(真実のマチネ。)
(儚い冬うらら、白日のうちに召されよ――宮廷魔術師の星読み通り、晴天はそう長くもたないだろう。忍び寄る鈍色の雲が、じわりじわりと昏い影を落としていた。立冬の底冷え。移り気な気候。いずれも姉の気鬱を誘うには十分で、押し問答の末に不承不承「アメリア」を務めた妹は、ただ静かに王命を聞き入れた。無感情のアルトが服従の意を伝え、会議室を辞する。いつかの回廊を、主従ふたりの靴音だけが響くころ。おもむろに立ち止まる。小さく肩が揺れた。)ふふっ。はは、……あはは!ああ、おかしい……ふふ、(清冽な青空へと、高らかな笑声が通る。なけなしの品性で口許を抑えたけれど、くすくす笑いは止まらない。だって、あまりにも滑稽だった。姉を呼びつけておきながら、姉妹の区別もつかない父王。自ら双子を生き永らえさせておきながら、妹を姉の「不便」と断じた父王。一人前という言葉の皮肉がおかしくて仕方なかった。予感はあった。唐突な騎士の登用。顔合わせの「アメリア」として指名された姉。政略結婚の是非を問うた乳母。種蒔きの結実は、きっとすぐそこなのだ。いつか別の道を歩む時が必ず来る。そう告げた澄まし顔の自分を思い出しては、くちびるが歪んだ。父が愛するのは姉ひとり。それが真実。期待などしていないつもりだった。それでも。滲む涙が鬱陶しい。笑いすぎた。そろそろ落ち着かなくては。気の触れた半分の姫の後ろには、愛しい騎士がいるのだから。背を丸めて、大いに笑って、くるりと振り返る。乱心の姫を、紫水晶はどんな表情で映すだろう。)すみません、ケヴィン。先の謁見があまりにもおかしくて……ふふっ、だめだな。しばらく後を引きそうです。きみにはさっぱりですよね。そうだな、(ふたりでひとりの「アメリア」がほつれていく。まなじりに浮かんだ涙を人さし指で拭い去り、清々しさすら浮かべた蒼で空を仰ぐ。いずれ来る曇天を双眸に迎え入れてから、彼の手を取った。匂紫の非日常から二週間。幾度も彼を冒険に誘った。そのどれとも変わらない気安さで、ねだるように手を引こう。)もうすぐ雨が来ます。晴れているうちに、きみに見せたいものがあるのです。私の秘密は、見た方が早いでしょうから。(婚約なんてしたくない。私には心に決めたひとがいるのです。そんな風に取り乱せたらよかった。八方ふさがりの蒼が酔夢に縋る。血の気のない微笑みは、人形によく似ていた。)
* 2022/11/9 (Wed) 00:35 * No.1
(これが夢ならどれほどよかっただろう。冬のはじめの脆い日差しが照らし出す会議室内、居並ぶ王室の面々を前にひれ伏した騎士は、磨かれた床に映る自分自身を見つめながらそう考える。国王の勅は紛うことなき吉報だ。国と民、そして末姫の将来にとっても、今日という日は喜ばしい転換点となりうるに違いない。しかし大命を拝したというのに即座に応じることができなかった。はじめて王の目に留まった怯えか緊張か、はたまた拒否感か。自分でも判然としない躊躇いの後に辛うじて承諾を発するという有様だったが、付き人の騎士の態度が少々おかしいからといって重要な話が滞るわけでもない。主君が淡々とその場を後にするのに付き従い、何を言うでもなく歩調を合わせる。重なっていた靴音が不意に一歩分ずれて止まったなら、石造りの回廊に木霊した笑い声に驚きぽかんと固まった。)…………あの……姫?(この会談に何かおかしくなる要素などあっただろうかと、恐る恐る呼びかける。輿入れが決まったばかりの淑女の反応としておおよそ不釣り合いな哄笑は、まったくもって意図も理由も読めやしない。だが襟元に輝く紫水晶を賜った時のように、三度姫君が何を考えているのか問うことはできなかった。晴れ空の向こうに鈍色を見据える蒼の、澄み渡る虹彩が、はじめて底知れないものとして感じられたから。)今ということは、見せたいものと秘密、そして謁見内容には関わりがあると?……なんだか謎めいていますが、確かに僕にはさっぱりです。(倣うように空模様を確かめた双眸にはいまだ戸惑いが色濃く表れている。けれどもうすっかり慣れてしまった友人の近しさで手を引かれたなら、いけないと分かっていても振り払うことなどできなかった。山裾から吹き込む冷たい外気に晒された庭園は、木の実どころか黄金の葉すらない。栗鼠たちももう眠ってしまったのだろうか。共に冒険へ出るようになってから季節はひとつしか過ぎていないにも関わらず、なんだか遠くへ来てしまったように感じ、もう一度静かに「姫」と呼ばう。)何も、ご無理はなさっていませんか?(もはや幼いままではいられない。自分も、彼女も。それでも最後の退路のように気遣いを向けたのは、作り物めいた微笑みがうつくしくも凄然として見えたせいだ。)
* 2022/11/9 (Wed) 20:41 * No.8
