(血塗れたつるぎは鈍く光って、つかの間の夢を見る)
(本日、この公務に至るまでに最難関だったものは間違いなく、サラヴィリーナ姫に如何に騎馬を諦めて頂くかというその一点だっただろう。アルバートはどうするのと聞かれた際「当然アイリーンと共に」と答えてから雲行きが怪しくなった。姫君の乗馬の腕前は勿論よくわかっているが、ご公務ゆえどうにかこうにか馬車に納まっていただくことには成功して、そして出発した本日。ここまで行程は至って順調だった。夕暮れ前には町へ着けるだろうと、連れてきた小隊と軽く打ち合わせる騎士の耳に――遠くで獣の吠える声に似た、不気味な嘶きが聞こえた。予測範囲内の事態だ。冬を前に魔物たちは気が立っている。その生息地として何度も騎士団でも派遣された森を抜けずにはたどり着かない。そのために近衛でも腕の立つ者を中心に隊を組んできた)…もうすぐくる。各自、配置に付こうか(アイリーンの首をぽんぽんと叩いて鼓舞しながら、魔物の襲来に備えるよう指示を出す。戦闘に慣れた第一部隊ではない。意識して各騎士の目を見て、微笑んで頷いて見せる)大丈夫だ。この森に生息している魔物は十分に俺たちで対応できる。此度の任務は魔物の殲滅ではなく、サラヴィリーナ姫を傷一つなくお守りすること。――エド、馬車の警護は任せたよ(言い終わるや否や、四つ足の大型の魔獣が地面を飛び跳ねるように向かいかかってきた。十体に満たないくらいか。エドは、端に寄せた馬車の中におわす姫に声をかけられただろうか。一番先に飛び出して、先頭のそれの喉元を一瞬で切り裂く。ギエエエ、と木々を震わせるような断末魔。しぶく赤黒い血に構わず、再度息の根を止めるべく剣を振り下ろす)二本の角には毒がある!絶対に触れるな!!(響き渡る声を皮切りに、あちこちで戦闘が始まった。周囲を見渡し、必要だと思われる場所から駆けつけて、何かに取り憑かれたように剣を振るう。頭頂部から刃先を突き下ろし、心臓を真っ直ぐに貫き、絶命を確認すればまた次の標的へ。払っても払っても、その刀身はいつも生臭い血に塗れ、アルバートの痕はいつも血溜まりだった)…っ、大丈夫か!(年若い騎士が腕を抑えてしゃがみこむのを襲い掛かろうとする魔物の、背中を深く引き裂く。瞬時に回り込むと騎士を背に庇いながら、瀕死の敵の腹に獲物を突き刺す。悲惨な残響を聞きながら、馬車は無事かこの目で確認したかったけれど、浴びた返り血が邪魔で瞼がうまく開かない)エド!!姫は無事か!?(己が騎士の掠れた怒鳴り声を、きっと姫は初めて耳にしただろう)
(近ごろ姫のご様子がおかしい。これまでに輪をかけて“半分”だ――。使用人たちのささやく声は、騎士に届いていただろうか。噂の原因を作っているのは、もちろん妹である。サラヴィリーナは――サラは、彼といるとよく笑うようになった。一方でなにかを考えこみ、ぼんやりとする瞬間も増えて、これまで以上に人の名前や出来事を忘れがちになった。寒くなるにつれリーナがおもてへ出る日が減っていたせいもあって、彼以外の人間が“冷たくなった” “機嫌が悪い”と感じるのも、無理はない話だろう。――挨拶に訪れた執務室。正面に座る父王は、娘のそんな噂を知ってか知らずか、おだやかに笑っている。移動と宿泊をともなう公務に自分があたると決めたのは、姉の体調を気遣ってのことだ。それ以外に理由などない。ないはず。 ないはずだった。)……、そうね。預けてもよい……と、感じます。あんなに誠実でまじめなひと、アルバートのほかには知らないわ。(彼に命を預けられるか。父王からの不意の問いかけには、わが騎士の勤勉な働きぶりを語ることで答えとする。信頼のできる男なら、秘密を打ち明けても構わない。そういうふうにも聞こえたけれど――「アルバートを困らせないように。おとなしく馬車に乗るんだよ」父の楽しげな声にびっくりして、踏み込み損ねてしまった。馬に乗る乗らないでちょっと揉めたこと、誰から聞いたのだろう。)――ぁ……ね、ねえ、外でなにが……(そうして、町へ向かう道中。本を読んだり外を眺めたり、短くはない距離の移動でも退屈を持て余さずいたけれど、出し抜けに響いた恐ろしい鳴き声にびくりと肩をふるわせた。馬車が止まって、近衛のひとりが外から声をかけてくれる。彼の返事を待たずとも、騎士の指示する声や魔獣の断末魔を聞けばだいたい分かった。)……!(侍女に両肩を抱かれるようにして、ぎゅっとかたく目を閉じたまま外の喧騒がやむのを待つ。無意識のうちに胸元でショールを、銀の紫陽花を握りしめた。やがて咆哮の数が減ってゆき、ひとつも聞こえなくなって。代わりに耳朶を打ったのは、おのれの安否を問う騎士の声。いつものおだやかさが別人のように鋭く、おおきな声だ。)……っ、……アル…バート、(ふるえる足で馬車を降りたのか、あるいは騎士が馬車に駆け寄るか。どちらにせよ彼の姿を見るなり、ヒッと喉を鳴らしただろう。顔やからだを汚す赤黒い血の見分けなどつくはずもない。滴るそれはすべて彼のもので、ひどい怪我を負ってしまったのだと、頭が真っ白になった。)アルバート! 動かないで……! っわ、わたし、簡単な治癒魔法なら使えるわ。止血くらいは……っ(おろおろと泣き出しそうな声で、懸命に騎士を制止する。ドレスや手が汚れるのも厭わず、彼に触れようともするだろう。)
