(空白)
(季節は移ろえども、新しい付き人の存在は末娘のなかで色褪せないまま。出会った頃は空に、夏の盛りには太陽に、そうして今は、色づき始めた木々に騎士の姿を思い浮かべた。春先に母からは婚姻について訊ねられたこともあり、何らかの種が撒かれたと思われたけれど、収穫の日はまだ訪れていない。夏の最中に芽が枯れた、ということもないだろう。)シリル、ポーカーをしましょう!(見晴らしの良いドローイング・ルームは窓から梢を揺らす木々の景観が眺められた。使用人たちへ指示し、部屋の中央に置かれたテーブルやソファの一式を窓際に整えさせた末の姫は、呼び寄せたのか、付き従っていたのか騎士にソファへ腰掛けるように勧める。城下へ降りたのは一度きりのこと。その後、かくれんぼや鬼ごっこと称し騎士を撒こうとすることもあれば、煩わしい付き合いの盾とするべく騎士を呼び寄せることもあっただろう。そうした日々を積み上げ、今は騎士を遊び相手として捉えている。ふたりで在る理由を折り重ねて生きる彼女にとって、真ん中に寄せるのは困難を極めたために。チェス、カード、ビリヤード等々挑む種目は様々あれども、手段が一つであればふたりの差異を減らせるであろうという目論見は果たして功を成しているだろうか。騎士の剣が抜かれるような事件が起きずにいるのは確かなこと。祭典や儀礼に末の姫が名を連ねることはなく、母や姉が開く茶会や城で催される晩餐会に顔を出す程度では何が起きるはずもない。)わたしが勝ったらあなたのことお話してちょうだいね。(お揃いの台詞をなぞる。本日は期待を込めて。昨日はおそらく挑発的であっただろう。夜毎ふたりは“記憶”と“記録”を共有し、心境と感想を語り合って過ごす。しかし、主観に占められる情報をそっくり刻み込むことはできないから、曖昧な事柄や隔てる誤差を減らす術をいくつも身に着けた。)
(緩やかに、確かに、季節は流れ進んで行く。姫君へ付き従うのにも、遊びと称し雲隠れを図られるのにも、都合の良い盾にされる日々にもいつの間にか慣れてしまっていた。ついでに記しておくのなら雲隠れは敢えて見失うどころか放置する機会も増えているが、付き人の言い分としては「一人になりたいそうなので」等と眉一つ動かさず涼しい顔で宣う有様だが幸いにも首は繋がっている。腰に提げた剣を使う機会はそう訪れず、空いた時間に鍛錬場にて同期の騎士や後輩を相手に振るわれるぐらいのものだがその技術は一片も衰えてはいなかった。所用を片付け今しがたドローイング・ルームの扉を叩いた一人の騎士は、丁寧に磨き上げられたガラスの向こう側で風に揺れる木々では無く、はしゃぐような声で誘う己の主へとその瞳を向けては一度頭を垂れる。)…………わざわざ私をご指名なのには何か理由でも?(使用人なら山といるだろうに、と視界を元へと戻した切れ長の双眸は語る。誘いに対し首肯もしないまま席へと着くが、それが答えとなるだろう。燃えるような赤に窓から差す光を受けながら、肩の力を抜いて正面を見据えた。)私が勝ったら貴女の話をして頂けるんですか、姫サマ。(唇の端を僅かに持ち上げるような薄い笑みは、時の流れを経て主である姫君へと見せるようになったものの一つ。響く低音は以前よりも少々温もりを帯び、微量の笑いを含んでいたかもしれない。挑発も、期待も、そのどちらもレティーシャ姫が持つもの。深く考えることはせず、国と王と姫君に忠実な騎士は此度遊びへと興じるだろう。――他者への興味が大して無いこともまた相変わらずだけれど、話を聞くのは苦では無い。)