(この国は双ツを疎んじる。ゆえに、双ツを連想させるものは須らく魔法で代用された。眼鏡もそう。貧しい村民なら未だしも、王族でありながら矯正の手を払い、双ツの真円にこだわった。双子の幼い抵抗に過ぎない過去も、今は感謝するばかりだった。これは喜劇の鑑賞会。硝子一枚を隔てた世界と思えば、簡単に傍観者になれる。王の御前で躊躇いがちに頷いた騎士は、主との別れを惜しんでくれたのだろうか。その尊い光景すら、本来は姉ひとりに誂えられたものなのだから救えない。)その通りです。こんなことなら、もっと早くに伝えておくべきでしたね。そうしたら、きっと今ごろ笑い合えたのに。(丸みを帯びた紫水晶が、やけに遠のいて見えた。彼もまた銀幕の騎士。唯一無二の名前を持ち、これから唯一無二となる末の姫を守り抜く、誇り高き騎士なのだ。紫水晶への愛おしさは冷めずとも、名無しの観客にはただひたすら眩しいものとして映るのみで、初めての恋はやさしく潰れるばかりだった。婚約を控えた姉はもう、彼の手に触れることは叶わないのだろう。その点に関しては、傍観者でよかったと思う。)大丈夫ですよ。ありがとう。(灰色の庭園を一瞥するのと同じ冷ややかさで、騎士の気遣いを拒んだ。優しさは毒だ。泣きたくなるから。それでも手を引いて歩む道程は、きっと最後の甘え。冬枯れの木立を縫い、厩舎の裏を通り抜けては、道なき道を行く。誰からも忘れ去られた小道の果て、とある小城の窓を仰ぎ見た。王宮の最南端。彼もよく知る半分の姫の居城の一窓には、王族らしい豪奢な内装が垣間見えるのみだ。)ケヴィン。きみは赤らんだり、青くなったり、むっとしたり。とても忙しいですよね。その中でも、きみの笑った顔が、私は大好きでした。(すらすらと、流れるような告白に熱はない。過去形への意味もない。呪文を唱えながら、彼へと人差し指を振るう。術者以外には視認されない不可視の魔法だ。たかが数分の子ども騙しだけれど、それで十分だった。)でも、彼女の前では精悍な騎士でいた方がいいですよ。夢見がちなお姫様ですから。(小城の窓を指し示して、ひとふり。同じ軌道を辿っても、それが成すのは真逆の魔法。現れるのは、)リア!(もうひとりのアメリアへ、笑って手を振る。青白い顔の姉から発せられた「驚かせないで」だの「冒険はほどほどにね」だの、内弁慶のお小言を笑っていなし、強引に休息を勧めた。やがて姿を消した姉。微笑みの残り香をそのままに、紫水晶を見つめる。もう怖くはなかった。)ごめんなさい、ケヴィン。彼女がアメリア。私は姉の名を借りているだけの、双子の妹です。
* 2022/11/9 (Wed) 22:58 * No.13
(婚儀という形はともかく、円環の外に出れるのだ。相手方も国交の要として花嫁を冷遇するような愚行は犯さないだろうし、半分の侮蔑に溢れたこの国に押し込められているよりよほど幸せになれると思う。めでたい話だ、よかったと。そういった振る舞いならまだ理解できなくもなかったが、どこか無理のある笑い方はあまりいいものとは思えなくて、伏し目がちに視線を落とした。)…いいえ、それは難しい気がします。(秘密がどのようなものであれ、別れが現実味を帯びた今、笑い合うことなど出来やしない。なにせ真っ先に贈るべき寿ぎすら、喉の奥に閊えて出てこない状態なのだ。自分が今までどうやって笑顔を作っていたかも思い出せず、繋がるたなごころだけを寄る辺に黙々と金糸を追う。後戻りを拒絶する冷ややかさを目の当たりにした時点でそうするしかなかった。逃げ場などどこにもない。)姫、本当にいったいどうなさったのですか?これではまるで最後の挨拶ではないですか。それに、彼女とはいったい――…、(デッドラインを切られたとはいえ、少なくとも来年までは傍にいられるはずではなかったか。国王にまで念押しされた猶予を本人に覆され、問い質そうと焦った調子で口を開く。しかし終いまで言い切ることは出来なかった。ここ数ヶ月通いつめた末の姫の居城。無人のはずの窓辺を魔法使いが指し示したなら、御伽噺の一場面のごとく深窓の姫君が現れる。傍らと同じ顔、同じ声。けれど異なる物腰。日常の延長のようにやりとりする姉妹を、目くらましの内側から見据える少年に言葉はない。鏡写しの片方が城の奥へと消えてようやく、呪縛が解けた視線が揺れる。)双子の、妹……今の御方がアメリア様……。(か細いうわごととして伝え聞いたばかりの情報を繰り返すも、鈍る思考は理解に追いついていない。禁忌の双生児、王室最大の秘密、生まれなかったはずの片割れ――息を呑むのと同時にひゅっと肺腑へ入り込んだ冷たさが、全身ばかりか心まで侵していくような感覚を覚えた。自らがひどい顔色になっている自覚もないまま、震えそうになる口許を押さえて。)……では、どこからどこまで。いや……あの時、僕が見たのは……。(考えている内容をそのままに要領を得ない呟きを漏らしてから、やおら相手へ向き直る。借りものだと告げた蒼を見つめる紫水晶は鋭く、そして必死に、)ひとつだけ、お伺いしたいことがございます。発言をお許しいただけますでしょうか。(出会いの頃に返ったかのようなぎこちない態度。問う騎士の頭にあるのは、たったひとつの疑問と、何より大きな恐れだけ。)