(お前はさしずめ、返り血の騎士だな、とかつての上司に言われたことがある。血気盛んな騎士団においても、平素はどちらかと言えば気が長い方ではないかと思っているが、いったん倒すべき相手を前に剣を握った時の自身の執拗さは常軌を逸していると自覚もある。必ず息の根を止めたことを確認し、息があるうちは何度だってその体を容赦なく貫く。それを慎重、といい、非情という。だが、だからこそ、騎士としてアルバートは群を抜いて強かった。多くを救ってきた。けれど、その何倍も多くを殺してきた。――後悔はしないし、きっともう一度やり直せても同じやり方を選ぶけれど、何故だろう、あの澄んだ灰青の瞳には知られたくなかったなと、ぼんやり思う。後方での馬車の護衛を任せていたエドから、「姫様はご無事です!」と聞こえたのに大きく頷き、顔に粘りつく返り血を無造作に拭いながら、ごろごろと魔獣の死骸が転がる跡地と大きな怪我はなさそうな様子の隊員たちに安堵した)…カルヴィン、よく頑張ったな。腕を見せて。――他は皆無事か?怪我や痛みがあれば、隠さずに申し出てくれ。彼らは群れで行動し、仲間意識が強い生き物だ。なるべく早くここを移動する。治癒魔法と薬草で応急処置をしたらすぐに…っ、!サラヴィリーナ様!(冷静に指示を出していた声が大きく揺らいだ。真っ青な顔をした姫君が血溜まりで足元が汚れるのにも関わらず、こちらへ向かってくるではないか。何故馬車に留め置かなかった、と内心エドを罵りながらも慌てて近寄り――伸ばされた手を、びくりと避ける。少し沈黙があった。先ほど思い返していた青の大きな瞳の中にひどく汚れた自分が見える)…サラヴィリーナ様。私は傷一つありません。これはその…全て返り血です。姫にお見苦しいところを…申し訳ありません。状況を確認次第、洗い流してきます(一歩、二歩。距離を取るように後退ってから軽く一礼し、背を向ける。エドに、姫に馬車内にお戻り頂くよう指示を出してから、自分は騎士たちの報告を受ける。もう姫のほうは向けなかった。幸いにもカルヴィンの腕の怪我も治癒魔法で応急処置が出来、他の騎士も大きな怪我はなかったので、アルバートはすぐそこの清流で全身を洗い流す。隊服の返り血はどうにもならなかったが、血塗れよりはずぶ濡れのほうが幾らかましだろう。戻ると優秀な小隊は既に出発準備が整っていて、アルバートは、コンコンと馬車の扉をノックする)…サラヴィリーナ様。お待たせして申し訳ありません。他の魔獣に狙われるといけませんので、このまますぐに出発して森を抜けようと思います。……怖い思いをさせてしまいました。本当に、申し訳ありません(本当は泣いていないか一瞬でもお顔を見たかったけれど、今己の顔を見ても恐怖を蘇らせるだけだと、馬車の外で深々と腰を折る)
(魔獣の亡骸。血溜まり。負傷している近衛たち。馬車から降りた先で見たものは、“護られる”ことの真実だった。身分ばかり高い、非力な、不出来な小娘たったひとりのために、こんなにもたくさんの兵がその身を挺し戦っている。今さら思い知って、その責任の重さに足がすくんでしまって、それでも歩みを止めなかったのはそこに彼が立っているからだ。噎せ返るような血のにおいの中でも動じず指示を飛ばす騎士は、こちらに気づくなり驚きで声を揺らし、駆け寄ってくれた。顔を見て安堵したのは一瞬。血にまみれた姿を映せばすぐに治療をと手を伸ばしたけれど、)っ……!(指先は空を切った。こんなふうに騎士に拒まれたのは、きっとはじめてのことだ。あからさまに傷ついた顔をしてしまう。双眸が揺れる。)返り血……そう……よかった。いいえ。わたしこそ、びっくりして……気が動転していたの。…ごめんなさい。 ――アル、……。(怪我ではないと聞いてからだの強張りはいくらか和らいだものの、背を向けたきりこちらを見てくれない騎士の態度に戸惑った。物理的にだけではなく、精神的にも距離を置かれたようで。見苦しくなんてない、どうしてこっちを向かないのと言いたくて、でも呼びかける声はエドに制されて半端なままに途切れた。すぐに発ちます、どうかお戻りくださいと促す青年の言葉に、今は従うほかない。)…ねえ、町長に会う前に着替えられるかしら。すこし裾が……(馬車に戻ると、申しわけなさそうに侍女に相談を持ちかける。胸のうちで燻る思いには、いちど蓋をして――と、そこへ扉を叩く音と、遠慮がちな声が聞こえてきた。なぜ彼が謝るのだろう。)