(十七年の間、父母と教師と数人の使用人、それだけが物語の登場人物だった。他は名前を覚えるまでもなく通り過ぎていくもので、異母兄姉とて深い親交はない。末娘の関心は片割れと動物にばかり注がれていたから、騎士は目新しい“他人”だった。加えて、王室の秘め事を知らぬひとと長い時間を過ごしたこともなく、未だ正しい距離を測りかねている。愛犬の揺れる尻尾を追いかけて辿り着いた鍛錬場で“騎士”の一面を垣間見た後、夕食が終わった後は朝食まで部屋から出ないという旨を騎士に伝えたのも、さて、どう伝わったものか。せめて自由な時間は多い方がいいとは哀れみを知る娘の言葉だったけれど、迂遠な台詞を伝えたのは気楽な娘であった。)ほら、見て。真っ赤でしょう?きれいだから、シリルを呼んだの。あなたとお揃いだわ。(丁寧な所作で騎士の規範をとるひとにひらひらと手を振って出迎え、曇りなく磨かれたガラスにぺたりと片手をつけて指し示した。この時節、燃えるような赤を来賓は褒め称えるらしい。豪奢な調度品が並ぶ部屋の残念なところを挙げるとするならば、バルコニーがないことだ。)お家に使用人はたくさんいるけれど、彼らはわたしと競うことはしてくれないし、侍女は……今更お喋りすることもないわ。(ふかふかの詰め物をされたソファに騎士が腰を下ろしたのを認め、居残った使用人に2人分のお茶の用意を告げる。彼が断ることはないだろうと殆ど確信に近い予測を立てていたのは、差異、ではなく共に過ごした時間の証左だろうか。少しだけ、騎士の言葉尻がまるく、砕けたものになった、ような心地もした。その所感が正しいのか、今夜わたしに訊いてみなければ――と気が逸れたものの、問いを向けられれば、)わたしに面白いお話はないけれど、いいわ。あなたが、勝ったら、ね?(くすり、と面白がってカードを切った。)
綺麗な赤を見付ける度に呼び出すおつもりで?(揶揄うような台詞を口にしながらも視線を一度透き通ったガラスへと向けて。通り過ぎて行く季節の一つを容易く想像させるその色を映す瞳の方は、変わらずの無色だった。姫君の気分次第で要不要が決められるこの身、本日は要とされているらしいがその目的とは。城の一室らしく厳か且つ煌びやかな、整えられたその場にて騎士は姫君と向き合うばかり。)だから私に白羽の矢が立った、と。それにしても侍女と改めて話す内容が尽きたとは、随分と仲が宜しいようで何よりです。(姫君が紡いだ言葉が含んだ意味が正しく理解できているかどうかはいざ知らず、目を伏せる騎士の口の端は持ち上げられたまま。鍛錬場、兵舎、自室、そのどれもと違う不慣れな質感を得つつ、指示された使用人が見せる背中へと静かに視線を向けて。一瞥と言えるだろう短さを経て、軽やかに音立てて切られるカードへと焦点をずらす。無意識に組みそうになった足を止め、代わりに口を開くとしよう。)随分と自信がおありらしい。カードはお得意ですか?(冷めた色はシャッフルされるカードから姫君の瞳へと。二人分の声と切られるカードの音、その他に響くものは今は無く。窓の向こうで揺れる赤の木々が奏でる音は、ガラスに阻まれて届かない程小さいようだ。穏やかな天気が荒れるようなことは無いだろう。)あれから城下には行かれておりませんね。私の方へは別段お叱りの言葉はありませんでしたが、お咎めはありましたか?(随分と時間は経ってしまっているが、城下へ出たのはあれが最初で最後であった。戻った後で見掛けた衛兵長の渋い顔を思い出しつつ、姫君の方は何か苦言を呈されたのかと今更ながらに気になれば問いとして口にする。)
そうよ。だって、きれいだと感じたのはあなたの存在があってのことだもの。ここから見る景色なんて、見飽きてしまったわ。……けれど、来なくてもいいのよ。(騎士の言葉は単純な疑問なのか、遠回しな苦言なのか。首を傾げたのは束の間のこと。どちらにしろ答えが変わらないことに気付けば笑ったまま頷いた。そうして何度目かになる言葉を繰り返す。「お父さまに云いつけたりしないわ。」と。)ご納得いただけて?侍女は、わたしとずーっと一緒なの。一緒に生きて、一緒に死ぬの。それだけが大切なことだから、仲が良いかはあまり関係がないのよ。(騎士の王家に捧げられた忠誠を疑うわけではない。しかし、騎士と侍女では立場が異なる。薔薇の下で交わされた契約は墓場まで。