* 2022/11/10 (Thu) 20:29 * No.24
(彼の言う通りだ。仮に秘密を伝えていたとして、きっと彼は笑わなかったろう。彼は「アメリア」に近付きすぎた。どんな喜劇も近くで見れば悲劇に見えるのだと諭しても、心優しい少年は胸を痛めたに違いない。なにせ未完成の魂を認め、寄り添おうとしてくれた高潔な騎士なのだから。)言い得て妙ですね。最後の挨拶なのかもしれません。もう、全部どうでもよくなってしまいました。(不思議と足取りは軽かった。名無しの蒼を繋ぎ止めていた錨は、今日を以て失われたのだ。禁忌の双子として生きること。それが父の愛なのだと思えば、何だって耐えられた。あらゆる屈辱も不自由も、罪悪感だって全部ぜんぶ。しかし、父の愛は半分に分かたれてなどいなかった。騎士の忠誠も同じだ。それはただひとり、末の姫「アメリア」に捧げられるもの。真実に揺らぐ紫水晶をぼんやりと眺めながら、改めて思う。紫水晶のラペルピンを贈ったのは失敗だった。こんなにも美しい紫水晶など、きっと世界のどこにもない。意図せず眉尻が下がる。蝋のような顔色が痛ましかった。所詮、父とは同じ穴の狢なのだ。こんなにも「アメリア」を信じていた彼を裏切り、傷つけた。そんな人間が、誰かを恨む資格など。)どこからどこまで。(復唱は無意識だ。つきりと、身勝手に痛む心に反吐が出る。そう仕向けたのは自分たちだ。姉の人生を間借りしてでも生きたいと、そう望んだのは自分だ。強く拳を握り込んで、教わった通りに微笑む。そうして理性を保とうと努めても、どうしても、どうしても悲しかった。愛した父にも、恋した騎士にも、誰にも見つけてもらえない自分が。)そんなに似ているのですね。私たちは。(そうであるならば、なぜ。どうして姉ばかり。気付けば空は重い鈍色に覆われていた。愚かしい嫉妬で濁る蒼は、鋭い紫水晶に射抜かれてようやく、困ったように笑う。きっと彼に出逢わなければ、こんなにも醜い感情が自らの裡にあるのだと知らずに終われた。それでも、彼と在れた幸福に悔いはない。冷たい城壁に背を預ける。)ひとつと言わず何なりと。……なんなら、敬語も要りませんよ。婚約のこともありますし、今後は全て姉に任せるつもりです。どうぞ楽にしてください。(馬鹿げた冒険譚はもうおしまい。せめて匂紫の栞を挿し込む頁を増やしたい一心で、からっぽの蒼が彼の問いを待つ。)
* 2022/11/10 (Thu) 22:26 * No.26
(真実によって明らかにされたのは、蒼の向こうに凝った深い闇。公的にはいない存在として扱われ続けた絶望に、少年は知らず知らず数多の傷を刻んだ――その報いがこれなのだろう。混乱を極める脳内で最低限の理解を叩き出したところで、呆然とした復唱が耳へと届く。笑う必要などないのに微笑む、その痛ましさを正視する気にはなれなくて、目線だけを投げて否定を紡いだ。きっと、なんの慰めにもなりはしない。)……似てる似ていないというより、単にこの目が節穴だっただけですよ。(ふたり揃って見る半分の姫は、見目こそ同じだが比べれば確かな差異があった。細かな所作や喋り方、本質を表す表情の違いとして。加えて違和感は十二分に感じていたというのに、都合のいい夢にかまけて何も見ようとしなかったのだ。どれほど美しかろうと役目を果たせぬ紫水晶は飾りにすぎず、無知も無力も等しく罪であった。だが悔しさに唇を噛んだところでもう遅いのだと、騎士を遠ざけるアルトが響く。彼女が佇む城壁の向こう、空に分厚く迫り出した雲が、何もかもを押し潰さんとしている。)姫の立場を退かれて、その後はどうなさるおつもりなのですか。この城にお隠れに?(これは問おうとした用件ではない。だが許可は得たのだから構わないだろうと、真剣な面差しのまま呟く。成婚に係る姉妹の去就は不明な部分も多いが、少なくとも彼女は全てを姉に譲り、存在ごと消えてしまうつもりなのか。それを一方的だ、勝手だと、責める権利はないのだけれど。)ずっと……姫が思い悩んでいるとも知らず、護るといいながら何も役に立てていない。それどころか更に貴方を傷つけるかもしれない騎士など、確かに不要なのかもしれませんね。(ふっと、ここにきてようやく自然と浮かんだ笑みは自嘲なのだから始末に負えない。瞼を閉じ、少し長めの溜息をつく。呆れたわけでも嘆いたわけでもなく、意識を切り替えるための一種の予備動作として。)信じてもらえなかったのは残念だけど…――でも、そう、全部どうだっていいなら、(少年にとって彼女は紛れもなくアメリア・キュクロスを構成する半分だった。双子だったと知った今でも、姫は姫なのだと思っている。しかし向けた誓いも言葉もなにもかも、彼女の中では姉へ宛てられたものとしてすり抜け、意味すら成していないのなら。絆を結んだ主従でも、対等な友人関係でもいられない。ただの不毛な――)今年の春先、王妃様主催の夜会があったのを覚えてる?あの場に出席していたアメリア様は“どちら”だった?