……、(ほんの僅か逡巡したあとで、窓から顔を覗かせた。扉にそうっと手を添える。隔てた向こうがわ、ちょうど彼がノックしたであろうあたりに。)…怖かった。でも、大丈夫よ。おまえたちが守ってくれたから。――…アルバート、ありがとう。無事でよかった……本当に。(ちいさく笑みをつくってみせるが、窓越しでは見えないかもしれない。もう少し話を続けたい気持ちは「行きましょう」とみずから断った。一刻も早く危険から遠ざからねばならない――彼らのために。しとどに濡れた騎士が風邪をひきそうで、そちらも心配だった。 さて、ふたたび彼と言葉を交わすことが叶うのはいつだろう。森を抜けた先での小休止か、あるいは町に入ってからか。もしかしたら町長に親書を渡したあとになるかもしれない。)
(あなたが心配だと善意で伸ばした手を拒まれることが、どれだけ少女の柔らかな心を抉っただろう。身体につけられる傷などよりもずっと痛そうで、罪悪感でいっぱいになるけれど、アルバートはあるじを汚さない方法を他にひとつも知らなかった。ごめんなさいと、あなたが謝ることなどひとつもない。彼女には彼女にしか出来ない大きな役割があって、民が祈る光の中に立つべき人で、そのためならどれだけだってこの手など汚れて構わなかった。気が動転していたのは恐らく自分の方で、嗅ぎ慣れた筈の死臭に酔ったのかもしれない。傷つき怯えたあるじに何か一言でもいたわりの言葉を差し出すべきだったと気づくことさえ、冷たすぎる水を浴びてようやく、という有様だった。)…サラヴィリーナ様、(……泣いておられなくて、本当によかった。小窓越しに覗く不器用な笑い顔に、何よりもまず安堵する。守ってくれたから。ありがとう。その一言だけで、自分も、共に戦った近衛騎士たちも皆、全て報われた気持ちになる。「勿体無いお言葉です」と、もう一度深くお辞儀をした。その後森を抜けるまで魔物の奇襲に遭うこともなく、街へ続く街道へ出られたのは僥倖だっただろう。森を抜ければ目的の町はもうすぐだ。途中、街道が綺麗な石畳に整備されはじめた辺りに、商店や宿屋がぽつぽつと出始めた。そこで一度、僅かな時間ではあるが小休憩を挟むことにした。馬に餌もやりたいし、人間も休息が必要だ。何より、町に入ってしまえば姫はすぐさま衆目の中公務に当たらねばならず、くつろぐことは夜まで難しくなるだろう。騎士たちに労いの言葉とともに束の間休息をとることを伝えると、各自食事やら買い物やらに出かけていく。自分も手近にあった商店でとりあえずの簡素な着替えを購入し、ふと目についたカウンターに置かれていたその小さな包みも一緒に購入することにした)……サラヴィリーナ様、よろしいでしょうか(コンコン、と再度扉をノックする。先程彼女の侍女がバタバタとドレスを用意していたが、着替えはもう済んだだろうか。己も、水浴びと着替えのおかげでもう血の匂いはしない筈。許可が下りればひょこっと馬車内に顔をだして)お疲れさまでした。エドから聞かれたと思いますが、町へ着く前に皆に僅かですが休憩を取らせることにしました。安全は確認しましたので…よろしければ、召し上がりませんか?(掌に先ほど買った小さな包みを広げて見せる。色とりどりの金平糖がきらきら光っていて、「一緒に外で食べましょう」と子どものように手を引いた。甘いものは好まないが、戦闘後は無性に小さな甘味を含みたくなる。姫が了承してくれたなら、近くにあったベンチにハンカチを敷いてそこへ促すだろう)
(『どう足掻いても、騎士にしかなれない』。出発を待つ馬車の中で、あのときの言葉を思い返す。騎士と呼ばれるひとが――彼が、どう生きてきたか。生きてゆくか。その一端を垣間見て、すこしだけ理解できたような気がした。落ち着いて考えれば、触れさせなかったことだって主人への敬意が理由とわかる。大切にされていると思えてこころが慰められる一方で、彼ばかりが汚れてゆく関係にもどかしさも覚えていた。)…護衛をしてくれていた彼……エド? のこと、叱らないでね。わたしが勝手に外に出たの。(深々と頭を下げる彼に、やわらかな声でそう告げる。これも馬車に戻ったあとで、まずかったなと気がついたことだった。もし自分が怪我でも負っていたら、外に出したとして青年が責任を問われていただろう。自分ひとりの体ではないと、幼いころから自覚を持つように教育されてきたはずなのに――どうしてかあのときは、じっとしていられなかったのだ。姫は無事かと問う騎士の声が、焦燥に掠れて聞こえたから。)……おかしくない? ほんと? …ううん、胸は大丈夫なのだけれど……普段あまり着ない色だから。(やがて道が石畳に変わり、馬車の揺れも小さくなったころ。引き続き護衛を務める青年から小休憩が知らされた。今のうちに着替えてしまいましょうと準備してくれた侍女の手を借りて、代わりのドレスを身にまとう。