彼女たちは何が起ころうと隣国へ逃れることはできないだろう。視線はカードを切る手元に集中させながら、)得意……どうかしら?カードゲームはお姉さまがお好きだから、時折招いていただくけれど…あまり機会はないの。ただ、あなたがわたしの何を訊きたがるのか興味があるから。(良く言えば慎重な、率直に表すならばたどたどしい手つきで5枚ずつを配り終えた。残りのカードの角を揃えて、ローテーブルの中心へ置く。)あなたは得意そうね?(革の袋から金のコインを取り出し、10枚ずつチップ代わりに分け置く。一枚一枚に異なる彫刻が施された純金に貨幣価値はない。準備が整えば、鼻歌交じりに手札へと手を伸ばして役を確かめた。スートと数字に表情を変えなかった娘は騎士が持ち出した“思い出”に困ったように微笑んで)…なぜ、今になって?(扇状にひろげた手札を扇子代わりに口元を隠して騎士を伺った。城下へ降りたのは娘であったけれど、この場で話題に上るのは偶然、だろうか。数度瞬きを繰り返し、眼差しを騎士から手札へと移した。2と5のツウ・ペア。)わたしも、特に叱られはしなかったわ。ただ……心配を…かけてしまったから…。あ、後悔しているわけではないのよ!(おかしなところがないか確かめるように言葉を繋ぐ。)
……来ますよ、その顔はもう見飽きたから帰れと命令されるまでは。(何かにつけて己がイコールで結び付けられることに違和感を覚えながら、来たくないわけでは無いのだと遠回しな否定を。「姫サマが良心的で従者としては非常に助かりますね。」と、これについては偽り無く落ち着いた声を発しながら肩を竦めた。束ねた赤が肩の上で揺れる。)さあ?ただの騎士である私には良くわかりませんが、貴女が言うのならそうなんでしょう。(ただの騎士、ただの貴族である男は姫君の立ち位置など知らぬまま。侍女と姫君の密接さもまた、与り知らぬこと。緩やかに姫君の言葉を呑み込んで、浅い同意を示すのみ。)…貴女は最初からそうですね、いつまで経っても私への興味が枯れることがないのは不思議なものです。(一枚、二枚、三枚、繰り返し与えられるカードが滑る様を見下ろした後。無事に五枚が手元へと残れば、黒のオープンフィンガーグローブに包まれた手をそれらを纏めて持ち上げる。目の前にすらりと並んだそれらを見る目付きも温度も、何一つ変わらない氷のような冷たさで。)てっきりまた城下へ行きたいと仰られるかと思ったので。失礼ながら、こっそり連れ出してくれと言われるぐらいは覚悟しておりました。(何食わぬ表情のまま、手元に広げた3のスリーカードへと視線を落とす。手にしたまま配役に興味も無さそうな素振りで伏せてしまえば、続けられる会話に応えるようにして瞳を持ち上げて。)それは何よりでした。後悔はしないのが一番ですからね。(何かを確かめるかのように、落とした言葉の欠片を気にする姫君。騎士の方は何ら気にせず、先程配分されたばかりの光を受けて金色に煌くコインを参加費として差し出した。静かな室内に足音が聞こえれば、感情薄い瞳が姫君では無く使用人を一瞥して。)
ふふ、あなたはわからない、と言うでしょう?それがわたしは―…、(すらすらと零れていた言葉が途切れた。喉に指を当ててみたものの違和感はない。継ぐ言葉が音にならない。嬉しい?安心する?似ているようで違う気がした。何より、現状と矛盾しないだろうか。騎士がいなければ日々は変わりなく終わるに違いない。騎士への興味が尽きないことも不思議と云えば不思議だった。戸惑いに視線がゆれ、)もう確かめる必要はないのにどうしてかしら。ふしぎね。(騎士が秘密を暴こうとすることも、行動を制限しようとすることもない。末の姫の意に沿うよう動いてくれる。それ以上他に知ることがあるだろうか。未だ知りたがる理由は。)仲良く、なりたいの。(話しが尽きることを仲が良いと評した騎士の言葉が閃いた。丁度良いと言葉を借りただけが、告げてみればすとんと納まる。