* 2022/11/11 (Fri) 20:57 * No.36
とんでもない。きみは信じてくれただけでしょう。私たちのことも、この国のことも。(半分の姫に仕えたばかりに、謂れのない不名誉にさらされたことだろう。低俗な噂のひとつとして消費され、歩んだばかりの騎士道に暗雲をもたらしたかもしれない。それでも半分の騎士として、半分の姫の悪評をそそぎたいと口にしてくれた真摯な紫水晶。あのとき、初めて「半分」の言葉を好ましく思った。本当に、心の底から。だからこそ、報いなければならない。不純物の蒼は紫水晶の価値を下げる。何も与えられないのならせめてこれ以上、何も損なわないように。過日のように微笑んで、コッペリアは独りで踊る。)どうなるのでしょうね。どこぞの辺境で幽閉か、顔を変えて生きるのか。口封じに処分されるかもしれません。いずれにせよ、私にとって好ましいものではないことは確かです。王自ら姉を招き、これまでの不便を詫びるくらいですから。……まあ、王は姉妹の見分けがつかないご様子でしたが。(自嘲したつもりだった。しかし、今にもくずおれそうな脆いアルトに笑声は混ざらなかった。ただの泣き言に成り果てた現実に打ちひしがれる。ああ、すべてがままならない。短く息を吐いて、目を伏せる。)すみません。いやらしい言い方ばかりしていますね。最後くらい、ちゃんとしていたいのに。(美しいまま終わりたかった。騎士を大切に思えば思うほど、友人として貴べば貴ぶほど、かんぺきな幕引きを夢想した。ありふれた野花として舞台を降りて、大好きな姉と、大好きな騎士を見守りたかった。その気持ちに嘘はないのに、きっと、恋心が邪魔だった。初めて見る騎士の昏い笑みに眉をひそめる。)それは違います。ケヴィンは素晴らしい騎士です。だからこそ、王はきみに姉を託した。……不要なのは私であって、きみじゃない。(この期に及んで敬語を手放せないのは、エイミーを拒まれる勇気がないから。彼のことは信じている。信じていないのは、他でもない自分自身だ。)春の夜会?(面食らったように言葉を返す。惑うように蒼が揺れた。正解を探していたのだ。彼が、どちらの「アメリア」を望んでいるのか。どうすれば彼に報いられるのか。ただその一点のみで揺れ動いた不誠実な双眸が、逃げるように俯いた。)……あれは……私が、出席しました。……ごめんなさい。(彼の望む通り答えたかった。しかし、嘘を重ねる方が罪深く思えたから。自らを抱きかかえるように腕を組む。ぱらぱらと、雨粒が地面をまばらに染め始めていた。)
* 2022/11/12 (Sat) 12:28 * No.43
(彼女の言う通りだ。信じていた、滞ることなくこの国を巡り続ける円環を。ふたりでひとりの輪を。そこに囚われ抜け出せない苦しみもあると知った今では、気づけずにいたのは愚かというほかないけれど、完璧でありたかった拙い信念を認められただけで救われた心地になる。ただの石ころに価値を与えてくれた姫君に報いたいのは少年も同じ。されど最後だと告げられた言葉は、存外鋭利に胸へと突き刺さったらしい。親からの愛を求めて泣くことすら許されない、その哀切を慰めたいのに、語られる幕引きに淡々と聞き入るのみ。何も言えず引き結んでいた唇を再度開いたのは、彼女が自らを不要と断じた直後こと。)……僕には、姫が必要なのに?(二度目の、否、初めての顔合わせの時に告げた通り。騎士を不要と言うのであれば従うつもりで敬語も敬意も放り出した。翳りの余韻を残したまま、否定へと確かめるように呟く。向けた問いの答えだって実際はどちらでもよかったのだ。きっかけに関わらず、既に少年は片方を選んでいたのだから。それでも与えられた真実にほのかな安堵を抱いたのは、もうひとりの姫には失礼だったかもしれない。)そう……そっか。……それなら僕も、謝らないと。(距離も立場も壊してようやっと伸ばそうと思えた手を、人形のように白い頬へと添えたがる。あたかも人としてのぬくさを確かめるように。そのまま小さく雨除けの呪文を唱えれば、頭上をぽつぽつ打つ水滴を弾いて濡れるのを防いでくれよう。紫水晶にまっすぐ映す蒼は、不純物ではない。焦がれ続けたたったひとつの星の光。それが掴めるのなら、もう、空が落ちたって構わなかった。)――ずっと、貴方をお慕いしておりました――。(紡ぐは静けさは告解に似ていた。けれど直後にほどけるよう浮かんだ表情は、あえかな熱を伴う。灰色の雨模様にはまったく似合わない、甘く柔らかなはにかみ笑い。)本当は付き人になる前から、一目見て忘れることができなかった。これが誰にも明かせなかった秘密。……ごめん、下心があったんだ。それにこんなことを言っても、姫を困らせるだけだって分かってる。(忠誠心の影に隠した不毛な片恋も、時を経て砂と土に埋もれてしまえば、いつかはうつくしい宝石になるのだと信じていた。純度が高いまま、何も損なわず。けれどこのままでは大切な人の未来が閉ざされてしまうなら、少年が差し出せるのはこれぐらい。)でも……最後だなんて、やっぱり納得できないよ。(冒険も戯れも、過分な幸せも、きっと姉姫は与えてはくれない。だから寂然と呟いた。天の慈雨を涙の代わりに。)