髪色や瞳とのバランスもあり、特にサラのほうは寒色系を選ぶことが多いのだが――)…アルバート? ちょっと待っ、……ううん、大丈夫よ。 どうぞ。(一瞬ためらうも、どのみち後で見せるのだと思い直したなら彼のおとないを受け入れた。休憩を取るという説明には「聞いたわ」という意味で頷いて、続く誘いの言葉には「なにを?」という意味で目をまるくする。差し出された包みをじっと見れば、掌で広げられた中から、星くずがころりと現れた。)あ……っ、こんぺいとう! これ、どうしたの? 持ってきていたの?(きらきらしたそれは魔法みたい。あどけなく瞳を輝かせたなら、騎士を見上げて問いかけた。そうして手を引かれるまま馬車を降り、彼についてゆくのだろう。エスコートで手を取られることなんて立場上めずらしくないけれど、なぜかすこし緊張した。気遣いに「ありがとう」と微笑んで、ベンチにそっと腰を下ろすと、視線をそわりと泳がせる。“あまり着ない色”――風にそよぐコスモスの花に似た薄紅は、やっぱりどこか落ち着かない。)……ここまでおつかれさま、アルバート。移動も長くて、魔獣も出て、気を張りっぱなしだったでしょう。アイリーンのご機嫌はどう? あとでおいしい飼い葉を献上するわ。
(騎士たちを、幾らでも代わりの利く捨て駒のように扱う王侯貴族も多い中、彼女はいつでも、侍女や使用人、近衛たちを、役割ではなく名前で呼んでくれる。それは自分を含め仕える者にとって、とても嬉しいことだ。馬車を護衛した騎士への配慮も有り難く受け止めて、万感の思いを込めて頭を下げた。――共に休憩を、と誘う際に、甘いものがお好きだとわかっていて金平糖を差し出すのは、餌付けと言えなくもないかもしれない。卑怯な気もして一瞬後ろめたくなるが、みるみるうちに瞳がきらきら輝き始めると、笑いを喉奥で噛み殺すのに必死になる。)いえ、服を買う際にそこの商店で見つけて買いました。店主の娘さんが作っているそうです。…お足元、お気をつけください。(長時間の馬車移動にも関わらず足元はふらついておられなかったが、いつもよりもゆっくりと手を引く。素朴なベンチにちょこんと座られる姿が絵のようで可愛らしく、何だかいつもと違うような、と違和感は抱けど原因はわからぬまま。失礼します、と隣に腰かけた)いえ、サラヴィリーナ様こそ慣れぬ馬車旅、お疲れでしょう。もう半時ほどで着きますので、もう少しご辛抱ください(城勤めが中心の近衛ではなく、魔物の生息地に赴いての戦闘を主とする部隊にいたので、己は長距離の移動にも突然の戦闘にも慣れている。むしろ、数か月前まではそれが当たり前の生活だったのだ。ここ数か月が、自分にとっては非日常の穏やかで平和な日々だっただけで――いつしかそちらが当たり前になっていたことに驚く。)アイリーンは若くて元気な子ですから、むしろこれくらいの移動では物足りないくらいじゃないでしょうか。ただ、サラヴィリーナ様が美味しい飼い葉と共に構ってくだされば、彼女もとても喜ぶと思います(馬が好きな気持ちがわかるのか、アイリーンはすぐにあるじに懐いていた。侍女長が見たら眉根を寄せそうなほどにはその愛情表現が荒々しく馴れ馴れしいが。金平糖の包みを開くと、ひとつ手に取る。残りは包みごとあるじの掌に載せて、一粒は自分の口の中へ放り込んだ)…これはお毒見ですから(口の中で転がすと、舌の上で砂糖が溶けてゆく。それが体中に染み渡るように感じて、おいしい、と思わず口にしていた)…ご存知の通り甘いものは苦手なのですが、戦闘の後はいつも、甘味が少しだけ食べたくなります。この時ばかりは、サラヴィリーナ様のお気持ちがよくわかります(甘いものは心を癒すのよ、とは母の言だが、一理あるかもしれない。少し冷たくなった風が頬を撫でてゆく。馬の鳴き声、人の笑い声。そんなものを聞いて古ぼけたベンチで二人で金平糖を摘まむ。穏やかな時間はけれど束の間。姫が幾つか金平糖を召し上がるのを見届けたら、「さあ、もうひと頑張りです」と先を促そうか。目的の町はもうすぐそこだ。)
(自身の反応に笑いを堪える彼には気づかなかったが――まるで餌付けだわ、とは、むすめも少しだけ思っていた。彼と違うのはそこに懐くのが後ろめたさではないことだ。くすぐったいような、はずかしいような、不思議であたたかい気持ち。ふと金平糖を見かけたとき、わたしを思い出してくれた。それがたまらなく嬉しくて、重ねた指先がそっと熱を持つ。)大丈夫よ。馬車から景色を見ているの、おもしろかったわ。……ビビと一緒に歩けたら、もっと楽しかったと思うけど。(案じる声にちくりと返すのは、愛馬を伴うことのできた彼への妬みとも、皮肉とも。いたずらっぽい笑みが浮かぶから冗談だと伝わるだろう。ビビと呼ばれた末姫の青鹿毛は、もちろん留守番である。)ふふ。体力のある子よね。さすが部隊長の相棒だわ。