取り巻くキュクロスの暗部へと続く階段へ彼を引き入れたような感覚を末の姫は覚える。されど全ては杞憂に過ぎず何事もただ上手くやっていけば良いだけの話。唇は再び閉ざされ前を向く。茶の用意が整うまでの間、案内するのは姉のアルシノエがよく利用する場所であった。歴史書を多く抱える図書室であったり、街がよく見えるバルコニーであったり、それから私室に程近い場所の応接室、そしてそれらを結ぶ回廊周りの施設辺り。それが末の姫に許されている小さな世界だ。出るなと言われているわけではないが人との余計な接触を減らす為の暗黙の境目があった。)ね、どんな御菓子がお好き?(末の姫の小さな世界に月光が差し込んだ。)
* 2022/10/21 (Fri) 15:59 * No.85
恐悦至極に存じます。貴女様の眸にそう映っているのであれば、私をそう在らせた環境のお陰かと。――畏まりました。日々変容すれど、重なれど……それが姫の真実ならば、私にとりましても真実に相違なきこと。(たおやかな御手の動作は、それ自体が春つ方の景風そのものの如く。鈴を転がすような声音は淀みなく、されど己とは異なる意味合いで時折言葉を選ぶように感ぜられた。そこに言及する、剰え問うような愚の沙汰は働かない。ただ、祈るような声の響きが胸裡に染み付いているから。花笑みの目映さとともに、色濃く残り続けているものだから。「我が君、」呼びかける声は音韻に反し、立場をひととき隅に寄せたような。単純に年下の少女を労るばかりのような穏やかさを帯びて、重からぬ春の静寂に落ちた。)常に“今”のお言葉を信じよと仰るなら、そのように。貴女様も今日は今日、明日は明日に抱かれたお心を、どうぞ思うままにお預けくださいませ。この手で宜しければ、幾らなりとも受けましょう。憶え重ね続けることは苦ではありません。(主の言葉や挙措が如何に移ろおうとも、よもや忘却に帰すなど有り得ぬこと。ならば褪せぬ記憶は記憶として、それこそ傍目に触れぬよう仕舞い込むのみだった。語られる事情に鑑みれば彼女が縺れ絡ませる分まで、自分が常に持っておく方が丁度良いのだろうとも思えたが故。微笑みとは呼べずとも和らげた相好は、人目に触れうる廊へ至れば騎士としての態に戻っている筈。庭園と同じく整然とした美しさ、綺麗に作り込まれた風情を保つ城内にて。案内に順い廻る男は、一室一室の様子と間取りを記憶の箱へと納めてゆく。努力を惜しまぬ姫君ならば愛用もしていよう図書室、春祭りの様子も十二分に臨めると思しきバルコニー。広大な敷地の中で比較的鎖された世界を行動範囲とするのは、籠の中で慈しまれる愛鳥なればこそだろうかと解釈して。月桂の一対に結ぶ実像の何をも疑わず、何をも受け容れて。曇りない、それがゆえの浅慮さで以て思惟を纏めながら歩む中。)食の好悪は特にございません。或いは未だ出会う前、自覚がないだけやも分かりませんので……お聞き入れいただけるなら今日は、“今日の”貴女様がお好きなものを共に頂ければと。(望みの形をとった提案は、詰まるところ冒頭に申し述べた目的の延長。踏み込んだ世界の階下、静かに手ぐすね引く真実なぞ露とも識らぬまま。月の常夜から暁光の一端に初めて触れた、終わりの始まりを綴じた一日。至極平穏な春のひと日だった。)
* 2022/10/22 (Sat) 01:34 * No.92