* 2022/11/13 (Sun) 05:38 * No.52
(哀調を帯びた問いは、名無しの心を乱した。仄暗い喜びから逃げるように、強く瞑目する。否定されたかった。断罪してほしかった。それなのに。その手のひらも、甘やかな微笑みも、何もかもが愛おしい。コッペリアに心を与えたのは彼だ。だから、コッペリアに涙を宿すのも、また。)……リア、だって、おんなじ顔だ。(落涙は音もなく。せっかくの雨除けをあざ笑うかのように、ぽろぽろと零れ落ちては彼の手を濡らした。交わるぬくもりがあまりにも優しいから、お行儀のよい「アメリア」が翳んでゆく。くちびるを噛んで、睨んで、拒絶して。詰りたいのに詰れなくて、涙があふれてとまらない。恨みがましく顔を歪める。それでも彼の手を包み込む手のひらだけは、縋るように震えていた。)困るのは、きみだろう。私が、助けてと、そう言ったら?こんな、何もない私のために、きみはすべてを、捨てられるというの?(涙で滲んだ世界でさえ、紫水晶はひどく美しかった。いっそ憎らしいほどに。期待しないように生きてきた。しかし、あの星降る夜。彼が手のひらを差し出してくれたあの日から、きっとずっと期待していた。まぶたが熱い。無理やりに嗚咽を呑み込んで、浅く息を吸う。)恋なんて、またすればいい。もっとじょうずに、幸せになればいい。……私の知らない、美しい場所で、美しい誰かと、幸せに……(麗しい未来を謡えば謡うほど、くしゃくしゃに心が潰れてゆく。なんて愚かな二律背反。彼の幸せを願っている。彼は正しい円環こそ相応しい。その気持ちに嘘偽りは一切ないのに、縋る指先に力が籠もる。)――…でも、本当は、(涙で濡れた睫が重い。紫水晶の告解が、やさしく空を落とす。鋭いばかりだったまなざしが、悲しみに染まった。迷子のように力なく、その憐れみを乞うように。慈しみを恋うように。その手のひらへと、頬をすり寄せた。)……どこにも、いかないでほしい……(いよいよ嗚咽は喉を支配して、上手く言葉にならなかった。もう、どうだってよかった。父のことも、姉のことも。今までのことも、これからのことも。ただ、今は。)わたしだけを……わた しだけを、ずっと……(どうか、さいごまで。続きは音にならず、柔い雨音に溶けた。うつくしい宝石を見つめる。時など経なくても、砂と土に埋もれなくても、もうとっくのとうに美しい紫水晶が蒼を酔わす。逃げてほしい。彼の未来を壊したくない。そう願っているのに。あまりの罪深さに恐怖しながら、ふるえるくちびるでささやいた。)……すきなんだ、きみが……。
* 2022/11/13 (Sun) 16:23 * No.56
(硝子板の向こうから流れる涙は綺麗だった。雨粒に混じらず魔法にも弾かれないそれは、透明なまま滑り落ち、心に幾重もの波紋を広げていく。得難い感情の発露に罪悪感はない。ただ今は与えられる全てを受け止めたいと、そぼ降る雨と同じ静かな心地で見守る。)おんなじ顔でも、代わりにはならない。姫でないと嫌なんだ。(包み込む手の危うさ。睨み拒もうとする、強い意思。同じ色の二対であってもこのような激情を宿しているのは彼女だけ。そうしてそれを押し殺そうとするのも、彼女の方だけなのだろう。子どもの我儘じみた主張を衒いもなく連ねては、重なる設問に紫水晶が苦さを増す。)すべて……か。……そうだね。それは簡単に言えることじゃない、けど、(自身の答えは決まっていても、即答を阻む現実が厳しかった。瞬間的に頭をよぎった諸々を打ち消して、躊躇いがちな唇が話を続ける。)僕が騎士を志したのは、この命や人生を、誰かのために費やしたかったから。僕が差し出せるすべてが役に立って、そうしてたったひとりでも認めてくれる人がいるなら、それだけで幸せだと思ったんだ。(輝かしい名誉や未来を求めたわけじゃない。家のためという気持ちはないわけではなかったけれど、それだって理想の前には些末だ。誰かの特別になりたかった幼い憧れは、護りたい人を得て揺るぎない想いに変わってしまった。たとえ辿り着く先に美しい幸せがなかったとしても、この手は放せないと。)だから……やっぱりごめん。上手になんて……できそうにない。(次々と頬をつたう涙の筋を、申し訳なさそうに見遣って瞼を伏せる。もっと器用に生きられたなら、彼女にこんなことを言わせずに済んだのだろうか。若き日の思い出として、終わらせることができたのだろうか。