(うつくしく聡明なあの子を気に入らない人間などいまい。と、馬が好きなむすめは思う。乱暴なほどの愛情表現もかわいく、嬉しいものだ。おのれが顔を見せることについて色よい返事がもらえたのなら、「あとで行くって伝えて」と栗毛の友へ言伝を頼もう。)えっ。……あ、毒見ね……(彼が一粒を手にすれば、意外そうな声がこぼれ落ちる。ひとりじめしたかったからじゃなくて、苦手な甘いものをみずから口に入れる騎士がめずらしくて。彼がおいしいとつぶやくのを見て、おなじように口にふくむ。広がる甘さに気持ちがふわっとほどけたことを自覚してはじめて、ああわたし緊張していたんだわと知ったような心地だった。隣に座るひとの顔を見つめ、声に耳を傾ける。森での彼の様子を思い返しながら小さく頷いた。)……なら、ひとつじゃ足りないでしょう。手を出して。もう一粒あげる。(言えば、彼の返事を待たずに包みから星を摘まみあげる。すぐに掌を出してもらえずとも、「わたしの金平糖が食べられないの」「不敬だわ」等々、わざとえらそうに振る舞って騎士の忠誠心を煽るだろう。最終的に彼が受け取るかどうかはどちらでもよかった――この束の間の平穏に、すこしでも深くやすらいでほしい。この気持ちさえ、伝われば。)
(挨拶を受け、親書を手渡し、街の様子や困りごとを聞く。さほど難しくない公務ゆえ、恙無く終えられるだろう。姫が未成年であることから、歓待の場もあまり遅くならないうちにお開きとなったはずで。長い1日のおしまいを、騎士はどのように過ごすのだろう。帰路に備えて休むのか、あるいは街の酒場へと赴き、同僚と酌み交わすかもしれない。もしもすこし話したいと願えば、夜のうちに叶うだろうか。明日のほうが時間が取れるなら、もちろんそれで構わないけれど――部屋の窓から見上げた空には、かぼそい月が浮かんでいる。)
(挨拶を受け、親書を手渡し、街の様子や困りごとを聞く。さほど難しくない公務ゆえ、恙無く終えられるだろう。姫が未成年であることから、歓待の場もあまり遅くならないうちにお開きとなったはずで。長い1日のおしまいを、騎士はどのように過ごすのだろう。帰路に備えて休むのか、あるいは街の酒場へと赴き、同僚と酌み交わすかもしれない。もしもすこし話したいと願えば、夜のうちに叶うだろうか。明日のほうが時間が取れるなら、もちろんそれで構わないけれど――部屋の窓から見上げた空には、かぼそい月が浮かんでいる。)
(つらくない筈がない馬車の長旅、どんな状況でも前向きに捉えられるのは、あるじの特筆すべき長所のひとつだろう。しかしまさかの彼女の愛馬の名を再び持ち出されて、冗談っぽく笑う姿に苦笑してしまう)…まだ根に持っておられたのですか。わかりました、またビビとアイリーンと遠乗りしましょう。次は虹の滝を見に行きましょうか(こうしてまたひとつ、穏やかで平和な未来が訪れることを礎とした小さな約束が増えてゆく。それはきっと、とても幸せなことだ。金平糖をひとつ、口に含んだあるじの顔がほうっと幸せと安堵に包まれるのを見て、若干十七歳の女の子が慣れぬ馬車旅と戦場を抜けて王命を果たさねばならぬことは、その小さな体にどれだけの緊張を強いていたのだろうと思う。僅かな時間でも癒されてくれればよいと願う騎士は、自分も彼女の朗らかさにまた癒されていることに気づいているだろうか。もう一粒、と差し出された金平糖を有り難く頂戴しながら、ああ、とまじまじ、あるじの姿を上から下まで眺めて、今更腑に落ちたように頷いた)…なにか違和感がと思っていたら、本日のドレスが珍しいお色だったからですね。とても似合っておられますよ、桃色。可愛いです。(にこっと邪気なく微笑む。)
(その後一行は何事もなく目的の町に到着し、姫君は恙なくご公務を終えられた。そのまま町長の屋敷で一泊する運びとなっており、騎士たちは飲み足りないのか見知らぬ街で羽目を外して遊びたいのか、酒場へ行くので一緒にどうですかと誘われた。自分も人並み程度には嗜むので、慰労も兼ねて共に酒場へ向かい、やれ姫君が可愛らしいだの、アルバートさんはいつも一緒で羨ましいだの、だんだん絡み酒の相手をするのも億劫になってきたので先に席を外すことにした。酔うというほども飲んではいないが、酔い覚ましに屋敷まで歩いて戻ると、星が王都の真ん中よりもずっとたくさん散っているのに気づく。そして、ふと、姫はご覧になっているだろうか、と思った。もう疲れて眠っておられるかもしれない。――その時のアルバートは、やはり少し酔っていたのかもしれない。姫君のおわす部屋は二階のあの部屋だったかと見当をつけると、ちょうど手近に大木を発見し、またちょうど都合よく大ぶりな枝に足をかけられたのでつい登ってしまい、――ベランダへ辿りつけてしまった。ノックを控えめにしたのは、もうお休みならこのまま立ち去るつもりで。もし気づいてもらえて不審がらずに開けてもらえたら―それはそれで不用心で心配になるが―、アルバートです、とまずは名乗ろう)……遅くにすみません、もしまだ眠れぬようでしたら…星がとても綺麗だったので……その、…こんなところからすみません(そして喋っている間に己の行動のまずさに気づくのだ。支離滅裂に謝りながら、夜の散歩に誘いに来たことは伝わるだろうか。)