気が晴れた心地に「レイズ。」と勢いよくチップを5枚賭けた。)覚悟、ということは連れ出してくれるつもりだったの?…いつか、また、連れて行ってと言ったら叶えてくれる?(騎士につられて扉へと顔を向ける。ティーセットを運んできた使用人の後ろから、供を連れた淑女が顔を出した。娘が腰を浮かすのをやんわりと制して近づいてくる。濡れたような黒髪と夜色の瞳が印象的な艶やかな美女は件のカードゲームが好きな姉。交流はあれども、末の妹を探し求めて足を運んでくるほど親密ではない。姉の侍女に至っては名前も知らない間柄である。)お姉さまの、侍女が…わたしに?(仔細は知れないけれど、姉の侍女が男性に言い寄られて困っているところに割って入ったらしい。全く思い当たらないということは取り立てて話す出来事ではなかったのだろう。突然感謝を受けるのは初めてではない。娘が気にせず通り過ぎていくようなことに目を止めるひとだということも理解している。)気になさらないで。どうということないもの。(おっとりと首を振る。当人であっても返答は同じだったはず。しかし、侍女は気が収まらない様子であったし、末の妹を気にかけるひとは折角だからと姉妹の交流を深めようとしているらしい。「貴方からも武勇伝を聞きたいわ。」と可憐に微笑み、使用人が運んできた椅子に腰を落ち着かせた。「私とのゲームはすぐに逃げてしまうのに。」と悪戯っぽく付け足して。)…武勇伝なんて、大それたこと。(おもての微笑みは変わらないだろう。ただ、指先が、背が、冷えていく。カードを広げた状況では時間がないと逃げることもできない。)
(涼やかな表情で交わしていた言葉の流れにも、流石に耳を疑うものがあればぴたりと身体を硬直させる。感情の薄い瞳に姫君を映し出したまま、その奥に宿ったのは困惑と疑念と、もう一つ。ついに唇の端を持ち上げてくつりと小さく喉を鳴らせば、小さく息を吐くことで全身を弛緩させよう。)そんなことを言われたのは子供の頃以来ですね。末の姫サマはお噂に違わず変わり者でいらっしゃる。(手元の役に余程自信があるのか、派手に差し出された金色に応じるようにコインをもう一枚追加しよう。姫君に比べれば控えめではあるが、これぐらいが丁度良い。)外で楽しそうにされる姿は悪くありませんでしたので。お望みでしたら仰って頂ければ上に掛け合いますよ。……拒否されたらお忍びにはなりますが、其処は共犯者と言う事にでもしておいて頂ければ。(薄い唇を封じるように、人指し指を立てた頃。出て行った人数よりも増えた足音に瞳は鋭さを増して、机上へとカードを伏せた状態で手放した。艶やかな黒髪、夜の空を思わせる瞳、その持ち主を一目見るなり立ち上がれば片膝を付く。頭を垂れたまま、瞳を伏せれば置物のように控えよう。許しを得るまでは、そうしたままで。二人分の声が響く中、末の姫が発する声音に揺れを覚えればそっと瞼を持ち上げる。綺麗に整えられた床が目に入るが、その床と椅子が奏でる音から黒の姫君は同席を望んでいるらしいと察しがついた。末の姫君から挑まれたゲームであったが、黒の姫君と対峙するのは宜しくないらしい。理由を察することが無ければ深堀することもしないが、揺れる空気に違和感を覚えてはいた。)……お恥ずかしながら、私がこういったゲームに疎いものでレティーシャ様へ教えを乞うておりました。…姫様はお得意でしょうか?(温度持たず揺るぎの無い低音は、黒の姫君へと捧げられる。末の姫君を一瞥し、しれりと続けるようにして話の矛先を変えようと。黒の姫君が末の姫に付き人がいることについて既知であるかどうかは知らないが、前だろうが後ろだろうが状況が転ぶのならどちらだろうと構わなかった。)