触れる手を外そうと動きかけた体は、縋る切実さによって止められる。勢いをなくし悲哀を湛えた蒼へと見入ったまま、嗚咽の合間に消えそうな言葉を掬い上げれば、ひととき何もかも忘れてしまった。)―――…、(重なる華奢な手のひらを下ろして。代わりに壊れものを扱うような慎重さで、そっと背中へ両手をまわして引き寄せる。相変わらず早鐘を打つ鼓動はもう聞かれてもよかった。眦に滲む熱、迫り上る衝動を抑えるため、彼女の肩に顔をうずめたなら、)……悔しい(あえかな吐息を伴い、絞り出すような声で呟く。)貴方だけ、と応えたいのに……呼べる名前がないなんて……。(「アメリア」も「姫」も示すのはひとりではない。想う相手の本当の名前すら知らない。今更思い知った事実に打ちのめされて、抱きしめる腕に力が籠る。)
* 2022/11/14 (Mon) 20:11 * No.68
(金風の誓いも、流星の友誼も、何もかも涙に溶けてゆく。嫌われたい。拒まれたい。どんな理性も、切望した否定の前では須らく無力だった。残るは不毛な恋慕だけ。胸が苦しい。しかし、それはひどく甘やかな痛みだった。いくらでも耐えられる、心地のよい苦しみだった。愚かしい涙を、しずしずと見つめていた紫水晶が歪む。どんな感情も鮮やかに描き出す、一途な瞳が憎らしい。姉と調和するために捨てたはずの激情が息を吹き返すほど、その双眸はいとも容易く蒼を乱した。めくるめく紫水晶に暴かれた蒼が、騎士の志に聞き耽る。それは抒情詩のように朗らかで、聖書のように清らかだった。それなのに、続く順接だけが正しくない。)………そんなの、(誰かのためと志したのなら、誰だって構わないだろうに。善き主としての言葉は声にならない。輝かしい名誉や未来を求めたわけではなくとも、その献身は美しい幸せに結実して然るべきだ。その慕情は破滅を招くのだと尤もらしく告げてやりたいのに、裸の心が邪魔をする。どこにもいかないで。ここにいて。どうしたって離れがたいぬくもりを手放せずに、ただ追い縋る。そうして訪れた柔らかな抱擁は、きっとずっと待ち焦がれた幸福だった。降り注ぐ雨の警報も、もう届きはしない。すぐそこにある鼓動だけが、蒼の世界を満たしていた。)……あはは。どきどきしてる……(まろい笑声が、あてどなく落ちた。ゆっくりと腕を回し、その輪郭を確かめる。飛竜を退けた英雄の身体は逞しかった。肩口の重みがたまらなく愛しくて、ゆるく瞬く。愛憎の果て。恋の微熱が頬を伝った。)おどろいたよ。想い人の、腕の中というのは……こんなにも、幸せなのだな……。(夜色の髪に頬を寄せる。名無しの痛みなど、分かち合わずともよいのに。幼子をあやすように、その頭を撫ぜた。いつか、彼がそうしてくれたように。)ケヴィン。……ケヴィン。きみの名前は、とてもきれいだ。どんな魔法より、私の心を、明るく照らしてくれる。(美しい詩をなぞる。彼がくれるすべてが慈雨だった。だから。)きみが、つけてくれたらいい。(密やかにねだろう。代名詞ではない、ただひとりの名前を。自由に焦がれた。広い世界に出たがった。まだ見ぬ幸いを探していた。しかし、幸いはここにあったのだ。衣擦れの音がよく響く、この窮屈であたたかい世界。他の誰でもない、彼だけがくれる、このぬくもりの中に。)私も、きみに呼ばれてみたいよ。ケヴィン。(わがままな祈りを、紫水晶に捧ぐ。ずるいままでいいと、そう許してくれた彼に甘えていた。)
* 2022/11/15 (Tue) 13:25 * No.76
(不特定多数の“誰か”で構わなかった夢が、アメリア・キュクロスという形を得てしまった春の宵。それから付き人として共に過ごし、彼女であればいいという願いは、彼女でなければ駄目だという熱望に変わってしまった。けぶる景色の中でも鮮烈な蒼い瞳が、好悪ないまぜの揺らぎを見せる。それすらも愛しくて大切で、迷ってしまう自分がもどかしい。もの言いたげに落とされた呟きには微かに苦笑を見せ、けれど明瞭な声音で引き継ぐ。)夕凪より嵐を選ぶのはおかしい?何もかも通り過ぎた後に、一瞬でもうつくしい朝が来るなら、僕はそれで十分。(いつかのように、善き主の望み通りに振る舞う正しい騎士ではいられなかった。たとえ破滅を招いたとしても、幸いが刹那でも。今はただひとりが欲しいのだと、希求をやめられない紫水晶が恋慕を灯す。)姫の従者になってから、無茶な命令をされたり、からかわれたり。おまけになんだか危なっかしくて……全然心が休まる暇なんてなかったけれど……ずっと楽しかったよ。(長らく想いを塞き止めていた自制の枷は、相手の告白で簡単に壊れてしまった。腕の中の親しんだ体温と、耳元で聞こえる声に気恥ずかしさを覚えるも、僅かな笑いの気配が戻ってきたことにはほっと胸を撫でおろす。されど顔は上げられないまま。)……うん、知らなかった。……幸せなのに、苦しい。