(その後一行は何事もなく目的の町に到着し、姫君は恙なくご公務を終えられた。そのまま町長の屋敷で一泊する運びとなっており、騎士たちは飲み足りないのか見知らぬ街で羽目を外して遊びたいのか、酒場へ行くので一緒にどうですかと誘われた。自分も人並み程度には嗜むので、慰労も兼ねて共に酒場へ向かい、やれ姫君が可愛らしいだの、アルバートさんはいつも一緒で羨ましいだの、だんだん絡み酒の相手をするのも億劫になってきたので先に席を外すことにした。酔うというほども飲んではいないが、酔い覚ましに屋敷まで歩いて戻ると、星が王都の真ん中よりもずっとたくさん散っているのに気づく。そして、ふと、姫はご覧になっているだろうか、と思った。もう疲れて眠っておられるかもしれない。――その時のアルバートは、やはり少し酔っていたのかもしれない。姫君のおわす部屋は二階のあの部屋だったかと見当をつけると、ちょうど手近に大木を発見し、またちょうど都合よく大ぶりな枝に足をかけられたのでつい登ってしまい、――ベランダへ辿りつけてしまった。ノックを控えめにしたのは、もうお休みならこのまま立ち去るつもりで。もし気づいてもらえて不審がらずに開けてもらえたら―それはそれで不用心で心配になるが―、アルバートです、とまずは名乗ろう)……遅くにすみません、もしまだ眠れぬようでしたら…星がとても綺麗だったので……その、…こんなところからすみません(そして喋っている間に己の行動のまずさに気づくのだ。支離滅裂に謝りながら、夜の散歩に誘いに来たことは伝わるだろうか。)
(よそものにも優しい街だ。町長もそばで働く人も皆あたたかく迎えてくれた。見守るまなざしに、笑みに、親愛の思いが滲んでいる。緊張しながらも大きな失敗をせず公務を終えられたのも、そのぬくもりに触れて安心したことが大きかったのだろう。)今日はもう大丈夫よ、ありがとう。ゆっくり休んで。おやすみなさい。(自分以上に気疲れしたであろう侍女のことを先に下がらせて、サラヴィリーナはなにをするでもなく寝台にぼんやり座っていた。ひとりになると昼間のことを否応にも思い浮かべてしまって、いい意味でも悪い意味でも、まだしばらくは眠れそうにない。――魔獣の唸り声、こわかった。アルバート、無事でよかった。金平糖がきらきらしていて、頬を撫ぜる風が優しかった。『今度は虹の滝を』『似合っておられますよ』『桃色。可愛いです。』また約束をしてくれた。褒めてくれた。微笑んでくれた。本当に、すごく嬉しかった。ちゃんと伝えられただろうか。綺麗に笑えていただろうか。リーナみたいに――リーナよりも。)…あたたかい飲みものでももらえばよかったわ。(そう思ったとき。窓を叩くような物音がかすかに聞こえた気がして振り返る。警戒しつつも近づいて、カーテンの隙間から覗きこみ――そこにいるはずのない騎士の姿に、)アッ、……、……っ!(危うく叫びそうになった。寸でのところで飲みこんで、音がしないように窓を開ける。一応先に確認したので不用心ではないと思いたい。)なっ……どうし……どうやって……空を飛べるなんて聞いてな、 ……まさか、木を登ってきたの?(なんで、どうしたの、どうやって。疑問が喉で渋滞する。そのまま説明する彼を「……ほし……」ぽかんと見つめていたけれど、やがてそのおかしさに気がついたなら、うつむいて手を口にあてた。我慢できないと言わんばかりに、くすくすと肩をふるわせる。)……っふ。……ふふ……っ、木登りが得意だなんて知らなかったわ。意外とやんちゃなのね。(「酔ってるの?」普段の彼らしからぬ行動を揶揄うように言って、ちいさく首をかしげたあと。瞳をふわりやわらかく細めて、凪いだ声で打ちあけよう。)お誘いありがとう、アルバート。実は、眠れそうになかったの。……それに、話したいとも思っていたから。アルバートと。……うれしい。(頬を染めてはにかんだところで、少しだけ冷静に戻る。「えっと…どうしたらいい?」とは、自分も木を伝って降りるべきか、ちゃんと玄関から出るべきかと。返答がどうであれ、ひとまず外套を羽織るだろう。寝支度をしていたこともあって、下に着ているのは寝衣代わりの象牙色のワンピースだけ。下着での過度な締めつけもないから、注意して見れば日中との体型の違いにも気づくやも。)