わたしくらいの頃ということ?あら、わたしは噂を否定したことないわ。(ぴん、と糸が張り詰めるような小さな、しかし、確かな変化に小首を傾げた。何と形容すべきか分からずに、その移ろいを見守る。騎士の空気が緩めば、娘も解けたように微笑んだ。)…――ありがとう。(短いセンテンスに想いを籠めた。それ以上、言葉にならなくて。承諾は予測していた。『お望みのままに。』『仰せのとおりに。』忠実な騎士らしい台詞が返ってくるものだと。それで良かった。わたしが“いつか”を望む日が来るのであれば、とやさしい夢を描いていたから。だから、否、けれど、予想を超えたやさしい言葉の連なりに、用意していた台詞を忘れた。与えられた肯定と承諾をうちがわで大切に包み込む。胸の奥深くに納めればいつも通りに、)…お忍び、という響きも楽しそうね。その時は、わたしもあなたの言う悪い遊びができて?(カードを切るような気楽さで尋ねる。思い切りよく賭けるのと同じで駆け引きではない。ショウダウンを待つばかりのゲームはひと時沈黙することになる。異なるゲームが始まったことにより。娘は勝ち筋を見つけるのではなく、逃げる手段を模索するしかないのだけれど。外枠をなぞるような曖昧な答えで濁していたものの長く続くはずがない。沈黙は避けなければと口を開き、――応えは思わぬところからよこされた。三者三様の視線が騎士へと注がれる。娘からは困惑と驚愕が。騎士の存在を軽んじている訳ではなく、誰かを頼るという発想がなかった。それに、存在を消すように控えていたひとが姉妹の歓談に割って入る真似をするとは思いも寄らなくて。「シリル?」唇だけで騎士の名を呼ぶ。ちらりと寄こされた視線に、ようやく意図を察すれば、)お姉さまは、よくご存じよね!わたしに手解きをしてくださったのはお姉さまだもの。お姉さまたちにはぜんぜん敵わないから、こっそり練習がしたかったの。(微笑みをつくり直す。話の流れが変わるようにと言葉を重ねた。侍女の願いに耳を傾け、妹へ取り次ぐようなひとであったから、騎士の問いかけに気分を害した様子はない。寧ろ、面白がる様子である。「どなた?」と楽し気な誰何が転がった。)
(まるで小動物のようだ、とは口にせずとも幾度も思ったことであった。城下で小さな足音と共に駆け離れる背、今こうして目の前で小首を傾げる姿。不吉だ何だと噂されるような影は見当たらず、ただ無垢な子供のような姫君。)…仕事ですので。(どういたしましての代わりは温度の低い素っ気ない一言でありながら、口端は小さく持ち上がっていた。落ち着いた空気の中、姫君の願望には垂れた前髪を揺らしながら首を横へと静かに振る。)残念なことに悪い遊びをするには少々足りませんね、あと数年お待ち頂ければと。(軽やかな口振りで年齢制限で線を引き、その頃には忘れているだろうと考えたところで状況は動く。ゲームでは無く、この状況そのものが。黒の姫君の興味が向かない限りは置物に徹する心算、だった。そもそも騎士如きが姫君同士の会話に割って入るなど言語道断ではあるが、不敬だと言われるのも今更周囲から睨まれるのも恐ろしくは無いと、ちりつく空気感に一石を投じよう。特に悪い噂を聞くことも無い、黒の姫君。彼女であれば一言二言の無礼が過ぎて首が飛ぶようなことにはならない筈だと、内心計算済みであった。きちんと合った視線はすぐさま外し、再び焦点は床へと落としてもう一度目を伏せよう。聞き慣れた声が上塗りしていく理由は、二人カードへ興じる理由としては上々の筈。声を発する機会はそう時間が経たない間に、再び。)先の春よりレティーシャ・エルダ・キュクロス様付きとなりました、シリル・アインスグレイと申します。以前は小隊を纏めておりました。(片膝を付き頭を下げたまま、低音ながらに良く通る声でそう応えよう。たかが伯爵家、家名を出したところで素性が知れるとは思えずもう一声付け加えてはみたが、姫君がそれらに興味が無いようであれば助かる――常に不機嫌そうだと陰で噂されていた元隊長は、落ち着いた静かな表情の下にそんな願いを隠していた。)