(救いを必要としているのは彼女の方だというのに、寄せる頬と撫ぜる手のひらが堪らなくやさしい。繰り返す平凡な名前ですら、アルトの響きを通すと宝物のように感じられる。きっとそれは彼女がこの上なく純粋に少年を捉えてくれているからで、紡がれる願いすら厳かな祈りとして降り注ぐ。)…つける?(ゆっくりと頭を起こせば、戸惑いがちな紫水晶が蒼を見返す。名づけなど、そんな重大事を自分に任せていいのかと問うまなざし。けれど今までになく近い双眸に本心からの意図を汲み取れば、そのまま意識は思考に沈む。叶うことなら相応しい名を贈りたいと、知識と記憶を片端から浚って。)…――アルフェッカ、――アル。(暫しののちに唇から零れたのは、星の名前。流星群の夜が過ぎてから、少しだけ星座について調べた。つるぎ座、はがね座、と書物のページを捲る合間に目について覚えていた、かんむりの中央で輝く宝石。半円の上の明星。)どこにも行かない。アル、貴方だけを見てる。傍にいる。僕も好きだから……誰よりも。(雨に区切られたふたりきりの世界。狭く閉じていたとしても、暗雲が垂れこめていたとしても、この人さえいればそれでいい。夢に酔う紫水晶の眦が、愛しさに蕩けてゆく。)
* 2022/11/16 (Wed) 00:30 * No.77
(淡い苦笑が紫水晶によく似合う一方で、過ちを選び取る迷いのなさだけが異端だった。主君の所望する通りの騎士であれたなら。そう言い切った昔日の彼は、清く正しい円環そのものだったのに。)おかしいよ。そんなの、私みたいだ。(寄せた眉根に後悔が滲む。退屈な夕凪より、波瀾の嵐がいい。無色透明の正しさより、極彩色の間違いがいい。しかし、それは持たざる者の答えだ。半円にこそ相応しい希求であって、かんぺきな彼には相応しくない。その双眸に宿る恋慕だって、やはり紫水晶の価値を下げる不純物にすぎない。それでも。気苦労が覗く語り口に、小さく笑った。)ひどい姫だな。文句のひとつでも、言ってやったらよかったのに。(戯れの笑声は潤んだまま。抱き寄せた夜を撫ぜながら、甘い夢に微睡む。)きみだけだよ。無茶な命令をしたのも、からかったのも……一秒でも長く、こうしていたいと望むのも。全部、全部、ケヴィンだけだ。(ありのままの恋心を、なめらかな音吐に乗せる。ようやく彼と向き合えた今、愛くるしさはあっても、息苦しさなんてどこにもなかった。)そうだな。苦しいのに、幸せなんだ。(むずかる紫水晶を覗き込む。その戸惑いさえ愛おしいのだと、あなたの全部が見たいのだと伝えたら、紫水晶はどんなふうに揺らめくのだろう。夢うつつの蒼に届いた音韻は、どんな祝詞よりも凛として、どんな寿ぎよりも澄んでいた。)…――アル。(半円の上の明星。ひとりぼっちの王女を救った、かんむりの宝石。ふたりで仰ぎ見た宵の天幕を思い出す。ああ、なんて。)……きれいだ。すごく。(底なしの酔夢の中で、ただ耳を傾けていた。愛しいひとから与えられる幸いを、ひとつだって取り零さないように。どんなに言葉を尽くしても足りないから、喜びのすべてが涙になる。)うん。私も、きみがだいすきだ。……もっと、呼んでくれないか。きみの声で、私の名前を。(円環がやさしく崩れてゆく。あの清く正しい円環を誑かした半円の上の明星は、まさしく凶星だった。しかし、もうすべてどうだっていい。紫水晶がゆるしてくれるのなら、もう、なんだって。)ねえ、ケヴィン。目を閉じて。(そっと彼の肩を押して、その双眸をまっすぐに見つめたがる。双ツの真円を外しても、すぐそこにある紫水晶だけは滲まなかった。失った硝子板。授かった名前。再び舞台に上がった蒼い明星が、ふたりの息が混じる距離までくちびるを寄せる。そして、それきり。)……ふふ。ときめいた?(鼻先を交わらせて、悪戯に笑った。ふたりきりの世界を、あともうすこしだけ。)
* 2022/11/16 (Wed) 22:27 * No.84
なら、これで本当に半分の姫の半分の騎士だね。(おかしいと言い切られ悔恨を見せられても、気負うことのない口ぶりが喜色を滲ませる。自ら蔑みの呼称を使うなど酔狂に違いない。気の迷いと取られても仕方ないだろう。だが、不純物であっても気苦労であっても、もはや少年にとっては大切な一部だ。そのことを理解してほしいと思うのは、彼女が誰よりも、それこそ少年自身よりも、この紫水晶を慈しんでくれるからで。)……全部、僕だけ。(文句は先の発言で言ったつもり。ゆえに大人しく髪を撫ぜる手に身を任せ、謳うような吐露に聞き入る。ぽつりと繰り返した特別の証左に、やはり幸福と並列で苦しさを感じるのは、今が有限と知っているから。)それなら、もっと困らせてくれていいよ。助けが必要なら呼んで。すべてを捨てろというなら、そう言って。僕も……一秒でも長く、こうしていたい。