(少し冷えてきた頭で考えると、それは驚くだろうなと思う。むしろ姫君の部屋のベランダに侵入しておいて、先に護衛の兵を呼ばれなかっただけ九死に一生を得た幸運だ。――こんなことバレたらクビ…で済めばまだましで、お家取り潰しになっても可笑しくない事態だ。寛容な姫君に感謝しつつ、しどろもどろの声は気まずさにどんどん小さくなって)……そのまさか、です。…すみません、残念ながら空は飛べなくて…(我慢できないと言わんばかりに肩を震わせるあるじが無邪気で、こんなふうに笑ってくれるなら酔っぱらいの愚行も無駄ではなかったなと思う。)幼い頃は人並みに悪戯もやんちゃもしましたからね。木登り、習得しておいてよかったです(いえ、全然酔ってませんけど。と、そこだけは頑なに認めない騎士からは、普段纏わない酒気が微かに香るかもしれない。「話したいと思っていた」と改めて言葉にされるのに、素直に頷いた。おこがましいかもしれないが、お傍について数か月の時が流れる間、彼女の信頼のおける侍女と同じくらいの時間は彼女と共に過ごしてきた。その中で、今まで全く違う環境で生きてきたいわば門外漢にだからこそ言えることもきっと多くあって、口下手な騎士と不器用なあるじなりの絆を深めてきたとアルバートは考えている。今日は慣れぬ経験をして、聞いてほしいこともおありになるだろう。ただ、木を伝って降りるべきかと相談されるのには、珍しく焦った様子で、お願いですからおやめください、と懇願した。扉の前の衛兵には自分から―何故室内からアルバートが出てきたのかという点においてはどうにかこうにか誤魔化して―、温かな外套を羽織った姫に夜空を見せてさしあげたいこと、半時ほどで戻ることを話をして、彼女の侍女にも許可を得た。足元にお気をつけくださいと、明かりを持たない右手を差し出す。日中はまだ暖かい日もあるものの、夜はぐっと冷え込む。落ち葉を踏む音だけが響く静かな庭園をゆっくりと連れ立って歩きながら、サラヴィリーナ様、と、静謐な空気を壊さないようにそっと、名を呼んだ。)空、見上げてください。――ね、すごいでしょう?王城で見るよりもずっと星が多くて、輝いているんです。そんなにも離れた場所じゃないのに…(星の輝きも、空気の温度も、静寂も、日常から離れた場所にいると実感させられる。自分がこうしてあるじに付き従う機会は、あと何度あるだろう。)……今日は、恐ろしかったでしょう。サラヴィリーナ様のお気持ちをもっと慮るべきだったのに…、私の責任です。本当に、申し訳ありませんでした(日中の戦場を思い出させるような発言は無粋でしかなかったけれど、大丈夫よと笑うばかりのあるじが無理して抱え込んでいないか、心配でならないのだ。こういう時、口下手な自分が歯痒い。)…けれど、つらい思いをされた後だったというのに堂々とご公務を務められていて、…感動しました(共にいる機会が多いから、緊張しておられるのはわかったけれど、心配になることは最後までなかった。思い出して、自分まで誇らしい気持ちになる。まなざしに込めた、敬意といたわりが伝わればいいと願う)…よく頑張られましたね(ぎこちなく伸ばした手で、いいこいいこ、と頭を撫でる。柔らかな髪がくすぐったい。)
(残念ながら空は飛べず、と真面目に返るのがまたおかしくて、肩のふるえが止まらない。頑として認めない彼には「うそ。わたし結構、鼻が利くのよ」暗にお酒のにおいがするわよと告げて、得意げに顎を上げた。こっそり抜け出すためには木登りも辞さない心意気だったので、必死に止める騎士の言葉につまらなそうな顔もしただろう。それでも衛兵が訝しめば「彼、姿現しの魔法が得意なのよ。」とでまかせで援護した。――こんなに遅くに外を歩くことは、あまり経験がない。静かで、暗くて、すこし寒くて、心細い気持ちになるけれど、彼が優しく声をかけ、手を引いてくれれば平気だった。ただふたりきりの庭園で、見知らぬ土地の夜空を見上げる。あ、とあえかな吐息がこぼれ、それきり言葉が出なかった。あんまり綺麗で、圧倒されて。王都では魔法の光に紛れてしまうような小さな星まで、みずからの力で輝き、ここに在るのだと訴えてくる。知らなかった。空にこんなにも、星がちりばめられていたなんて。)――…え? ……アルバート……(星原に魅入られていた瞳が、昼間のことは自分の責だと話す騎士の顔を映した。なぜそんなふうに言うのだろう。この身も馬車も、傷一つつけずに守ってくれたというのに。謝らないでほしいあまり、むしろ彼を叱りそうになるが――けれど、と逆説で続いたのが末姫への称賛だったから、結局なにも言えないのだ。そっと伸ばされたおおきな掌に、幼子のように撫ぜられる。じわ、と目のふちに涙が溜まって、思わずくちびるを噛んだ。そんなに優しくしないでほしい。諦められなくなってしまう。)……ありがとう、(泣きそうな顔を見せたくなくて、誤魔化すみたいに目を伏せる。頭に感じる彼のぬくもりに、胸がひどく苦しかった。ひとつ息を吐いて間を置く。そうして、静かに語りだす。)おそろしかったわ。とても。……とても、おそろしくなった。