(持ち上がった唇のかたちや、当然のように告げられる未来に、娘はすっかり満面の笑みを浮かべた。今、身に着けている宝石をすべて賭けてしまいたくなった。そうして、負けてしまっても惜しくはないと考えるほど。)ふふ、それまでシリルは一緒にいるってことね。(そういうことでしょう?と晴れやかに笑いかける姿から、気品を垣間見ることは叶うだろうか。数年後が訪れたとして姉姫のような成長は出来ないだろう。社交界で華やかに振舞いながらも、慈善事業にも精を出しているようなひとだった。低い背もたれを肘置き代わりに、上半身を傾けた姉姫の興味は分かり易く妹の騎士へと向けられている。中継ぎをするべきか娘が逡巡する僅かな間に、騎士が自ら口を開く。堂々とした名乗りを挙げる騎士の姿に、わたしが初めて出会った日の記憶を重ね合わせた。舞台の一幕を観ているような、とおい感覚。姉姫の侍女も控えめに佇み、末の姫への感心を落ち着かせたようだった。このまま姉姫の望むままゲームに興じれば場は纏まりをみせるだろうか。どうあっても御免という程の強い拒否感はない。しかし、これ以上記録が複雑になっていくのも好ましくはないかと三人を見比べながら思いを巡らせる。なかなか次の台詞が出てこないまま、姉姫の薔薇色の唇が弧を割るのを目にし、)お姉さま!シリルに意地悪してはだめよ?(テーブルを押しのけて、騎士へと向けられる姉姫の視線を遮るように騎士を背にして立った。世慣れた年長者が困っているように見えた訳でもない。ただの反射だった。)…ええと…意地悪しなくても、今日は、だめよ。(戸惑った娘の声音に反して、姉姫の華やかな笑声が響く。面白がって上体を傾けて騎士を覗き込もうとするから、両手を伸ばしてその双眸を手のひらで覆うとするけれど反対に両手を取られてしまって、)……シリル…お姉さまが意地悪するわ…。
(はた、と。思わぬ一言に瞼が上下する。上機嫌な姫君の笑みを映しながら、ふ、と零すのは呼吸にも似た微かな笑い。)…成程、そう受け取ることも可能ですね。何れにせよ、任を解かれない限りは有効ですよ。(この任が今後何年続くかなど、誰も知らぬことであるから。そもそも、何故白羽の矢が立ったのかも未だわからぬままではあるけれど。姫君が期待掛けるいつかが訪れるまでには、理由を見付けられるだろうか。注がれる視線を受けながら、ただ末の姫へ付いている騎士は口を閉ざす。名と立ち位置を明かす以上にぺらぺらと宣う趣味は無いし、矛先を変えると言う当初の目的は達成されているのだからと涼しい顔で控えていた。伏せたカードが再び持ち上げられるまでは遠そうだ。畏まりながらも燃える赤の片隅でそんなことを思い始めた頃、鳴る音と前に立つ気配、視界に揺れる色に少しだけ視線を持ち上げる。)……。(付いている姫君に庇われているこの矛盾。大人として、従者として変えない表情はそのまま、態度も崩さず二人のやり取りを見守るに徹する予定は早々に流れ消えて行く。真面目に状況をどうにかしようと抗う姫君と、室内へと響く華やか且つ上品な声。そっと両の瞳を持ち上げれば自由を失った末の姫の姿があるだろう。)…失礼ながら誰から見ても分が悪いと思われますので、早々に諦められるのが宜しいかと。(困惑と興味と、諦観。一室にて綯交ぜになった多々の感情に触れながら、事実だけを端的に口にした。そう言う反応をするから面白がられるのだ、とは一先ず秘めることとして。)
(力任せに振り払う訳にもいかず、繊手に両手を絡めとられたまま。取っ掛かりはないかと姉の侍女に視線を向けてみたものの、弾かれたように顔を伏せられてしまった。娘の背後に控えたままの騎士も味方にはなってくれないらしい。諦めとはこの場合、姉の要求を呑むことだろうか。仕方ないと一度固く目を瞑り、崖から飛び降りるような心持ちで大きく息を吸い込み――「貴方が騎士を頼ることが出来たから、今日のところは良しとしましょう。」とあっけなく解放された。喜びよりも驚きが勝り、中途半端に手を持ち上げたまま姉の満足げな顔を見つめる。