(ほんの少しの身じろぎで耳元へと唇を寄せる。小さく落とした囁きは、できる限り真摯に紡いだつもりだが、熱っぽさは隠しきれなかったかもしれない。恋に溺れた末のたわごとではなく本気だと、きちんと伝わっていたらいいのだけれど。)うん…。でも、きれいなのは貴方だ、アル。貴方に適うかは分からないけど、それでも僕が知る一番きれいな名前をあげたかったから。(星と共に額に落とされた祝福。降り注ぐ光の雨の中で見た、うつくしい蒼色。たった16年の生涯ではあるけれど、あれ以上に胸を打つ光景を少年は知らない。だから空白を埋めるように、刻むこむように、彼女に請われるまま新しい名を呼ぶ。アルフェッカ、アル、アル――ほかの誰でもない僕だけの姫君。)えっ?……ええと、はい、(不意に柔く肩が押され、金と蒼のまなざしに縫い留められる。この状況で意味か分からないほど鈍くはないが。僅かな緊張に体を強張らせ、紫水晶を瞼の下へと閉じ込めたなら、再び星が降りてくるのはもう間もなく。)……もう、わかってるくせに。(鼻先に掛かる過日と同じ問いかけに、観念したよう白旗を上げる。硝子を隔てぬ蒼の悪戯具合を拗ねたように見遣ってから数瞬、濡れたままの目尻に口づけを落としたのは、ほとんど仕返しのような――。やがて分厚く垂れこめていた雲が切れ、隙間から光が差し込み始めたなら、いつまでもこうしてはいられない。後ろ髪引かれる思いを引きはがし、泣きはらした顔の姫君に制服の外套を貸す。それでも今の彼女を誰にも見せたくはなかったから、小城の中まで送ると申し出て。)明日も会いに来るから、待っていて。(この約束を繰り返せるのはあと何回なのだろう。空が落ちた世界で少年は思う。壊れた円環であっても回りだすのは止められない。けれど願わくば彼女を希望へと導きたい。そのための決意と誓いを新たに、やがて来る冬を待つ。)
* 2022/11/17 (Thu) 23:04 * No.92
(うつくしい狂気に息を呑む。変わらない清廉さに畏怖すら抱いた。流星群の夜、禁欲的な指先が伝えてくれた決意を覚えている。半分の姫の半分の騎士。あの日の彼は「アメリア」に誓ったはずで、半分の汚名をそそぐ麗しの騎士は紫水晶によく映えていた。姉を選んでくれるなら、その栄光も叶うだろうに。くちびるを噛む。もうこれ以上、突き放すことなんて出来なかった。紫水晶の価値は不純物の有無で決まるとして、それは円環の理だ。世界中の誰もが嘆いても関係ない。不純物さえ大切な一部としてくれる紫水晶は、明星にとって、かけがえのない最上なのだから。)きみは本当に、私を甘やかしてばかりだ。(小さく笑う。今度こそ純な嬉笑だった。耳元をくすぐる、愛おしいひとの声。紡がれるすべてが心地よくて、ずっと夢見ていたくなる。熱っぽい囁きには少しだけ鼓動が逸ったから、幼い動揺を隠すように俯いた。)言えるかな。……言えるといいな。(試したがりの蒼はもういない。真摯にもたらされた答えを反芻する。漠然とした願望の行方を、今は誰も知らないままだ。不意の賛辞には目を丸めて、)私が?(信じられないとばかりに問いかけた。こなれたように感謝したいところだけれど、それはあくまで「アメリア」の正答だ。自己否定を息継ぎに代えてきた妹が、きっぱりと答える。)前言撤回だ。きみの目は、節穴かもしれない。(いたく真剣な面持ちで口にした完全否定は、まろい笑声で飾られた。自分を信じることは出来ずとも、彼を信じることは出来るから。紫水晶が酔夢から醒めないよう願いながら、甘やかしの騎士がくれる呼名の慈雨に淡い相槌を挟み込む。さむざむしい白が紫で満ちてゆく幸福こそ、きっと生まれてきた意味だった。無防備な瞑目に口づけたい衝動を堪えて微笑もう。ほかの誰でもない、アルフェッカとして。)困らせてもいいって、きみが言ったよ。ケヴィン。(さあ、悪戯はここまで。ふてくされた紫水晶を宥めようと開いた口は、終ぞ音を成さなかった。)  、?(柔いぬくもりは、涙の残り香をことごとく攫っていった。息を忘れて、瞬いて、瞬いて。そうして、ようやっと夢うつつのアルトが落ちる。)びっ くり、した。(頬に集まる熱が憎らしい。年上としてのささやかな矜持を守ろうと、押し返した肩口へと額を寄せた。彼の早鐘は、もうきっと笑えない。夢の終わりは呆気なく訪れる。さみしさに眉尻を下げたのも束の間、彼の外套であっさりと翻意した。)ケヴィンのにおいがする。(最愛にとろける独白は、来たる有限をやさしくした。ありふれた約束に頷きたいのに頷けなくて、曖昧に笑う。もう嘘は吐きたくなかった。――真実がもたらす、未知の紫水晶が怖かった。しかし、世界は初めて微笑んでくれたから。もう大丈夫。どんな結末だとしても、これは悲劇なんかじゃない。)
* 2022/11/19 (Sat) 01:27 * No.97