(でもそれはもちろん、彼を詰りたくて言っているわけじゃなく、)…騎士の生きかたや誇りを軽んじるつもりはまったくないけど……こんなことを言ったら、アルバートに失礼なのかもしれないけど。やっぱりあのとき、くびにしていればよかったと……思ったの。わたしのせいでアルバートになにかあったら、わたし、……わたし、(おそろしかったのは魔獣ではなく、この身を守るために彼が傷ついていたかもしれないこと。付き人にならなかったとしても、騎士である以上、危険と隣り合わせであることは知っている。それでも忌み子のそばにいるよりはと、どうしたって思うのだ。)…アルバート、(秘密をとじこめた双眸で、そっと見つめる。剣を捨ててほしいとは言えない。その矜持を否定したくない。代わりに、末の姫は願った。この我儘をどうか叶えてと。)……出会ったころ、「なにも求めていない」と言ったこと、撤回するわ。――かならず守って。絶対に、だれのことも傷つけないで。わたしだけではなく、アルバート。おまえ自身も含めてよ。(その腕があれば出来るでしょう?と煽るような笑みを浮かべながら、わが騎士の身の無事を乞う。それから視線を夜空へ戻し、)…星がきれいね。アルバート。(あまやかな声でささめいた。秘めごとは、ふたつになった。)
〆 * 2022/11/9 (Wed) 10:36 * No.112
(七つか八つの頃だったか。一度だけ、どうして母と一緒になったのかと父に問うたことがある。ヴェリテ家は国政にも関わる大貴族だったので、政略結婚の末の子だと口さがない親族から吹き込まれた後のことだ。事実、両親は両家双方と王家も巻き込んでの政略により結婚したのだけれど、父はその時、「二人で並んで冬の夜空を見た時に、お前のお母さまが、こんなに美しいものを見たことがないと泣いたからだよ」と照れくさそうに言った。その時はよく意味が分からなかったが、今は父が、とても情熱家で愛を重んじる人なのだとよくわかる。綺麗なものを同じように綺麗だと感じ、悲しいことがあれば共に泣いてくれる人を大事にしなさい。――隣で満天の星空に言葉を失う姫を見て、ふと、そんなことを思い出した。泣いてもいいのだと、言葉をかけられない立場が歯痒い。だからただ、黙って感情の吐露を受け止める。不器用なこの方が、王族だからと全て完璧に立っていなければならないのだと、泣くことさえ自分に許さないこの方が、少しでも背負った荷物を降ろしてくれればいいと、そう願って。――くびにしていればよかった、の言葉には、一瞬どきりとしたけれど。たかが傍仕えの騎士が傷つくことを恐れてくれるひと。泣きそうな顔で、傷つかないで、と祈ってくれるひと。なんと純粋で、なんと尊くて、なんと――脆い方だろう。吸い込まれるような瞳に見つめられて、困ったように笑う)……サラヴィリーナ様は、あなたの騎士があなたの“お願い”に決して背けないとわかったうえで、そんな難しいことを仰るのですか?(ひそやかな笑い声が夜のしじまに溶けて消えてゆく。そして微笑を浮かべたまま、その白い手をそっと掲げ持つ。初めて誓いを立てたあの日と同じように。)――かしこまりました、我が姫君。必ずお守りします。(――騎士は初めて嘘をつく。出来る限り努力はするけれど、もしその御身をお守りできるのならば、その時はあっさりとこの身を投げ出すだろう。アルバートはもうすでに、多くを望まない姫君の、剣であり、盾であると決めていた。それは騎士でしか在れない男の決して覆されることのない矜持だ。ただ、簡単に投げ出さないための最大限の努力はしようと誓う。この姫君が泣くことが、この姫君を喪うことの次に怖いから。)
(貴い身分であるゆえに、彼女は自分自身で運命を選択することができない。時代の波と、国と人の思惑で、その立場はいとも簡単に覆る。その時、姫君御自らも、そして傍に付き従うおのれも、どう変化していくのか、そしてそれがすぐのことなのか数年先なのか、永遠なのか。そんなことさえ闇夜に紛れて何一つ定かではない。ただ、この時アルバートは、確かに願った。満天の星空に、どうか、この姫が立派に成長されるお姿を、無邪気に笑ってくれる愛らしい笑顔を、もう暫く守ってゆけますように、と。)
(貴い身分であるゆえに、彼女は自分自身で運命を選択することができない。時代の波と、国と人の思惑で、その立場はいとも簡単に覆る。その時、姫君御自らも、そして傍に付き従うおのれも、どう変化していくのか、そしてそれがすぐのことなのか数年先なのか、永遠なのか。そんなことさえ闇夜に紛れて何一つ定かではない。ただ、この時アルバートは、確かに願った。満天の星空に、どうか、この姫が立派に成長されるお姿を、無邪気に笑ってくれる愛らしい笑顔を、もう暫く守ってゆけますように、と。)
〆 * 2022/11/9 (Wed) 14:31 * No.114