「ジョーは貴方の行動に感動していたけれど、私は納得がいかなかったのよ。騎士を持ったと聞いていたのに、何故貴方が飛び出してくるのか。」)……お小言?(事の発端は記憶にないけれど、現状を鑑みると言い訳もし難い。姉は緩く首を振って、心配をしたのだと視線を彷徨わせる妹に教えたものの、宣告通りそれ以上を重ねることはしなかった。長い裾を捌いて立ち上がると妹と騎士に笑みを一つずつ残す。笑みだけでなく、一方的な次の約束も。)……シリルはお姉さまと遊びたかった?諦める、というのはそういうこと…?(颯爽と先を行く姉の伸びた背と何度も振り返って頭を下げる侍女とを扉の前で見送った。2人の姿が見えなくなったころ、廊下を見つめたままぽつりと零す。2人へと振っていた両手で自らの頬を擦る。すっかり強張ってしまったように感じるけれど、じょうずに、笑えていただろうか。)
(黒の姫君のお気に召すがままにしていればその内飽くのではないか、そんな考えが頭の片隅には確かに存在していた。再開の兆し見えないカードゲームを余所に、終わりを告げる声はあっさりと落とされ末の姫君もまた自由を取り戻す。ほう、と肩眉を動かしたのも一瞬、次いだ黒の姫君の台詞に再び頭を垂れよう。幸いにも此方へ向けられた言葉では無いのを良いことに口を噤み、姫君にもある程度の自由をとの意識を改める必要があるかと密やかに細く長い息を零して。どうやら満足されたらしい黒の姫君とその侍女を見送るべく立ち上がり、扉の前で向けられた華の様な笑みには相応の態度で以て返答としよう。侍女の方も大変そうだ、とは無言の内に幾度か交わした視線の色から察するもの。遠ざかる背と足音が漸く届かなくなった頃、漸く肩の力を抜けば室内へと戻るべく踵を返そうとしたのだが。)は?(珍しくも間の抜けた声が残された者佇む廊下へと響く。室内へと戻りかけていた視線は、導かれるように姫君へ。んなわけねェだろ。繕うことなく顔にそう大きく出てしまったのは反射に近く、怪訝そうな瞳で見下ろしていた。)明らかに姫様を揶揄って楽しんでらっしゃいましたのでいっそ存分に好きにして頂いた方が早めに解放されるのでは、と思ったまでですが。(緊張が解けたらしい姿を瞳へと映した後、己の肩へと手を添えては筋肉をほぐすようにしてくるりと回した。予想外の出来事に疲労を覚えたのは姫君だけでは無い、と言う事。)
(胸が痞えるような、重たいような、らしからぬ気持ちであったから、騎士の顔を見られなかった。吐き出した言葉もつまらなくて視線はつま先をなぞる。気分転換に絨毯の柄でも数えようとしたところで、齎された声色に思わず顔を上げた。第三者がいただろうかと過るほど聞き慣れない音だった。表情も感情も崩さずにいるひとの雄弁に物語る顔色を目にするのは初めて。それだけ予想外、いや、不本意な問いだったのだろうか。胸中は察せずとも、問いの答えは間違えようもなく、)お姉さまに遊んでほしいって思うひとはたくさんいるから…その……もしかして、と。……怒った?(失言を悟れば、もそもそと言い訳を付け足した。どうにもばつが悪く、胸の前で合わせた両手の指先を意味もなく組みかえて。)お姉さまは放っておいてくださらないのよね…他にも姉妹はいるのに。ふふ、あなたも緊張した?(身体を緩めようとする仕草に、娘は微笑みを取り戻す。騎士は動じないひとだと思っていたけれど、感じないとは意味も結果も違うだろう。部屋の片隅にあるサイドテーブルに置かれた茶器はそのままにして、元いた場所へ座りなおすと「はやく、はやく!」と手招いた。未だ手探りであっても、騎士とふたりでいる方が異母姉がいるよりも息がしやすい。けれど、騎士はどうだろうか。)今日はこの一戦でおしまいね。(伏せたまま置き去りにされていたカードを再び手にする。)今日はこのあと、部屋から出ないようにするからわたしのことは気にしなくていいわ。(日没が早くなったとはいえ、太陽の位置は空高く。窓の外は秋晴れのうつくしい景色が変わらずにひろがったまま。)
(転がり出た音が自身の鼓膜を打つ頃にはもう遅い。不意打ちに零した一声は既に姫君へと届いている、とは交わる視線から明らかで口元を引き締める。)つまり姫様の目には私が姉姫様に遊んで欲しいと願っているように見えている、またはそう願うような人物だと思っていると。怒りなどと言う感情はありませんが、そんな風に見られているのだと残念に思う気持ちは確かですね。(深く、深く、落胆するかのように息をつく。そうすることで姫君の反応を存分に窺った後で「まあ嘘ですが。」とくるりと手のひらを返す表情は日常見せるものとそう大差の無いものでありながら、冷めた瞳の奥には揶揄うような光が見え隠れしていたやもしれない。)それだけ気に掛けられていると言うことでしょう。…下手を打つと職を失いますので。(移ろう季節、共に過ごした時間が騎士の姫君への態度を少しだけ軟化させている。嘘では無く確かな事柄は肯定の代わりとして。下手を打つと姫君の沽券にも関わるのだとは口にしないまま、早々に席に着いてしまった姫君の元へと靴の先が向いた。黒の姫君、その侍女、末の姫君。誰と接するのも“仕事”には違い無く、今の所は其処に大差は無かった。柔らかなソファへ戻れば、すっかり出番を失ってしまった手札を丁寧に持ち上げて視線を落とす。強いとは言い切れない手札を見る瞳は無感情だった。)…承知致しました、ご用ができましたらお呼びください。(恐らく呼ばれることは無いのだろうと察しながらも、形式的な低音を差し出して。コールの後ドローは二枚、されども役は変わらずに。繰り返す勝敗の行く末、姫君が満足する頃には出ているだろうか。時折外へと投げる瞳へと映す自然の色は、この場の空気と変わらず平穏なものであった。)
〆 * 2022/10/29 (Sat) 17:37 * No.93
(騎士の言葉を正しく理解出来ているか疑問があれども、傷つけたということは理解できた。騎士を蔑ろにするつもりは勿論ない。問題は娘の語彙力と想像力の低さか。)え?!ええと、お姉さまと仲良くしたいと考えても悪いことではないと思うけれど…その、あなたにとっては、お仕事中だからかしら……あなたを他のひとたちと同じにしたのは、いけないこと…?だと覚えたわ。えっと、甘い…、辛いもの、食べると元気がでる?心臓の音をきく?(哀しいよりも、怒っていてくれたほうが良かった。おろおろと戸惑いながら、拙くも言い募る。種明かしが僅かに遅ければ最後の手段とばかりに侍女を呼び出していただろう。一変した表情に「うそ…?」と目をまるめたものの「傷ついていないならいいわ。」と嘘を吐きつづける娘は胸を撫で下ろした。)…いっそ、失敗をしたほうがいいのでは?(戦うひとに相応しい場は他にあるだろう。忠実なことは美徳かもしれないけれど、“末の姫の付き人”としての有能さを発揮したところで前途洋々とは言い難い。)ええ、また明日。(丁寧にカードを表にかえす。テーブルの上に揃えられた役を見比べて満足げに笑った。悔しがるのは役目ではない。勝敗がつく遊びはひとりでは出来ないから、遊べることが楽しかった。勝てたのであれば飛び上がらんばかりに喜んでみせたけれど。)貴方の勝ち、ね。わたしから聞きたいお話はあって?明日でも、明後日でも、いつでもいいわ。聞きたいことが特にないのであれば、わたしが勝手にお喋りするわね。(「おやすみなさい。」と気の早い別れの挨拶を。自室へ戻れば忘れないうちにと騎士と賭けた約束を伝える。窓から見た景色、赤い色、姉の言葉、姉の侍女の一件、様々なことを額と額を寄せ合って、手と手を絡ませてすべてを差し出そうとするけれど、空白はどうしたって生じる。見落としたことも、知らないことも、伝えようがないために。そうやって少しずつ差異を育てながら、ささやかな世界は平穏をかたちづくる。)
〆 * 2022/10/30 (Sun) 22:30 * No.101